「奇書」

 銀の森で拾われてから、ステラは多くのことをセーラムの家で学んでいた。

 豊富な知識を有しているエルフを養母(ステラ自身は本物の母親だと思っている)に持ち、家の中にはセーラムが趣味や研究、後世に向けて保管している蔵書があったからだ。


 ステラにとって銀の森以外の世界は、地下室の蔵書しかなった。



 書物の種類は様々で、魔術書や調合に関するものはもちろんのこと、魔物の特性や分布の本、料理のレシピ本、日常生活でのちょっとした知恵、サバイバルに関する本などがある。


 地下書庫には、「奇書」とセーラムが呼んでいる特殊な本が保管されており、部屋の一角には厳重に鍵がかかっている部屋がある。

 以前、ステラがこの部屋にはどんな本があるのかと興味本位でセーラムに聞いてみたが、「この部屋にはステラにとって意味のあるものはないし、きっと誰にも意味のないものしかないかな」と言われた。

 意味がないのであればと、ステラはそれ以来、特に気にすることはなかった。地下書庫の鍵の部屋に興味が無くなったのは、セーラムに言われただけではなく、地下書庫に多く保管されている「奇書」などの蔵書の方が、彼女にとって興味が惹かれるものであったからだ。



 地下いっぱいに保管されている「奇書」は、セーラムとステラ以外には興味のない……というか解読出来るものではないだろう。

 この世界で使用されているセディーム語ではないし、エルフの古典語でもない。

 奇書の多くには、1ページに3〜7くらいのコマがあって、そこに人物画や風景画が描いており、それを説明するかのような文字が円や四角に囲まれた枠の中に収まっている物が多い。


 猫が旅をする本、おじいさんが若返ってしまう物語、剣で悪者を成敗する変わった服を着た男の物語、致命傷を受けた人間を治療する白い服の女の物語など。

 挿絵だけでも一応の物語の流れは分かるが、奇書の中には挿絵だけで理解できない物があったため、必然的にステラはそれらの言語に関しても解読できるようになっていた。

 

 「奇書」以外の、この世界の言葉で書かれた蔵書自体も、年代や種類に頓着せずに蒐集しているので、ステラには部屋よりも沢山の本で知識をあることの方が素晴らしく惹かれるのであった。


 


 ステラが魔術の勉強をしたいと言うときは、「奇書」の中の登場人物の技を真似してみたいからで、それにセーラムは少々うんざりしていた。


「ねえ、ステラ。なんでいつも奇書の中の人の真似をしたいのかな」

 とある夕飯時、セーラムはいつも気になっていたことをきいてみた。

「かっこいいから」

 そんなの当然じゃん。


「でも、ステラの持ってくる奇書は、現実の世界の話じゃないんだよ。あんな凄い人たちはこの世界にはいないの」

「でも、ママは奇書の中のひとと同じことできる」


 そうなのである。

 セーラムは奇書に出てくる普通だったら実現不可能なことを、平然としてやってしまっている。

「そ、それはママも特別だから……かな」

 頬を掻きながら目線をステラから外す。


「私も奇書の中のロリみたいに、サテンでバイトしながら旅して、夜は兎のコスプレして必殺仕事人したいの!」


「……」


「ステラも、きっとロボット操作の才能がある。宇宙戦争に行くかも。ロボットが壊れたら、ドラゴンになって、メイドになって……」

「だあああーー!! もうむりーー!!! 何も言わないでええ!! ロボットなんてこの世界にはないの!」


 うっとりしているステラに対し、セーラムは盛大に頭を抱えて青ざめている。

 想像以上に「奇書」に毒されてしまった銀髪赤目の娘。


(明らかにこのままじゃマズイ! ステラもずっとこの家に閉じ込めて置く訳には行かないし、それに「旅したい」とか言っている。このまま外の世界に解き放つ訳には行かない。ステラが痛い子になっちゃう! 美少女お花畑不思議ちゃんになっちゃう!)





 ある日エルフの家に、王都の新聞を配達する白フクロウがやってきた。


 白フクロウは、二、三日に一度、新聞や手紙を家に運んでくれる。少しでも正しい世界の在り方を、ステラに理解して貰うための方策のひとつである。

 王都からの新聞は一度、ハームの町に届けられそこから届けられるので二、三日前の新聞なのだが、それでも王都の状況や世界の情勢を知るには十分であった。


 セーラムが魔法で鷹を召喚して王都まで飛ばせば、その日の新聞を受け取ることも出来るだろうし、やろうと思えば直ぐに新聞を手に入れる手段はいくらでもあった。

 

 しかし、それはステラに「現実世界」を教える側面から言えば、不正解だ。

 現実の世界は、奇書の世界に比べれば不便であることを理解してもらうのだから。



 少し遅れて配達される新聞は、セーラムにとっても有益な物であった。

 銀の森でのんびり隠居生活を送り、世界の情勢に疎いセーラムは、新聞をくまなく読む癖がついていた。


「え、今この薬品の価値ってこんなに上がっているの? いつもの二倍になっているような」

 朝食の後にコーヒーを飲みながら、新聞を読んでいたセーラムが声をあげた。

 何か理由があるのかと詳しく記事を確認してみると、

『原因不明の疫病か。王都での出入りの制限も考慮』

 との記事を見つけた。


 王都にほど近い町で、一ヶ月ほど前か体調不良を訴える者が続出し、王都からの研究者や魔術師が町にも対処をしているが、一向に収束に向かう様子がないらしい。

 町での聞き込みを行っているが、原因は特定されていないようで、嘔吐や下痢、時には頭痛を起こす場合があるとのこと。


「なにか面白いことあった?」

 新聞を覗き込んでいたステラがきく。

「面白くはないかな。町で病気が流行っているんだって。大変だね」

 セーラムは、興味なさそうに新聞を閉じてテーブルに置く。


 セーラムは銀の森以外で起きている、外の世界の小さな問題に関しては関わるつもりはない。

 これが近隣のハームの町のことであれば、顔見知りの人間もいるので助けようとするかもしれない。でも、王都の向こうの町であれば生活に支障はないし、ましてや態々出向くのは面倒であった。

 

 しかし、王都で疫病に効果のありそうな薬品が、高価で取引されているのは、外の世界の金銭の収入に直結するので気にはなるが。

 ハームの町に病気が来る可能性も考えて、多めに精製しておくのもいいかもしれない。


「じゃ、ママはちょっと調合してるからね。森に行ってもいいけど、『大岩』の向こうには行かないこと。いいかな?」

「うん。わかった」


 そう返事するステラの視線は、先程の新聞の記事に向いていた。




「大岩」というのは、銀の森の中にある目印のひとつである。

 少し前までは、「蔓の木」であったり「角兎の大穴」だったのだが、今のステラであれば、ひとりでも危険なく散歩できる範囲だと判断したのが「大岩」までである。


 「蔓の木」の辺りは初級回復薬の材料が採取でき、魔物の類は出てこない。出てきたとしても危険性の低い小動物程度である。

 そして名前の通り「角兎の大穴」付近では、角兎などのごく小さい魔物が出る。

 さらに「大岩」までの範囲では、角兎などの小さい魔物を捕食する、中型の魔物の中でも小さいものが多く出現する。森ウルフとか、長尾山猫の類である。



 ステラが森に入る時に使用する武器はナイフだ。 

 それよりも大きくて重いものは体格の問題で装備できないし、「本当に危険な場合は魔術を行使し、敵わないと判断すれば逃げること」とセーラムに何度も言われているからであった。


 ナイフ以外には、子供用の胸当てなどの「急所」をせいぜい守るだけの防具を着けている。フルプレートはサイズがそもそも無いし、重い鎧を着けても、逃走速度が落ちてしまっては本末転倒である。


 子供の頃は、危険な場所には行かない、危険を感じたら素直に逃げることが一番の戦闘方法なのである。

 ちなみに、森に入るときは長い髪を纏めて、高めのポニーテールにしている。



「石よ石、我の力になれ。礫となり敵を撃て。ストーン・ショット!」


 茂みの奥に、角兎を見つけたステラは焦ることもなく魔術を発動し、発現した小石が勢いよく角兎に向かって飛んでいった。


 物音がしなくなったのを確認して、ステラは茂みに寄っていく。

 茂みの中には首元から血を流し、絶命している角兎がいた。


「うん。いいかんじ」


 可食部を残して、獲物を仕留めるのは難しい。

 魔物といえど、命を無駄にするのは気が咎める。



 石魔術や風魔術を使って、魔物を狩っていくステラだが、頭の中では今朝の新聞記事のことが気になっていた。


(ママならきっと、疫病を解決できる。奇書の主人公みたいにカッコよく!!)

 町に颯爽と現れて疫病の原因を解決し、薬を困っている人々に渡すママ。

 銀色の髪を靡かせ、耳の三連ピアスが神秘的に輝く。きっと町の人たちはママの美貌にうっとりしてしまうだろう。

 

「あ、鼻血」

 いけない、いけない。ママのことを考えすぎると興奮してしまうのか、たまに鼻血が出てしまう。

 たかが鼻血でもママは大騒ぎする。

 止めなきゃ。


 右手を鼻にあて、血管を修復するイメージで魔力を指先に集める。


「えい」


 鼻にあてた手がぽうっと光り、血は止められた。

 よし。

 人体の構造については簡単ではあるが、知識としてステラの頭の中に入っている。これも奇書のお陰だ。



 ステラは3体分の角兎の耳を左に持ち、右腕で小さい森ウルフを抱えて家に戻る。


「ママみたいに、空間に浮かべられたら、重くない、のに」

 

 帰り道に状態のいい薬草を見つけたので摘み、何度も休憩を挟みながら、ステラは家路を急いだ。

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