指輪-4(割れることのない鏡について)

再度の口づけが落とされ、秘密にするから教えて頂戴、とミルカは続けた。腕の中で、ヴィクターは動揺を隠そうとして失敗した。急なことに思考が追いつかない。

「困ったような顔で誤魔化さなくったっていいのよ。あなた、シャノンと親密な誰かなのでしょう?」

ヴィクターは戸惑うばかりだ。胸を満たす狼狽は全くの本心から来るもので、断じて見せかけのものなどではなかった。ヴィクターは止まりかけた頭を強いて話を理解しようと試みる。親密な、と形容されたことで、ミルカの言葉に文脈が載った。つまり、鎌をかけたのではなく、この短時間のやりとりでそこまで掴んでいて、その言葉が出るような何かをこの女は見いだしている。もはや言い逃れの隙がないことに気が付いて、ヴィクターは胸に沸いた苦い思いをぎゅっと抑え込む。長いため息をついて、手の平を振ってみせた。

「……わかった。わかった、降参だ。確かに俺はシャノンじゃない。騙すような真似をして悪かった。しかし、いつ気が付いた? 完璧だったとは言わないが、努力はしたつもりだ。一体どこでそうだと知れた?」

ミルカは寝転がったまま首を傾げ、んん、とどこか弾むような調子で言った。

「あなたが部屋に入ってきたでしょう? 足音でわかるわ。シャノンはもっと…… もっと、何かしらね。でも違うってすぐわかった」

ヴィクターは目を見開いた。ミルカは手を撫でる。

「そうね、あとは喋り方かしら。言葉選びは完璧、でもイントネーションがちょっとだけ違う。シャノンはずっと外にいたから、こんな時じゃなかったら誰かの喋り方が移ったのかなって思っていたかもしれない。それが二つ目。それから、シャノンは私に対してそんなに丁寧には話さない。私のことをシャンタルって呼ばなかったのも、言ってみればちょっと変。きっとここへきたのもシャノンに頼まれてのことでしょう? 折り目正しいあのひとが変な事ってするわけないものね」

なにか見立てに間違っているところがあったら忌憚なく教えて頂戴、とミルカは言った。

「……いや、まったくもってそのとおりだ。俺はシャノンに頼まれてここへ来た。話が……話が早くて助かるが……」

「そうでしょう、そうでしょう。そうじゃないかって思っていたのよ」

予想が当たって嬉しいとでも言うのか、ミルカは得意げな顔をする。ヴィクターは言葉を失った。

「話が早くて助かる、っていったかしら? そういって随分といやそうな顔をするのね。お褒めに預かり光栄。わたし、シャンタル。シャンタル・ミルカ、ラクテセンの娘! ね、これまでと変わらずミルカと呼んでちょうだい!」

遠慮はしないで、お願いよ。ミルカは言って愛想良くにこりと笑ってみせた。



「……知っていたなら、先に言ってくれ。そうすれば俺はシャノンのふりなどせずに済んだし、何より……不義理を働かず済んだ」

途切れ途切れにそう言ったヴィクターに対し、ミルカは心底驚いたような視線を向けた。

「何を言っているの? あなた、シャノンの代わりに来たのでしょう? きちんと仕事を果たしたのよ、なにを悪く思う必要があるの?」

ヴィクターは再度絶句した。婚外子の話と、財産の話と、感情の話と、どれを説けば目の前にいる人間を納得させることができるだろうかと考え、そもそもこの身体はシャノンのもので、自分は言われたとおりシャノンの責任によってここに来たのだと思い出した。

「そう、そうか。そう、かもしれない。……いや、本当にそうなのか?」

自失から一向に回復しないヴィクターを見て、ミルカは心底おかしそうに笑った。

「あなた、神経が細いのね。頼まれごとの裏側を気にしていたらおかしくなってしまうわよ。ねえ、あなたは私のこときれいだって思うかしら?」

「は? ああいや、失礼した……どうだろうな。その、けして悪いものではないとは思うが……いや、いいや。あまり人の『身内』にあれこれというものではないだろう? 俺にも立場がある、このあたりで勘弁してはいただけないだろうか」

「あら、あら! ウフフ、悪くない。悪くない、ね……」

きゃらきゃらと声を上げるミルカに、ヴィクターはどうして良いかわからず口を噤んだ。

「ここには私とあなたしかいないのだから勝手なことを言ったら良いのに、遠慮するなんて面白いこと! こういうこと聞かれるのって好きじゃないかしら? 良いのよ、答えなくたってわかるわ。思い悩む必要はないの、顔を見ればわかるもの」

ヴィクターは口を開閉し、何かを言おうとして二度失敗した。そうして三度目に挑むより前にミルカが再び口を開いたので、ヴィクターは心にわだかまるなんとも言い表しがたい違和感を押し込め、伝達そのものを諦めた。

「あなたはちゃんと嫌な顔をするのね。そういう態度って好きよ。みんな私の前じゃ心に嘘をつくの、私があんまりきれいだから! ……そう、きれいなの、誰に聞かなくったって周りが信じさせてくれるくらいよ。好きになったら気に入られたいでしょう?」

くつくつと喉を鳴らして、ミルカは少し目を細めた。湿り気を帯びた雲の棚引く、赤い日没のような気配を纏って女は言う。

「でもね、それじゃいけないってわかってるの、花の命も永遠じゃないわ。いつか、愛想を尽かされるときが来る。あなたみたいな人って素敵だと思うわ。私の見た目が変わっても、きっと態度を変えないでいてくれる」

矢継ぎ早に投げ込まれる言葉に、何を聞かされているのか段々わからなくなってくる。ヴィクターは混乱したまま、口を噤ませるほどの美貌を持つという娘を改めて見た。整っているとは思うが、そこに言われたような強い欲望を感じるかと問われれば否だ。

「そうか、そこまでの……いや、失言だ今のは…… 忘れてくれ、健康そうだとは思うが、俺には人の見目というのはよくわからない。門外漢の言うことだ、怒らないでくれると助かる……」

「あら、あらあら! あなた、他所の国の人だったりするのかしら? そうよね、東の方の訛りだもの。どうして気が付かなかったのかしら」

高められた声は楽しげで、瞳孔は興奮によってか僅かに開いている。怒っている訳ではなさそうだったが、噛み合ってるようでどこか外れたような会話にヴィクターは竦んだ。



「お話きかせてちょうだいな。興味があるのよ、私、いろんなことが知りたいの」

首に腕が回されて、ヴィクターは身体を強ばらせた。

「待て、なにをする気だ……?」

「寝転んですることはお喋り以外にもあるでしょう? あなたはお話をしてくれたらいいわ、わたしは務めを果たすから」

腕を滑る手の平にヴィクターはぞくりとした。乳房が寄せられ、むにゅっと柔らかに形を変える。鎖の先の飾りが跳ねた。再度の誘いだ、と思ったときにはもう乗り上げられている。

「やめろ、待ってくれ、種明かしはしただろう!? シャノンとやれ、そういうことは……」

「もう、大きな声出さないの。傍仕えの子が聞いたら私たち二人とも怒られちゃうわ。今日はあなたが代理なのでしょう? いいのよ、なんにも気にしなくたって」

「気にしなくたっていいって…… 俺が気にするんだ、シャノンに一体なんて言ったらいい……」

身体の下でヴィクターは逃れようともがいたが、ミルカの身体は動かない。シャノンにはもっと鍛えろと言っておかなくちゃならないな、と混乱した頭はどこかずれたような答えをはじき出した。伸ばした手がシーツを滑る。

「別にどんなことを言ったって、咎め立てなんかされないわ。あなたをここへやったのはシャノンなのでしょう? 頭の硬い人ね」

頬を膨らませたミルカに、ヴィクターは混乱して目を泳がせた。せめて少し落ち着こうと両手を重ね合わせれば、引っかかりのない指が感触として返った。

「帰してくれ、こんなことは俺の本意じゃない。あまりこういうことは言いたくないが、退かないというのなら実力行使も視野に入ってくる。俺はシャノンの良い人へ悪しき手出しをしたいわけじゃない。なあ頼むぜ……わかってはくれないか」

良い人、と繰り返したミルカは恥ずかしそうに頬へ手をやった。ひとしきり謙遜するような言葉を零した顔は戻ってくると同時にまことしやかな表情へと変わる。微笑みは湛えたまま、表情が一息に抜け落ちるのを目の当たりにしてヴィクターはたじろいだ。

「なあんにもしらないの、そうよね。本当に誠実な人。ああでも、シャノンに頼まれてここへ来たのだったら、それだけはきっと間違いない。あの人とはさぞ気が合うことでしょうね、妬ましいこと」

言うなりぱっくりと開いた口に、説得に失敗したな、とヴィクターは思った。

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