第十三話、或いは光の境界線上で






 街道沿いの林に夜明かしのための火を熾す。宵闇が世界の色を変える時、旅人たちもまた、焚火の内側に一つの世界を保っておくのだ。夜と共にあるために、夜と一つのものにはならない。古くからの言い伝えには、そのような言葉が多いのだ、とダレンは言う。


 風がないのは幸いだ。夜の底は随分と冷える。

 どこかでふくろうが今宵の晩餐のために鎮魂歌レクイエムを吟じている。虫たちが恋の歌を奏でている。焚かれた炎が静かに呼吸している。薬缶がしゅうしゅうと鳴いている。


 夜が語る物語たちのために、リュートは己の耳が湿っていくのを感じていた。

 それから立ち上がり、光の世界の端まで歩いていく。


 ここまでリュートたちを運んできた雄馬が草を食んでいた。走るときの気迫も今はどこにもなく、鼻孔が穏やかな夜を吸い込んでは吐き出して、逞しい体躯を闇に預けている。その傍らに立つアステラは、なんだか一際小さくなってしまったように感じられた。アステラが馬の耳を掻いてやる。雄馬は心地よいのか穏やかに鳴いた。


「アステラさん」


 リュートはあの時以来初めて、アステラに声をかけた。灯火の世界の果てで半身を闇の中に埋めながら、星の魔女は蒼の双眸をリュートへ向けた。怪訝そうに眉を顰める。


「来ますね。朝から香ってましたけど、そろそろ」

「……何を言って――」


 アステラの言い尽くさぬ内に、彼女の足下に星の花が咲く。青く凛と燃える花弁が開くと、そのまま萎れ、果実を結び、弾けて一つの星になると夜の空に飛び込もうと伸び上がる。赤い小さな星の迷子は、アステラの脇腹の辺りにぶつかって消えた。雄馬が怯んで嘶いた。

俗に「暴発魔法」と呼ばれるものだ。魔導士は、時に、己の魔法を制御できない。魔導士たちが市井にて暮らせない最大の要因だった。


「あなた、『暴発』がわかるんですか?」


 リュートがこくん、と頷くと、それへの反応は彼の後ろから聞こえる。「ほう、それはすごい」ダレンが、湯気のくゆる湯呑を両手に立っていた。


「魔導士たちにとっては、垂涎の能力ですよ。それがあれば、街で暮らすことだって夢じゃなくなりますから」


 ダレンは湯呑をリュートとアステラの二人に手渡すと、焚火の方を指さした。すでにウィリングが糧食への突撃を敢行しているところだった。歩き出したリュートは、続かぬ足音に振り返る。「アステラさん、食べましょうよ」

魔導士の少女は、茶で唇を濡らすと空を見上げる。


「魔導士は火を恐れるんです。それは『人間』の証だから」

「僕たちは――」


 リュートは、そこで肺の中の空気が錆びついていくのを感じた。


「――僕たちは仲間、でしょう? 傷つけようなんて思いませんよ」


 瓢、と魔導士は笑む。


「火は、あったかい。それが嫌なんです」


 アステラが瞳の奥に忍ばせた決意は粘りのある鋼に似た輝きで、折れないな、とリュートに思わせるには充分だった。踵を返して、火の世界の中心に近づく。温かい。温かいから、怖い。リュートは、その言葉の持つ冷たさのことを、そっと考えていた。






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