指輪-2(混迷を呼ぶ魔術装備について)

見慣れたはずの廊下も縮尺が狂って見える。ヴィクターは肩を貸す男の重量に辟易し、この様子ではシャノンといても行動不能レベルの怪我はできないな、と思った。扉の掛け金ラッチを空いた方の手で片手間に外し、開けた隙間に靴をねじ込み蹴り開ける。

「リロイはいるか?」

叫ぶように言ってから、ヴィクターは喉を押さえて咳き込んだ。書き物をしていたリロイは顔を上げ、見たこともないような表情でぐったりしている相棒と、彼を支えながら喉を押さえる後進の男を交互に見た。見知ったはずの年若い男は、普段の甘い微笑みの代わりに鋭い目つきを携えて、怒らせた肩もそのままに苛々と咳払いをしている。リロイは険しい顔で二人を見比べた。

「………………一体なにがあった?」

「『チェンジリング取り替え子』だ。身体が入れ替わってしまった。シャノンに……ここは俺にって言った方がわかりやすいか? ともかく薬を出してくれ、頼んでいたものがあるだろう」

シャノンの姿をしたヴィクターは声を低めて言う。凄むような顔つきと声に、リロイの当惑が深くなる。

「……ややこしいときに面倒が舞い込んできたな、ヴィ……ではないな。シャノン、辛いだろう。薬を用意する、座って楽にしていなさい」

そう言ってリロイは薬瓶を取りに行った。もはや聞くのも辛いのか、あるいは自分に向けられた言葉だと気付かなかったのか、シャノンが立ち尽くしたまま微動だにしないのでヴィクターは手を引いてスツールへと座らせてやった。

「……ヴィクター、この後の予定は」

奥歯を噛み締めながらシャノンは呻くように訊ねた。目の焦点は合わず、身体は僅かに震えている。ヴィクターは少し眉を上げ、しかしそのことには触れなかった。

「俺はなにも。シャノンは? その言い方だと何かありそうだな」

「こ、公務が…… ミルカに会わねばなりません……すみません、ちょっと失礼……うえ」

呪い剣の柄を握り、シャノンは苦しげに口元を押さえた。血の気の引いた顔は真っ白で、今にも吐きそうといった様子だ。気付いたヴィクターは提げていた酩酊剣をちょっと開けて、シャノンに嗅がせてやった。

「……落ち着いたか? 契約の破棄を急ごう、終わったらすぐにでも城へ送ってやる。それなら多少手間取っても会合には間に合うはずだ。酒はあるか?」

「私の部屋に戻れば瓶が……いっ、いえ、いけません。両者飲まねばならぬのでしょう? 酩酊状態で行くわけには」

「ああそうか、人に会うんだものな…… しかしどうするんだ? 連絡して延期させるか? 緊急事態だ、俺の口添えで済むようなことならなんだって言ってやる」

流石に酔いを覚ます時間はないな、と呟いたヴィクターに対し、シャノンは少し考えを巡らせたようだった。痛みが引かないためか表情は苦しげだが、目はまっすぐヴィクターを捉える。

「いえ……私の代わりに行ってはくださいませんか」

「……正気か? 俺にお前の代わりを務めろと? 公務っていったよな。機密もあるだろうに、一体何を考えている?」

「ちが、違います、会合なのですが、言わばミルカに会うだけなのです。ただ、予定を替えることが出来ないので、こうなってしまった以上、誰かが行かねばなりません。……頼みます、どうか」

あなたしか頼める者がいないのです、と言ったシャノンが苦しげに目を伏せたのでヴィクターは口を閉ざした。沈黙に何を思ったか、黙っていれば事は済みます、しばらくそこにいるだけで構わないので、と食い下がってきたので、押しに負けたヴィクターは嫌々承諾した。戻ってきたリロイにシャノンを預け、用が済み次第すぐに戻ると言い置く。

「……面倒をかける。シャノンを頼むぞ」

唇を噛むようにしていったヴィクターに対し、リロイは少し目を細めただけで何も言わなかった。



その後、空間を裂こうとして二度失敗し、苛立ったヴィクターはシャノンの手を掴んで家へと短絡路を繋いだ。そうして時空剣を掴んで戻ってくると、不馴れな手つきで短絡路を開き、今度こそアレスの中心地、白羊の城シャノンの生家へと飛んだ。


◆◆


今の心を端的に表わすならば、嘘をつけと言いたかった。何故こんなことになったのだろうな、化粧台の鏡を覗きながらヴィクターは思う。薄い体、癖のある亜麻色の髪、神経質そうな眼差し。それらが全て自分の一存で動く。ヴィクターは椅子に座り、頬にブラシの滑る感触を追う。撒布薬は甘く鼻をくすぐった。鏡の中からは見慣れない格好のシャノンが別人のような目でこちらを睨んでいる。

「ずいぶんお疲れのようですね……」

刷毛を持っていた若い男が気遣わしげに言う。ヴィクターはシャノンを真似て困ったような笑顔を作った。中身が入れ替われど癖は身体に染みついているようで、顔は存外素直に動いた。これを、といって従者から渡された鎖を手に取る。以前リロイの元で見せてもらったものだ。女王の神託も馬鹿にならない。促されるまま鎖を広げ、そこで初めて着脱法を知らない事に気が付いた。上がどちらで、どう腕を通せば良いのかもわからない。まずいなと思うが時間は止まらない。怪しまれまいと動揺を押し込め、ただ場当たりの自然を装う。

「……うん?」

案の定、鎖はうまく渡らない。細かなところまで突っ込んで訊ねておくべきだったな、と思ったが、今更どうなるものでもない。次の手を考えていると、労しげな目をした青年が横から鎖を取る。ヴィクターは内心冷や汗をかいた。

「私がやりますよ。学業の方が忙しいのですか? 僅かな時間も惜むお心はわかりますが、あまりご無理をなさってはいけませんよ。ほら、手が震えているじゃありませんか」

やんわりといさめるのにも似て声がかかる。いたわるようなそぶりは見せれど、部屋に返してくれたりはしないのだな、とヴィクターは思う。それにしたってシャノンの生真面目もここまで来ると病的だ。使用人に仕事中毒を指摘されるというのは相当だろう。あるいはこの手の不摂生そのものが慢性化しているのか。ともあれ。

「……どうにも、そのようです。お任せしましょう」

ヴィクターは少し眉を下げて笑い、努めてもったいぶった話し方を心がけた。青年は気にする様子もなく、薄い衣装と鎖とを手際よく着付ける。なるほどシャノンの言葉通り、人任せでも存外滞りなく進むようだ。鎖が身に渡れば、ミルカ様がお待ちです、と促される。カーテンをくぐり光の差す方へと向かえば、部屋の中には乳色の肌をした女が一人、淡い光に包まれて待っていた。

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