第四話 夢
「ふふふーん、ふーん。」
その日、栄子はご機嫌になって仕事をしていた。
「どうしたの、栄子ちゃん、ご機嫌だね。
あ、もしかして、彼氏でもできたー?」
「え、やだ、違いますよ〜。ちょっと嬉しい事があったんです。」
あまりにご機嫌な栄子を見て、バイト先の店長はちょっと下世話なことを聞いてくる。
まぁ、彼氏ができたらもっと最高だけど…
それは口に出さないでおいた。
「あ、そうだ。今日チーズパン買って帰っても良いですか?」
「お、いいよいいよ。
あそこにあるのが最後だから、閉まる前に買っちゃいな。」
「ありがとうございます!」
店長の気遣いに感謝しつつ、栄子はいそいそとチーズパンを手にする。
遥、喜んでくれるかなぁ。
「ありがとう、栄子。」
そう言って嬉しそうに受け取ってくれる遥を想像しただけで、栄子の顔はまた緩んでしまう。
「彼氏できたわけじゃないって言ってたけど、好きな人でもできたの?」
また、店長が聞いてきた。
「え?違いますよ?」
遥が行方不明になっていたことはもちろん言っていない。
だから、本当の事を言えず誤魔化していたのだが、まさかそんなことを聞かれるとは思っていなかった。
店長はそうなの?と首を傾げる。
「てっきり、そのチーズパン大好きな人にあげるのかと思ったけど。」
「まぁ、大好きな友達なので間違ってはないですけど…」
「そっか。でもまるで恋する乙女みたいな顔してたよ。」
「えぇ?あり得ないですよ!」
遥に私が恋!?
あり得なさすぎて笑ってしまう。
全く、いい歳したおっさん店長は、女子高生の色恋が本当に大好物なんだから。
と、栄子はほんの少し呆れた。
「ま、高校生って言ったらめちゃくちゃ楽しい時期だからね。
俺もこう見えて昔はさー」
「無駄話してたら奥さんに叱られますよ。」
「やべ、めっちゃ睨んでるわ。」
いそいそと厨房に戻っていく店長。
案の定、厨房で待ち構えていた奥さんに、何か言われていた。
「でね、遥が帰ってきたの!」
バイトから帰宅して早々、リビングに駆け込むと、栄子は秋穂にそう報告した。
テレビを見てゆっくりしていた秋穂は、元気よく帰ってきた娘に驚く。
心なしか鼻息も荒い。
「そ、そう。良かったね。」
あまりの剣幕に、呆気に取られた秋穂はそう答えるしかなかった。
その返答が不服だったのだろうか、栄子は不満げな顔をする。
「嬉しくないの…?」
「え、ううん、そりゃもちろん嬉しいよ。
それに、ずっと心配してたし。」
そう、秋穂は何も言わなかったが、本当は遥を探すのは辞めて欲しかった。
もし、何かトラブルに巻き込まれていたら、栄子に危害が及ばないと言い切れる訳ではない。
だけが、友人のために必死になっている娘のことを何故止められようか。
そこまで友達を大切に思える娘の事を誇らしくも思った。
「でも、良かったね遥ちゃん。
結局、なんで行方不明になってたの?」
「それがね…」
路地に入ったけど、記憶がないんだって。
なんて事を言えるわけもない。
「あー、なんか、家族と喧嘩して友達の家にいた?らしいよ。」
「何それ。人さわがせね。」
秋穂の言葉はごもっともな意見だろう。
しかし、栄子はそれにムッとしてしまう。
「何、その言い方。」
「え、何が?」
急に怒り出した栄子に、秋穂は戸惑う。
そんなに悪い事を言った?
と、疑問が浮かぶ。
「遥のこと馬鹿にしてるの…?」
「え、してないわよ。ただ、要は家出って事でしょ?
何だか、そんな子だったのね。って思っただけよ。」
「違うよ!遥は…!」
反論しようと思ったがやめた。
言っても信じてもらえないだろうし、万が一言ったことでまた遥が馬鹿にされたら最悪だ。
「もういい、寝る。」
「え、栄子!?ちょっと、栄子!」
秋穂の呼ぶ声を無視して、栄子はリビングを出て行った。
そして、どんどんと怒りのまま階段を登る。
「えぇ…」
秋穂は娘が急に怒り出した事に違和感を感じていた。
しかし、自分の言動が娘を傷つけてしまったのかもしれない。
遥ちゃんがいなくなって随分気を張り詰めてた。
それは栄子にとって、ものすごいストレスだったのかもしれない。
そう思うと、あの言葉はまずかったか…
と、秋穂は1人反省した。
一方栄子も、先程の自分の行動を深く反省していた。
あんなに怒らなくても良かった…
でも、なぜか遥の事を悪く言われた瞬間頭がカッとなって…
しかし、それも束の間、自室に戻り時間が経つと、気持ちは鎮火していた。
「あぁ…やっちゃった…」
お母さんに謝らなきゃなぁ…
と、栄子はつぶやく。
あ、お風呂も入っていないや。
お腹もすいたなぁ…
と、考えていると、携帯が鳴った。
誰だ?
画面を見ると、「康平さん」の文字。
あぁ、遥が見つかった事かな。
電話番号は消していたが、着信拒否にするのを忘れていた。
栄子は遥にお願いされた事を思い出し、電話を切った後、すぐに着信拒否に設定した。
そしてそのままベットにダイブし、うとうととし始める。
あぁ、眠たいなぁ…
栄子は、ゆっくりゆっくり眠りの世界に入っていった。
夢…?
真っ暗な場所で、栄子は1人立っている。
声は出ない。
ふわふわと浮いているような感覚。
この前見たような夢だ。
しかし、今度はただ真っ暗なだけ。
前回のように、遥はいない。
「わーい!あはは!」
どこからか小さな女の子の楽しそうな声がする。
姿は見えない。
「遥ー、こけるわよ。」
次に聞こえて来たのは、女の人の声。
優しそうな声で、「遥」に話しかける。
どうやら女の子は遥のようだ。
「おかあさーん!これ、すごいでしょー!
シロツメクサの花冠!お母さんにあげるね!」
「まぁ、すごい。ありがとう。」
「お母さん、お肌が真っ白だから、お花がとっても綺麗だね!」
「そうかしら?この肌が遥に似なくて本当に良かった…」
「えー?私お母さんみたいになりたいよー?
だって、綺麗だもん!」
「遥…私の大事な大事な宝物。大好きよ、遥。」
「私も大好きだよ!おかあさん!」
微笑ましい親子の会話。
だけど、相変わらず真っ暗な世界で声しか聞こえない。
「お母さん、私ね、高校生になったよ。
大事な友達もできたの。栄子って言ってね。
ちょっとお母さんに似てるの。」
今度はいつも聴き慣れた遥の声。
だけど、何だか悲しさを含んだような声だ。
「キャァー!先生!先生早く来て!」
「どうしたの?…キャァ!!大丈夫!?大内さん!!大丈夫!?」
「違う…私じゃない…」
「能田!お前何やってんだよ!」
「私じゃないって!みんなも見てたでしょ!?」
何、この声…
何なの、一体…
「ほら、謝りなさいよ。」
「何その目?さっさと謝れっつーの!!」
「ヤダァ、汚ーい。」
「ここ片付けといてよね〜」
これって、いじめ…?
声だけしか聞こえてこないものの、内容はかなり酷かった。
おそらく栄子と出会う前、遥はいじめられていた。
だけど、これは夢だ。
だって、遥はそんなこと少しも言っていなかった。
だが、これを夢というにはいささかリアルすぎる。
「私、学校に行きたくない。嫌だよ…」
遥の泣き声が聞こえてくる。
その声に思わず栄子まで泣きそうになる。
もし、これが本当だったら、遥は心に深い傷を負っているはずだ。
普段見ていた明るい遥とのギャップに、栄子は戸惑う。
「遥…遥…私の可愛い遥。大丈夫、お母さんが守ってあげるから。ね、だから大丈夫よ、遥。」
最初に聞いた遥のお母さんの声だった。
でも、何か違うような…
栄子は何度か遥の家にお邪魔したことがある。
その時にご家族とも会っているが、遥のお母さんはもう少し高い声だったような…
「ね、栄子ちゃん。あなたも、守ってくれるわよね…?」
「ひっ!!」
栄子は、自分の小さな悲鳴で飛び起きた。
ドクンドクンと心臓鳴っている。
何、一体。
夢の中の話なのに、本当に話しかけられたかのような怖さ。
また喉がカラカラに乾いている。
しかも、今度はカタカタと手も震えている。
寒くはないので、これは恐怖からくるものだ。
震える手をぎゅっと握り、栄子は3度深呼吸をした。
大丈夫、夢だ。現実じゃない。大丈夫。
そう何度も自分に言い聞かせる。
時刻は4時を過ぎたばかりだった。
「栄子、おはよう。」
「おはよう、遥。」
結局あの後一睡もできず栄子は家を出た。
朝、秋穂が昨晩のことを栄子に謝ってくれたため、栄子も素直に謝った。
お母さんは何も悪くなかったのに、本当、私って…
と、1人自己嫌悪に陥っていたが、遥の顔をみた瞬間そんなことは吹き飛んでしまった。
遥と待ち合わせるのは大体まる駅。
ここから2人で他愛もない話をしながら学校へ向かう。
これが習慣だった。
「体調とか大丈夫?痛いところとかない?」
会って早々、栄子は遥の体を心配した。
「大丈夫だよ。いつも通り元気。」
ふふと、遥は微笑む。
その笑顔を見るだけで、栄子は充足感を味わえる。
「心配なの。ね、遥、もういなくならないでね…」
昨日からずっと、不安で仕方がなかった。
また遥がいなくなってしまったらと思うと、そう考えるだけで恐ろしくて仕方がない。
「うん、いなくならないから。だから泣かないで。」
「…うん。」
グズっと鼻を鳴らして、栄子は涙を拭いた。
道ゆく人が不思議そうな顔をして2人を見る。
いけない、これじゃ遥が私を泣かしたみたいに見えちゃう!
遥に恥をかかせちゃう!
「行こう、遥。」
「うん。」
気を取り直して、2人は学校へと歩いていく。
「あ、授業のノートコピー取ってきたから、後で渡すね。
後、昨日言ってたチーズパンも買ってきたよ。
もし体調悪くなったら言ってね。私が先生に言うから。
あ、体育とか休んだほうがいいんじゃない?」
矢継ぎ早に遥に話しかける。
それをうんうん、と嬉しそうに遥は聞いている。
チーズぱんを渡すと、思った通り嬉しそうに笑ってくれた。
栄子はまるで、遥を守る騎士の様だった。
少しでも遥にぶつかりそうな生徒がいたら、その瞬間身を挺して守る。
過保護ではないか?と言われそうだが、そんなことはない。
遥は行方不明の間不安だったはずだ。
私が遥を守らないと!
栄子はそんな使命感に溢れていた。
「そうだ、今日バイトだけど、家まで送るね。」
栄子がそう言うと、遥は首を横に振った。
「いいよ、大丈夫。」
「え?だめだよ。万が一あの路地に入ったらどうするの?
またいなくなっちゃうかもしれないし…」
「本当に大丈夫。栄子に悪いし。」
「だけど…」
「…お兄ちゃんが迎えに来てくれるから。」
康平さんが…
そうか、やっぱり康平さんも遥のことが心配なんだ。
わざわざ迎えに来てくれるなんて優しいなぁ。
と、栄子は思う。
「そっか、それなら安心か…」
「うん、ありがとう、栄子。」
遥はニコッと微笑んだ。
「いいの。遥が無事でいてくれたことだけが私は嬉しいんだから。
あ、康平さんといえば、昨日電話がかかって来たんだ。」
「でたの?」
「まさか。遥との約束だよ?破るわけないよ。」
「嬉しい、栄子、大好き。」
キューン、と、胸の奥が高鳴った。
あぁ、店長の言う通りだ。
これじゃまるで、私遥に恋してるみたいだ。
2人でのんびり歩いているうちに、徐々に学校に近づいていく。
同じ学校の生徒たちが増えていくに連れ、いつもと違うことが起きた。
「はるちゃん、おはよう!」
「おはよう、遥ちゃん。」
「ハルー!おっはー!」
「みんな、おはよう。」
遥を見つけた人たちが、声をかけていくのだ。
栄子は、遥がクラスの人以外と話しているところを見たことがない。
それなのに、急にいろんな人から声をかけられていて、栄子は困惑する。
男女問わず、中には先輩と思われる人もいて。
「遥、こんなに知り合いいたっけ?」
「うん、ちょっと前にね。」
手を振る人に、振り返しながら遥は答えた。
遥はあまり人付き合いが得意。と言う感じではなかった気がする。
それに、基本的に栄子と遥は一緒にいるため、交友関係は大体同じだ。
なんとも拭えない違和感。
「ねえ、遥…」
「うん、何?」
栄子が疑問を問いかけようと話しかけると、遥はあの優しい微笑みを見せてくれる。
「ううん、なんでもない。遥が無事ならそれでいいの。」
と、栄子は答えた。
私たちの悩み事 大豆 @mame0218
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