かららん。


 ステラはギルドに来て、何かを忘れているような感覚になった。

 ギルドに用事があってきたけど、ここに来てはいけなかったような、何かが引っかかっているような、そんな気になった。何だろう。


「ここが冒険者ギルドなのか。外からは屋敷にしか見えなかったが、中はこんな風になっているのだな」

「まずは、エルの冒険者登録ね」

 エルはミリーとともに、空いているカウンターに向かっていく。

「私達も行こっか。エルの登録のあとにパーティー登録する」

「うん、行くのな!」


 ステラとスズはミリーたちの後を追うが、ギルドの一角が騒いでいることに気づく。

「なんだろ」

「騒がしいのな」

 自然と足は騒ぎの方に向く。

「あれは、アンナ? じゃないのかにゃ」


 騒ぎが起きていたのはアンナのカウンターの近くだった。

 アンナは若い男と口論していた。

「だから、教えてくれたっていいだろう?!」

「無理って言っているでしょ。守秘義務よ。冒険者なら知っているでしょう?」

 アンナが見上げる形で男を睨む。

「じゃあ、彼女の出した依頼を何なんだよ!?」

「それも無理。いい加減諦めて頂戴。あなたには依頼できない内容だもの」

 アンナは肩を竦める。

「諦められるかよ。彼女のためならなんでもしてやりたいんだ!」

「残念だけど、あなたが彼女の力になれることはないわ」

「そんなのわかんないだろ! 依頼を見せてくれるだけでいいんだ」

 男はお願いをしているような態度ではないし、相当苛立っているようだ。


「なにあれ」

 ステラが呆然とした表情で、その光景に釘付けになる。

 若い男は、今朝。適当な演技であしらったハンスだ。

 何をあんなに言い合っているんだろう。

「一体何があったのかにゃ」

「おう、なんだかな。あの男、朝ここに来ていた女に一目惚れしたようでな。その子に会いたいんだと。それでアンナさんから聞き出そうと躍起になっているんだ」

「え?」

「いい迷惑にゃ」

「だろ? そこのあんたと同じで、銀色の髪だったらしいんだがな」

 ガタイのいい冒険者が教えてくれた。


(私のせい……)

「スズ。今から私、アンナを助けに行くから」

 冷たさも怒りも感じない表情をたたえてステラは呟く。

「ステラ?」

 首を傾げるスズを置き去りにして、ステラはアンナのもとへと歩んでいく。


「大丈夫?」

 ステラはアンナに駆け寄る。

「ス……!」

 アンナは驚きのあまりステラの名を呼ぼうとするが、目の前の男に気づかれてはマズイと気づき、言葉を飲み込む。


「ああ、あなたは今朝の方ではないですか! 探していたのですよ」

「わたくしを? どうして?」

 不全にならない程度の疑問顔でハンスにきいてみる。

「あなたに一目惚れしたんです。僕の思いを受け止めてほしい」

 ハンスが一歩近づく。

アンナが間に入り、庇う様に手を拡げる。

「無理に決まってるでしょ。鏡見なさいよ、あんた。冒険者としてもひよっこのくせに」

 くすくすと周囲の声が聞こえる。

ハンスもそれが聞こえたのか、頭に血が上ったようだ。

「うるせえ! お前には関係ない。引っ込んでろ!」

「関係なら、大いにあるわ」

 怯まず、ハンスを睨みつけるアンナ。

「ギルド職員のくせに、何様なんだよ。いい加減どかないと痛い目見るぞ」

「どかないわ」

 ハンスはアンナをどかそうと近づいてくる。アンナを殴るつもりだろうか。


「おねえちゃんなの!」

 ステラが叫ぶ。


「アンナは、私のおねえちゃんなの。私が小さい頃から、沢山面倒見てくれた、おねえちゃんなの」

「ステ……」

 名前を言いかけるアンナ。


「アンナは、私に沢山絵本を読んでくれた。優しくしてくれた。だから関係なくない。アンナは大事な人」

 これは本心からの吐露である。

ステラにとってアンナは、姉のような存在だった。

何かあれば、ハームの町のアンナのところに来て、なんでも相談した。セーラムやミリーに言えないことも、アンナになら言えた。


 アンナは突然のステラの吐露に、目に涙が浮かぶ。

 ステラはきっと冒険者になるだろう。それは知っていた。ステラはよく旅に出たいと言っていたから。

アンナは心配だった。

妹のように自分に接してくれるステラが、冒険で傷つき辛い思いをして、もう二度と会えなくなってしまうんじゃないかと思うと怖かった。

でも、ステラが姉として慕ってくれているならば、旅立ちには精一杯笑って見送ろうと、心に決めていた。

 それなのに、単眼ベアーの緊急討伐にステラが行くと聞いたとき、怖くてステラに会えなかった。

見送ることも、出迎えることもできずにギルドで自分を誤魔化して、忙しいふりをしていた。情けなくて、でもそんな私でも庇ってくれる、慕ってくれるステラが嬉しくて、涙が溢れそうになる。


「だから、アンナを傷つけるなら許さないから!」

 ステラも自然と涙が流れていた。

 自らのアンナに対する感情を再確認し、このハームから離れて旅をする寂しさに、気付いてしまった。



「何だ。何の騒ぎだ?」

 奥の部屋から、目にクマを浮かべたリックが出てくる。

「俺は疲れてるんだ。少しは静かに……」


 ボサボサになった髪を掻き上げたリックは、視界に泣いている2人、ステラとアンナを捉え、その2人の前にいるハンスを見据えた。


「詳しくは聞かんぞ、ハンス。何をした?」

 リックはゆっくりと近づいてくる。

周囲の野次馬は見たこともない気配を漂わせているリックに、何も言えず、その様子を見つめている。


「ハンス、どうした? 答えられないことでもしていたのか?」

 明らかにいつもの穏やかなリックではなく、その表情は冷たいものだった。

「ぼ、僕は……」

「何だ。はっきり言え。俺は今日は割と機嫌がいい、いや良かった。一日を良い形で終えたい。分かるか。それはお前もそうだろう?」


 ハンスはぎこちなく頷く。喉がごくりとなった。

「それで、どうした?」

 リックは表情を変えずにいる。

「ぼ、僕は自分に丁度いい依頼がないか、とアンナにお願い、していたんです」

「そうなのか?」

 リックがステラを見遣る。こちらを見るリックの、その目元だけ優しく見えた。


「……あってる」

 ステラが短く答える。随分と都合よく説明したハンスだが、間違ってはいないし、違うとも言わせないような気配がリックからしていた。


「喜べ、ハンス。俺から丁度いい依頼があるぞ」

 リックはハンスに向かって、何かを投げる。


慌ててハンスはそれを受け取り、振るえる手の上にあるそれは、金貨だった。


「ここから消えろ」

「こ……」

 何かを確認しようとハンスは口を開けるが、リックに遮られる。

「消えろ!」


 リックの声にハンスは数歩後退り、反転し、ギルドの外へと走っていく。ギルドに全体に聞こえるように、リックは深く深呼吸をする。


「なあ、悪いが、誰かあいつのことを見に行ってくれないか。下手なことをされたら困るだろう?」

 いつもの調子でリックが肩を竦める。

「お、おう! りょうかい、行ってきますぜ」

「俺も行く」

「リックさん、後で弾んでくださいね」

 冒険者がジョッキを傾ける仕草をする。


「お前ら、さっきハンスに渡した金貨見ただろ? 勘弁してくれ」

 笑いが起こる。

 名乗りだした冒険者数名がハンスのもとに走っていった。



「で、大丈夫か?」

 リックは、ステラとアンナに笑いかける。

「だい……」

「大丈夫じゃないわよ!」

 アンナがリックに抱き着く。


「あー、その、遅くなってすまなかった」

「遅いわよ! 本当に、本当に」

 情けなく苦笑いをする、リックの腕がアンナの肩を抱いていいものかどうかと、彷徨っている。


「みんな見てるぞ。泣くなよ」

「泣いてないわよ」

 顔を完全にリックの胸に埋めているから、アンナの表情は読めないが、声からして、しっかりと泣いている。

いまだ彷徨うリックの腕。

 む、じれったい。

(リック、ごめん)

 ステラは魔力でリックの腕を動かし、その腕はしっかりとアンナを抱きしめた。


(おい! ステラ!)

 事態を理解したリックが、ステラに抗議するように見ている。


「おねえちゃんを大事にして」

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