第十五話、或いは仕組み世界の






「……美しいですね」


 ダレンの呟きに、リュートがその視線を追えば聳え立つ塔が目に入る。ダレンは声音を変え、表情を変え、リュートに向き直った。そこには先程までの決断を迫るような圧と、どこか世を達観した無垢が失せていた。


「あの街のことについて、少しお話をしましょうか――」


 【天秤と剣の檻グラム】は〈愛と木靴のラティカ〉神殿の総本山であり、世に名高い姉妹塔に加えてその施薬院の功績において市民からの信頼が篤い。四つの神殿の内で唯一、エルフと直接的な薬学に関する知見の交換、共同の研究、さらにはエルフ秘蔵の薬品の売買を行う〈ラティカ〉神殿は、その医学的権威において他の追随を一切許すことはなかった。


「そしてもう一つ、〈ラティカ〉は自身の騎士団を持ちません。如何なる理由があろうと、ラティカは剣の権能、命を奪うために作られた道具を認めないということです」


 ダレンは【天秤と剣の檻グラム】の郊外、街道沿いの林でゆったりと澄んだ夜の空を眺めながら、この地の歴史的な背景や地理的諸特徴、さらにはそこから導き出されてくる経済や人の動きに至るまでをリュートに語ってくれた。恐らくは、リュートがひどい貌をしていたからだろう。そうして話を聞くうち、リュートにも平生の様子が戻ってきた。


「じゃあ、どうしてその〈ラティカ〉神殿が魔導士の処刑を行うことになったんですか? そもそも捕らえたのは〈アッティオール〉神殿の騎士団だと聞きました」

「……そうですね。それを理解するためには、いくつかの予備知識が要求されます」


 そう前置きしてダレンが先ず語ったのは、〈ラティカ〉神殿とエルフとの間にある確執だった。


「騎士団を持たないということは畢竟、魔導士狩りを行わないということです。そして、それがエルフ側からしてみれば気に入らない。リュート君、人の持つ魔力はいくつですか?」

「六つ、ですよね?」

「その通りです。では、エルフは?」

「七つです」

「そう。そして、それが人間に対するエルフ優位の根拠の全てです」


 以前、霧の中で行われた講義が頭に翻ってきて、リュートは頷いた。


「魔導士というのは『七つ目』の魔力を持つ人間のことなんですよ、リュート君」

「じゃあ、〈ラティカ〉とエルフは仲が悪いってことですか。あれ、それだとさっきの話と食い違いがある気がするんですが」

「ええ。実際、神殿とエルフの関係はかなり複雑です。それでも長い間、両者のバランスをうまく調節しながら平衡状態を保ってきてはいたんですよ」


 薬缶から茶を注ぎ足して、ダレンは湯気を立てる器をリュートへと差し出す。風が梢をざわざわと歌わせる。手の平の温みは有難い。


「それが、この年の芽春メリィに崩れました。エルフが一方的に薬品の供給を止めたのです」


 ダレンは左手の人差し指をぴんと立てる。


「エルフの出した条件は一つ。魔導士を処刑すること。当時、魔導士による大規模な暴動が持ち上がっていましたから、民意を味方につける形で〈ラティカ〉神殿の騎士団不要の体制に正面から食って掛かったわけです」

「ああ、その魔導士の暴動なら僕も知ってます。難民もかなりの数出ましたから。でも、その背後でそんなことがあったんですね」リュートはそう言いながら、ようやく己の現状とダレンの説明とが像を結びつつあるのを察した。


「まず、魔導士を捕らえるだけの騎士団ともなれば、組織するのにかなりの時間を要しますし、そもそもエルフの要求に屈するのか否か。そこから議論は紛糾していました」

「そこに〈アッティオール〉神殿が魔導士を摑まえたわけですね」

「ええ、そうです。〈美と錫杖のアッティオール〉が魔導士を〈ラティカ〉に譲ったという次第ですね。今後の教皇選抜に向けて、恩を売っておこうというのが狙いだとは思いますが」

「どうして、ダレンはそんなに詳しいんです?」


 リュートが訝しむと、ダレンは不敵な笑みを浮かべた。


「耳目の敏くない商人の息の根は絶える、ということです」


 そう言うと、ダレンは大きく欠伸をする。


「ダレンは寝てくださいよ。僕が番をします」

「そうですねえ。では、よろしく頼みましょうか」


 横になろうとするダレンに、申し出をしたリュートの方がかえって驚いてしまった。このままリュートが逃げ出して、街に駆け込んで人を呼べばアステラたち一行は一巻の終わりのはずだった。リュートの両手には今や縛めもない。リュートと彼らを結び付けている紐帯は【霧閉ざす地エズディア】での口約束を残すばかりだ。そのリュートに不寝の番を託すことの危険性にダレンが気付かぬ道理もない。


「はは、そんな不安気な貌をしないでください。リュート君は逃げない。私はそう確信していますよ」

「……どうしてですか」

「君は、人を謀るには向かない。素直すぎます。瞳が」


 それで本当にダレンは地面に寝転がって、あまつさえ焚火に、つまりはリュートに背を向けてしまった。ぬるくなってしまった茶をすすると、リュートは先刻のダレンよろしく空を見上げた。南の空に紅い星団が滲んで光っている。男神を追い詰める化け物どもの饗宴に見えて、リュートは眺める瞳を細くする。

 それでもリュートは腰を上げる素振りさえ見せない。ダレンの言った通り、リュートには初めから逃げ出す算段などなかった。足を組んで座し、遠く、夜に霞む山際に曙光を待つ。リュートは逃げるわけにはいかなかった。


 ふとアステラの寝息の灯る場所を見る。


「人を騙すには向かない、か」


 リュートは音もなく、苦し気に笑った。



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