貸与-2(寂れた家屋の歓談について)

手袋に縫い込まれた時空剣因子は物体の転送を叶える。リロイの屋敷を発ったヴィクターは、白い廊下へ転がり出た。ここは旧アレス領の中央区に鎮座する、中央議会の中だ。中央議会には東西があり、西の棟には魔術士かそれに類する連中が、東の棟には諸国の王が集まってそれぞれの仕事をしている。西の所属であるところのヴィクターは普段通り女王アルゴスの元へ向かったが、数日前から不在とのことでお目通りは叶わなかった。これからどうしたものかと思いながら、白い廊下を道なりに進む。


「よっす、剣豪くんじゃないか!」

投げかけられた喧しい声に目を上げれば、向かってくるのは保安部・隊長のメイリーンだ。長い襟足を結んだ独特の髪型と、灰色の髪、中央所属を示す赤いリボン。それから、胸が覗くほど着崩した濃灰の隊服。ヴィクターは僅かに眉を寄せる。あまり会いたくない相手だった。メイリーンは挨拶とばかりに詰め寄って、覗き込むように首を傾げる。

「ここのところ見かけなかったなあ、元気にしていたか? 先生稼業は順調かぁ?」

「やめろ、話がしたいだけなら至近距離でそうぴょんぴょんと身体を揺らすな鬱陶しい。……新人教育は面倒事も多いが、人から心配されるほどのことじゃない。呼びとめた用事はそれだけか?」

「なんだ、つれねえなあ、教育者同士、腹を割って喋ろうぜ! それ、生徒から没収したんだろ? そいつも可哀想だな、新品の本を持って行かれるなんて何したんだ? 授業中に内職か? なあ、何されたんだ?」

まくし立てて距離を詰めてくるメイリーンを睨み付け、ヴィクターは返す言葉を探す。

「……別になんだっていいだろ、いや。俺はこれを『持って歩いていた』だけだ。なぜ生徒から没収したのだと思う」

「違ったか? そんなら自分で買ったのか? んなわけないよな。だったらハダカのまんま持ち歩くなんてしないはずだ。裸? ハハハ! 中身知らないんだろ、そうだろ!」

おかしくて仕方がないというようにメイリーンが笑う。指さして手を叩くような大笑いに、ヴィクターは気分が悪くなる。

「何が言いたい?」

「ハハ、聞くより手の中のものに訊ねてみたらどうだ? 『ノックノック、私に答えを教えてくださいな』ってな。オレはもう行くからごゆっくり! 一人で読めよ、忠告だ!」

ジュリアにも教えてやろ、と叫んだメイリーンは腕を振り、笑いながら去って行った。ヴィクターは息を吐き、頭痛をこらえた。巡査隊長のジュリアなら言いふらしたりはしないだろう。どこかで本に目を通す必要があった。だが、メイリーンが戻ってこないとも限らない。邪魔の入らない場所について考える。ヴィクターは少し歩いて中庭に出た。茂みの中に入り、誰も居ないことを確認してからもう一度短絡路を開いた。



繋いだ先は、めったに帰らない自宅だ。柵の戸を押せば錆びた蝶番が軋む。蔓は払われているが、外壁の劣化も目につくようになった。近いうちに塗り直す必要があるだろう。鍵を開けて扉をくぐると、台所付きの居間はがらんとしている。

「帰った! グラナト、居るか?」

「はい、はい! 今、行く!」

ばたばたと走る音がして、奥から箒を担いだ若い男が顔を出す。紺で染められた提灯袖のシャツと幅広の履き物。つやのある黒髪をもつ男はグラナトといった。職業柄不在の多いヴィクターは、義理の甥にあたる彼を居候とし、邸宅の留守を預けている。

「なに、おかえり。ごめん、急ぎの用だった? 違う? ……珍しいね、叔父上がこの時期に帰ってくるなんて。講師の仕事はお休みの感じ?」

「そんなところだ。珍しく時間ができたからな」

もっともらしく相槌を打てば、グラナトはもの言いたげに微笑む。議会付きの魔術士の身分を持つヴィクターだが、面倒を避けるため、この血の繋がらない甥っ子には訓練校で剣を教えていることだけを伝えていた。どうにも懐疑的な目を向けられている気もするが、事実は事実なので殊更に弁明はしない。帽子を取り、壁の釘へとかけておく。無意識に懐を探ったが、指先に触れるのはリロイに見せようと思っていた占い用の石ばかりで土産になりそうなものは何も見つからなかった。グラナトに渡すものがないことに気がついたヴィクターは少し躊躇ってから、手の中にあるものを傾けてグラナトへ見せてやった。

「……悪いが今日は面白そうなものを持っていない。だが、知人から本を借りてきた。外は喧しい。ここでなら邪魔が入らず読めるだろうと持ってきたんだが、おまえ……知ってるか?」

真新しく固い表紙は皺のひとつもない。箒を壁に立てかけて、グラナトが表紙に目をやる。曖昧に向けられていた鳶色の視線は見る間に険しくなっていく。

「……叔父上? これって、見間違いかな、いや……」

グラナトが目を擦ってまじまじと見つめてくるので、ヴィクターは眉を上げ、手の中のものへ視線を落とした。

「なんだ? 危険なものなのか?」

「えっと……どうだろうね。誰に借りたの? ちょっと趣味を疑うよ。危険っていうか、これは、あれだろ、その……」

技法書だろ、とグラナトは言いづらそうに続けた。言葉の意味を取りかねて、ヴィクターは訊ね返す。

「技法ってなんの技法だ、爆弾の作り方でも載っているのか?」

「あー、うん。本当に知らない人の反応だ。技法って言うのはつまり、えーっと、あれだ。恋仲になった男女が初めて……同衾するときのお作法とか、余所の国の人にベッドの中で失礼を働かないための注意とかだよ。薬の作り方や、匿名の体験談とかもあってね。出版されてから長いんだ。もう八十年にもなるのかな? 歴史のある本だよ」

グラナトの話を聞いて、ヴィクターは顔をしかめた。

「理解した。理解したがわかりたくない。道理で見咎められるわけだ。生徒から巻き上げたのかと聞かれたが、否定しなくて正解だった」

そうそう今以上に面倒なことがあるとも思わないが、と呟いて腰を下ろせば、グラナトも倣って席につく。

「えっと……? 何、叔父上は誰とどういう会話をしたの?」

「あー、同僚に……体術の先生がいる。この本を持って歩いていたら生徒から預かったのかと聞かれた。特に否定はしなかった。あとは……ひとしきり笑われて、読んでみろと言われた。それだけだ…… ああ、さっきも言った通り、本は借り物だ。生徒からじゃない、俺個人の、知り合いからだ」

グラナトは額に手を当て、少し待って、と言った。ヴィクターは軽く頷き、本のページをパラパラと捲ってみる。字詰めは細かく、所々にルビの振ってある、古い書式の本だった。途中、調合のページを見つけたので、植物名と挿絵、特徴をかいつまんで手帳に書き付ける。

「……叔父上? 何か気になるところがあった?」

「馴染みのない草だ。毒性がないのなら植えてみようかと思ってな。問題は種が手に入るかどうかだ。まあ、こればかりはどうとでもする……」

答えれば、グラナトは曖昧に頷いたらしかった。庭仕事は真面目にこなすが、さほど乗り気ではないようにも見える。グラナトは話題を引き戻すように、その本のことだけどさ、と言った。

「叔父上はその本を知り合いに借りた。叔父上は内容を知らなくて、持って歩いているところを他の先生に見られた。知り合いに借りた本だけど、生徒から預かったものだと言った……って感じ? あってる?」

「訂正するほど間違ってはいない。若年層に人気なのか? 何が書いてあるのか目次を見てもよくわからないんだが……」

「古い文法で書かれた本だからじゃない? それか、いろんなことが雑多にまとめてあるからかも。読み応えもあるし、若い時分で自由になるお金があったら真っ先に欲しい本だね。おれも若いころは世話になったよ。あっ、おれは今でも若いんだけど。アハハ!」

グラナトが何かを誤魔化すように声を張る。禁術由来の不死によって長い時間を過ごしてきたヴィクターには、推定三十の男が若いかどうかの結論を出すことができない。笑い声に聞かぬ振りをし、首をひねったままページを捲り続ける。

「話をきいている限り閨の設えについて書いてあるんだろ? わざわざ編まれた書物に世話になるってことは、手引きをしてくれる相手が誰もいなかったのか? 俺の時は所属が変わるたびにこの手の作法をたたき込まれたぜ。他の風紀と同じようにな。どこでもそういうふうじゃないのか?」

「……それは、場所によるんじゃないかな?」

どこか含みのある眼差しで、少なくともおれのとこは違ったな、とグラナトは言った。

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