「どかない!」 エルミア視点

「ニャー」

 猫の鳴く声が聞こえた。


 先程の黒猫だろうか。

 でも、どこから聞こえてきたのか判別できない。

 もう一度鳴くかもしれないと、聞き耳を立ててみても、猫の鳴き声は聞こえてこなかった。


「こっちか?」

 考えても仕方ない。

 ちょうど正面に伸びていた道を進んでいくが、進むんで行くにつれて道は細く、薄暗くなっていく。



 しばらく進むと袋小路に突き当たってしまった。どうやらこっちの道はハズレらしい。

 引き返そう。

 そう思い、振り返ると人影が2つ見えた。


 人だ。


 この町の人間は、嫌な顔をせず笑顔で対応してくれる。

 きっと宿屋の場所を教えてくれるだろう。せめてここから大通りへと向かう道を教えてくれれば。早くしないと日が暮れてしまいそうだ。


「もし、そこのお方。宿の場……!!!」

 驚きのあまり言葉を詰まらせ、思わず数歩後ずさる。

 目の前に見えた2つの人の影には、明らかにエルフの特徴である長い耳が見えた。エルフ属なのだろうか?

 

 影の主は、私の声に気づいたのか、こちらに向かってくる。


「エルミア様! エルミア様ですか?」

 私の名前を知っている!?


「エルミア様!」

「クルドなのか!?」

 この声には聞き覚えがある。


「やはり、エルミア嬢でいらっしゃいましたか。こんなところで何をされているのですか?」

 近づいた影は見知った顔のクルドと、その部下だろう。

 2人とも城の近衛兵の印であるマントを羽織っている。


「私はここから、この町から生きるのだ。放っておいてくれ」

「そうはいきません。エルミア様は今の城になくてはならない存在です。私たちとともに城に戻りましょう」


 状況が悪い。袋小路にはまっているを見回す。

 ここから逃げるにも背後は壁、左右も建物も壁だ。

 建物には幾つか窓があるが、私にはよじ登ることは出来ない。ならば、前方に向かって走るしかない。

 兵と言えども、私に危害を加えることはないだろう。


「そこをどいてくれ。私の事は見つからなかったことにすればいい」

「駄目です。ギルミア様もお待ちです。どうかご理解ください」

「父上が!?」

 歯噛みをする。

 妹や影武者として立てた少女に、迷惑をかけてしまうのは、承知していたことだが、早くも父上に知られてしまうとは。 


「ギルミア様が悲しみます。どうか、素直に従ってください」

「悲しむだと? 私はもう父上の道具ではない。私はこの町で1人のエルフとして生きるのだ」

 クルドが苦し気な表情を見せる。

 きっと私も似たような表情になっているだろう。これで帰ってしまっては妹達にあわせる顔がない。 


「よりにもよって、この町で……六花の魔女にでも会うおつもりですか?」

 六花の魔女?

 誰だ? 

 広場の像の森の魔女を言っているのか?


「だとしたら、どうする?」

 クルドはさらに表情を曇らせる。

「させるわけには行きません」

 そう言うとクルドは、部下に目配せをする。部下はマントの中から弓と矢を取り出した。


「今ならまだ聞かなかったことにします。さあ、どうか我々と一緒に帰りましょう」

「私に矢を放つつもりか?」

「……ギルミア様から、そのように受けています。どうか!!」


 父上がそのようなことを。いや、わかっていたではないか。

 私は所詮父上の道具だった。それだけのこと、今更驚くことはない。むしろそれがわかって決意が一層強くなった。


「撃て。構わぬ。あの男に伝えろ、私は帰らぬと!」

「わかってください。これが最後です。帰りましょう!」

「私は道具ではない! ひとりの人間なのだ。帰らぬ!」

 クルドの歯ぎしりの音が聞こえる。

 私は思わず目をつむった。


 矢を番えるギリギリという音、自分の呼吸の音、それらに神経が集中する。エルフの森の深い場所に立てたれたあの城で死んでいくよりは、ここで死んだほうがましだ。

 ヒト属にはいい人達がいる。それだけも知れただけでも、充分価値のある時間だった。


 来い。



「待つのにゃ!」


 声に驚いて目蓋を開けると、目の前に大きい猫が振ってくるところだった。

「「「猫?」」」

 クルドとその部下、私の声が重なる。


「猫は猫でも、セランスロープのスズにゃ!」

 スズと名乗った少女は私を庇う様に、両手を広げた。

「先刻の防具屋にいた少女か。何を、しているんだ?」

 何を? どうして私の前に立つ?


「そこをどけ!」

 依然として矢を番えたままの兵士が少女に叫ぶ。

「どかない!」


「そうか」

 さも、当たり前のように部下の矢が放たれる。

 何のためらいもなく、邪魔者を排除するように。


 少女は矢をその小さな身体で受け、その衝撃で身体を震わせる。しかし、その場から一歩も足を離さずに、毅然とした態度で立っていた。

「ど、どかない!」

 少女の右わき腹を矢は貫通していた。身体に突き刺さったままの矢先からは血がポタリと垂れている。


「どけ! 獣人の娘よ」

「いやだ!」

 どうしてこの少女は、私のためにここまでしてくれるのか。碌な会話もしていない、一緒のテーブルに腰かけていただけの関係なのに。


「おねえさん!」

「はい!」

 少女の声に反射的に答える。


「おねえさんは、いいの?」

「え?」

「おとうさんのこと、それでいいのな? もう会えなくていいのかにゃ?」

 

 背中を向けたままの少女の表情は読み取れないが、その声は痛みゆえなのか震えて聞こえる。

「……」


 何を言っているんだ。

 この少女は。


「エルミア様、獣人になど相手にしては行けません! この獣人よ、我々高潔なエルフに話しかけるなど無礼だぞ!」

 クルドが叫ぶ。


 エルフ至上主義。

 本当にエルフ属のみが優れていて、他の種族は劣っているのか。


「うるさい! おねえさんと話してるのな!」

「貴様! エルミア様、そいつが勝手に割り込んできて矢を受けたのです。幸運にもエルミア様は無傷です。帰りましょう! たかが獣に掛ける情など不要ですぞ!」


「……おねえさん」

 スズは静かに私に声を掛ける。 


 獣……獣人属、セランスロープを獣だと。

 自分の身を顧みず、私の盾になってくれたこの少女が、獣だと?


「スズと言ったな、どうして私と父上のことを気にかけるのだ?」

「エルミア様、おやめください」

「黙れ!! 今はスズと会話してるのだ」


「あたしは……」

 スズがしっかりとした声で話し出す。

「あたしは、家族から逃げてきた。皆があたしのことを心配してくれていたのにあたしは逃げた。皆に嘘ついて自分だけの都合で、尻尾巻いて逃げてきた」

 スズは何度も『逃げた』と繰り返す。

「あたしは後悔している。だから、あたしは会いに行くの! 成長した自分を『あたしはここまで立派になりました』って胸を張って、帰るの! 家族に会いに行くの。でも、おねえさんはいいの? それで、いいの?」



 スズは、純粋に私の心配をしている。

 この町の人間は、全員が親切にしてくれた。もちろん、そうじゃない人間もいるだろう。

 しかし、先程会ったばかりのこのスズは、命を張ってまで私の未来を、父上との関係を心配している。

 この少女には関係がないのにもかかわらず。この少女には一切の利益がないのにもかかわらず。


 私は何も知らない。

 エルフの大樹の城以外の世界を知らない。

 こんな高潔な人間がいるのだろうか、エルフが高潔とは本当に笑わせてくれる。


「クルド!」

 スズの前に出て私は叫ぶ。

「父上に伝えろ! 私は自分の足で帰る。私の知らない世界、エルフ以外の世界、そして友人を作り、自らの足で帰ると伝えろ!」

 私はこの町全体に聞かせるつもりで叫ぶ。

 これはある種の決意表明だ。


「……よろしいのですな」

「くどいぞ。去れ」

 クルドはこれ以上ないほど顔を顰め、部下を小突くと振り返りもせず去っていく。


 クルド達の姿が完全に見えなくなり、振り返ると、スズが私に抱きついてきた。

「よかった。よかったよおおお」

 涙で顔の全てを濡らしてしまっている、小さな鼻からは鼻水も出ている。

 本当は怖かったのだろう。こんな顔になってまで、私の盾になってくれ、私の未来を案じてくれた。


 私は、スズの頭を撫でる。

「ありがとう。あなたは私の命の恩人だ」

 私の言葉で安心したのかスズは、私にもたれかかる。


「スズ?」

 返事がない。顔を見ると蒼褪めている。

 スズは力なく、その場に崩れ落ちる。


「スズ、しっかりしろ!」

 いやだ。


 外の世界で初めて出来た友達なのに。



「大丈夫」

 声をしたほうに振り返ると、銀髪の少女が肩に黒猫を乗せて立っていた。

 彼女はスズに刺さった矢を、血を出さずに静かに抜く。

 彼女の表情が微かに曇る。


 彼女の回復魔術でスズの傷が見る見るうちにふさがっていき、スズの顔色も良くなっていく。


 どこからか、ハンカチを取り出しスズの顔を拭いてやろうとする。


「待ってくれ。拭いてあげたいんだ。貸してくれないか?」

「うん。いいよ」

 ハンカチを銀髪の少女から受け取り、私はスズの顔を拭いてやる。

 安心しきった顔をしている。


「はい」

 少女は静かに新しいハンカチを寄越してきた。

「あなたも、顔拭いた方がいい」

 そう言われ私はふと気づき、笑ってしまった。


 涙をながし鼻水を垂らしていたのは、スズだけでは無かった。

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