番外・魔術士乱舞編

佳原雪

おおよそ今より未来の話

入れ替わりの指輪の話

指輪-1(誓いをもたらす指輪について)

石造りの空間にチャカチャカと爪が鳴る。ヴィクターが足を踏み入れると、広間の中央には女王がいた。黄鉄鉱色褪せた金色の巻髪をもつ細い体躯の少年。女王ディアナと飼い犬ドゴ。あるとき議会へ出現し、十三相当の姿から何年も変わらない男。その回りを、不相応に大きな銀色の獣がゆったりと回っている。

「やっぱりディアナか、こんなところで何してるんだ?」

「ああ、さっきまで議長と話していたんだ。押収品だよ。見る?」

女王の差し出す両手には袱紗ふくさが握られている。受け取れば中には対の指輪が包まれていた。紋の刻みにヴィクターは眉を寄せる。これは『寿命の踏み倒し』に使う魔術道具だ。魔術の研鑽は膨大な時間を必要とした。指輪は他者と自身の人格を入れ替える。殺害によって奪った身体は手元に残り、他者の命と引き換えに魔術の研究は引き継がれた。誰が作ったかまでは知らぬが、押収もやむなしの禁制品。それが今ここにあった。

「……本物か?」

ヴィクターは端的に訊ねた。

「本物って? 質問の意味がわからないよ」

女王は指輪の片割れをひょいとつまみ上げた。ヴィクターはぞっとして手にした指輪を放り出しかけたが、議長からの借り物だと思い出してなんとかとどまった。

「ディアナ! おまえ、そんな迂闊に……いや、なんともないな、砕かれているのか?」

「質問の意味がわからないよ。きれいだね、これ。はまっている石は本物みたいだ……」

曇ったガラスを拭くように息を吹きかけたディアナは不思議そうに首を傾げた。

「どうやら石は本物らしいが、今の行動と石が本物であることに関連性が見いだせない。ヴィクターはどう思う、なにか知っているかな」

ディアナが指輪を目の高さにまで持ってくる。台座の金と白い石が電気照明にきらめいた。目を細めたヴィクターは、石のもつ熱伝導率と、その特性のために曇らない旨をそれぞれ教えてやった。

「……なるほど、そういうことか。ありがとう、ひとつ賢くなった」

「そりゃどうも、この調子でどんどん賢くなってくれ」



「いやしかし、精巧な造りだ。効果のおぞましさは別として、これなら単体の美術品としても十分通用する。これを仕上げる彫金の腕があればなんだって作れようものを。いや、だからこそか? 一体誰がこんなもの作るんだろうな……」

「誰がって、術士だろう? うん? ああすまない、先に謝っておく。いや、これも言わない方が良かったか」

「……あー、あー? そう、そうかもな……」

ディアナの言葉は返答を待たず完結した。悪趣味な指輪を作るのは術士以外ではあり得ず、同時にそれは自明の理だ。未来視。女王の謝罪と『言わない方が良かったか』の意味を瞬時に理解し、幻視の中で自分は言い返すか怒るかしたのだろうと察しがついた。

「……おまえの見た俺は『分かっているなら言うんじゃない』とでも言ったか? いや、いい、今回は不問にしてやる。だが人の頭を覗くような真似はやめてくれ。やられる方は楽しいもんじゃないからな」

「気をつけるとしよう」

神託はどこまでも気まぐれだ。注意していればどうなるというものでもなく、女王の悪癖は直ったためしがない。ヴィクターはやりとり全てを忘れることにして、指輪を再度まじまじと見た。裏の紋は細かく、完全な解読は難しそうだった。

「面白いかな。どんなことが書いてあるんだ?」

積極的に聞いてくるわりには興味のなさそうな言い方をするんだよな、とヴィクターは思う。解説をしてやるべきか、それとも誰か捕まえて話を逸らすべきか。近付いてくる足音はちょうど広間の入り口にさしかかる。偶然を装って振り返ったヴィクターは見知った顔に眉を上げる。

「……おや、こんにちはヴィクター。それにディアナも。来ていたのですね」

「ああ、シャノンだったのか。お前が一人でいるのは珍しいな」

優雅に一礼し、公務がありましたので、とシャノンはどこかおっとりした雰囲気のまま答えた。お二人は何をしていらっしゃったのですか、と訊ねる途中、ディアナの持つ白い指輪に目が寄せられる。

「見慣れない品ですね。魔術道具の類いと見えますが、本日の話題の中心はそちらの指輪のことですか? ディアナ、少し見せていただいても?」

「ん? いいよ。借り物ではあるが、見せていけないとは言われていない……」

ディアナは手にした指輪を無造作にシャノンへと差し出す。待てと叫ぼうとしたが遅かった。指輪が手に渡った瞬間、カチ、と音がして、ヴィクターは自分の迂闊を呪った。目を開けると、視線が僅かに女王と近い。女王の目を覗き込めば、湿った眼球に映る姿は見慣れた弟子のものだ。手に握られた指輪を見れば、それは金色をしていない。

「ディアナ……ちょっとこれを持ってみろ」

「シャノン? じゃないね、ヴィクターか。その姿だと変な感じがするね……」

女王は指輪を手に取り、くるくると眺め回すとまた元のようにヴィクターの手に握らせた。ヴィクターはシャノンの姿で舌打ちをする。

「ヴィクターか、じゃない。俺の言いたいことがわかるな? 指輪の効果は生きていた。なんでお前は平気なんだ?」

「どうだろう、それに関してはわからないな。ごめんね、怒っているんだろ?」

飄々とした物言いに、ヴィクターは苛々と床を蹴った。慣れない靴は動きづらく、分厚い手袋は煩わしい。それらのことはヴィクターを益々苛立たせた。

「謝るな。上っ面だけなぞった謝罪なんぞ、されたところで頭にくるだけだ。解除法は? あるんだろう?」

「あると思うよ。議長に聞いてくるね…… ドゴ、おいで」

女王が抜け、シャノンとヴィクターは二人きりになった。どうやら大変なことになってしまったようですね、とシャノンは酷く青ざめた顔で言った。

「それで、あの、ヴィクター、こんなときに申し訳ないのですが、少し気分が……」

普段通りに微笑もうとしたのか、口が引きつったように動く。人といるときのように取り澄まそうとしては上手くいかずにもがいているようだった。見慣れたはずの顔と覚えのあるような表情とが、揃って馴染みのない形に歪んでいくことにヴィクターは奇妙な感慨を覚える。

「無理に喋らなくていい。わかってる、具合が悪いんだろう。疼痛緩和薬を切らしていたからな」

目線より僅かに高い位置にある青い顔を眺めながら、俺はこんな顔をしているのか、とヴィクターはどこか他人事のように思った。



戻ってきたディアナに対し、ヴィクターは開口一番『待ちくたびれた』と言った。ディアナは悪びれた様子もなく成果を報告する。

「すまないね、聞いてきたよ。契約破棄のブルーデルシャフトをするんだそうだ」

ブルーデルシャフト、とヴィクターは繰り返した。腕を絡めたまま盃を交わし誓いを立てる、古い形式の契約技法だ。それを契約破棄のためにやるとディアナは言う。

「……とんでもない話だな! いや元々がとんでもない契約なのかこれは……」

顔と人生を奪うというのは前提からして軽いものではない、そう呟いてヴィクターは唸った。

「それで、使うのは何でも良いのか?」

「うん。ああ、でも形式通りの方が治りが早いそうだ。指輪はつけて、口にするのはアルコールで、器はペアが良いって言っていたよ。あと口? 口が何かは知らないな。元々あるものを壊す性質上、破棄は簡単だって話だ。どこがどう簡単なのかはわからないけれど」

その口ぶりから、前半は議長で後半は神託由来のものだな、と察しがついた。これ以上の対話は無駄だと判断し、ヴィクターは会話を打ち切る。

「もう十分だ、その辺は俺の方が詳しい。聞いてきてくれたのは助かった。それに関しては礼を言う。……俺個人としては半分くらいディアナのせいだと思っているが」

「手伝えることがあったら言うといい。能力的に可能ならなんだって手を貸そう」

「戻ったらまず殴っても良いか?」

「議長が良いって言うなら構わないよ。私の側には別に断る理由もない」

好きにしたら良いよ、と言った女王の顔は凪いでいる。あまりにも平然と言ってのけるのでヴィクターは気分が悪くなった。

「お前のそういうところ、嫌いだ。まあいい、何かあればまた来る……」



とりあえず帰るぞ、と言ったヴィクターの手は無為に腰を滑る。手元を見ればアレス式の手袋を履いており、甲にかかる長い袖口だって枯草色だ。

「……ああ、そうかそうか、そうだよな! これは俺の体じゃないんだったな!」

低い声で苛々と言い、ヴィクターは咳払いをした。思うように声が出ず、喉にも違和感がある。

「……ヴィクター、頭に響くので、あまり近くで大きな声を出さないでいただきたいのですが……」

「おっとこれは失礼……」

か細い声と甘い発音で喋るのは聞き慣れない声だ。ヴィクターは革手袋に包まれた手を取り、指先を握ると腕を振り上げて空間を裂いた。ついさっきまで自分のものだったはずの腰へと腕を回し、記憶しているよりも随分重く感じる身体を引き寄せると、光を放つ輪の中へ自身共々飛び込んだ。

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