第九話、或いは魔導士アステラ






 シャドウズは一斉に動き出した。

 血潮を浴びたくて疼く爪が地を抉る。ダレンが咄嗟に放った矢は、掠りもせずに飛んでいく。ウィリングも、全てを防ぐことは不可能だ。ましてや守らなければならないものは己だけではない。『護衛ガード』の額に冷や汗が伝う。


 ――どうする?


 その問いに続いた独白は、ウィリング自身さえ気づき得ないものだったろう。


 ――守れるものは「一つ」だけだ。


 全ての選択肢が最悪の顛末へと続くなら、そこに決断や覚悟は必要だろうか。ウィリングを動かしたものは、もはや意志や決意の類ではなく、追い詰められた動物の本能そのものだった。

 ロングブレードを目の前の黒い獣に突き立てる。顔面の半分を吹き飛ばされて、シャドウズは地に伏せた。しかし、そのウィリングの横を四つの影が過ぎていく。「っくそが!」 こころの中心に巣食っていた諦念に、現実が追いついていく。


「うわあああ!!」


 悲鳴は誰のものだろうか。多分、自分のものなのだろう。


 リュートは、迫り来るシャドウズを前にして、やはり、為す術もなく、ただそんなことを思っていた。だから、リュートはこの時、彼女がどんな貌をしていたのか知らない。


 くうに一条。剣閃が、その軌跡を光に変えてまだ残っている。

 影共はおののいて飛び退る。

 リュートが振り返れば、四つの光芒を縒り合わせた《剣座》を手に、アステラが立っていた。《剣座》は青い炎に鍛造されて、たちまち一振りの直剣に姿を変える。ウィリングのものよりも少し小さいか。ガードもつかないシンプルなものだ。


 アステラが前に進むと、リュートもダレンも、ウィリングでさえ、道を開いた。


「……え?」


 リュートがそんな間の抜けた声を上げたときにはもうすでに、辺りは夜空に姿を変えていた。星と星と星。天に満ちる光の粒とその隙間で踊る暗黒。極光の紗が天蓋を緩く包み込むその中で、星々の舞踏会が開かれる。金銀の光の奔流に目が痛むのに、見つめずにはいられない。夜の空のすべてがここにある。

 北の大地、早くも降雪が夜の冷気に鋼に変わる。呼吸を霜にしながら疾駆する狼たちの群れ、その長が、狩りの獲物を祈って吠えたてる最果ての星も。

 大切な人の無事を想い、窓をそっと開く。風はないけれど、静寂が空気を冷やしているかのようだ。しん、と寒い。それでもお腹の大切な温もりと一緒に見上げる、その流星も。

 「必ず帰る」という約束を、空に探す旅人。疲労は足首に噛みついて、次の一歩をあきらめるようにと耳の内側で蠱惑的な囁きを繰り返す。それを振りほどこうと願う先には、心の星。

 その中心に立つアステラが左の掌を差し出せば、蜜に群がる羽虫の如く、光の粒たちがそこへ結束する。青白い星の炎は魔女の手からあふれて、地へ零れる。銀のほむらに取り巻かれ、アステラは火炎の女王さながらに、その手の灼熱の果実を剣に纏わせた。


 刹那、白く燃える刃が無造作な一撃に変わる。


 剣士の間合いの遥か遠くから、直剣の軌道が影共に放たれて、世界を光に変えた。星が堕ち、すべてを壊す。その様をリュートは後ろから見ていた。

 光線が収束すると、かつての合奏場はその半分を完全に消失させ、裂けた壁からは霧の流動が覗いている。影共はもはや跡形もない。


 不思議な静寂に、風の音だけが波紋している。


 何か言わなければならないような気がしている。しかし、リュートには何を言うべきなのかはっきりとしない。そんなことをリュートが思い描いた時、耳元でウィリングが囁いた。


「わりいな、『案内人シーカー』」


 首筋に衝撃を感じる。驚く間もなく、暗転していく意識の底で、星色の髪を翻して去っていく彼女の姿と、銀木犀の匂いを感じていた。今、アステラはどんな貌をしているのだろうか。リュートは何故か、それを知りたいと思った。






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