ステラ
銀色の長い髪を持つ、赤い瞳のステラがセーラムとともに過ごして既に3年が経った。
ステラの身長は、ヒト属の年齢でいえば10歳辺りになっていた。
「ママ、お昼ご飯できた」
ステラはテーブルに、角うさぎの香草焼きとパン、野菜のスープを置く。
ステラは、セーラムのことをママと呼んでいる。
ステラの記憶の中での一番最初に認識した人間がセーラムであるから、セーラムをママと呼ぶのは当然であり、またセーラムもそう呼ぶように言っていた。
「ありがとう、ステラ。今日も美味しそうだね」
「うん。頑張った」
「いただきます」
「いただきます」
セーラムが森で保護した時のステラは、言葉や言語も理解せず、また意味を成しているとは判断できない「声」を出すことしか出来なかった。その声がある程度の言語体系を成しているものであれば、セーラムもステラの出生や正体を割り出せたのだが。
ステラの話し相手はセーラムしかいないが、ステラの言語能力は、一応、誰とでも意思疎通ができるくらいには話せるようになっていた。
「あー。朝早くから調合してたから、ご飯が美味しい。午後は少し薬草を取りに銀の森に行くけど、ステラはどうするかな?」
「いく。ママと一緒」
こくりと頷くステラ。
ステラの作る料理は美味しい。セーラムは肉が苦手だったが、娘のためにも、口にできる食材は何でも食べるようにしている。
食べ物の好き嫌いのないステラは何でもおいしそうに食べてくれる。
『銀の森』は、銀髪のエルフであるセーラムが近くに住んでいるためにそう呼ばれている。
セーラムがここに定住する前にはなんの変哲もない森であったために、人々からは「マティス国のハーム町の南西にある森」であったり、「ハーム西の森」とか呼ばれていた。まあ、だいぶセーラムの好き勝手に改造しているから、もともとの森とは様相は変化している。ただ、森の中に入らずに『銀の森』を観察すれば、依然と同じ何の変哲もない森にしか見えず、正しい方法で森に入らなければ、本当の姿を知ることはできない。
「ステラさん、そんなに慌てなくても森は逃げないよ。もうちょっと噛んで食べて欲しいかな」
「もご、もご」
口いっぱいにパンと、香草焼きを頬張り一生懸命に咀嚼をしている。
「で、今日は何か試したい事があるのかな?」
ステラの咀嚼が十分に済んでから、子供を見守る母の顔でセーラムは質問する。
「風の魔術!!」
口の周りにパン屑をつけたまま、ステラは身を乗り出して答える。
「風の魔術ねえ。じゃあ、行く前に風の魔術のおさらいをしようかな」
「むふ!」
やる気満々のステラが強く頷く。銀色の髪がそれに合わせてなびいた。
(今日は風の魔術!! 早くママみたいになりたい! 今日のママも綺麗!)
そうして銀の森へ行く前のおさらいの時間。
ステラは教本として、一冊の本を持っていた。
ステラは無表情だが、セーラムにはわかる。これはドヤ顔をしていると。
「うーんと、ステラ。それは魔術書じゃないし、勝手に『奇書』を持ち出しちゃダメって言ってるよねえ。困っちゃうな」
額に手を当て、教育に失敗したかと嘆くセーラム。やはり私には人を育てるのは向いていないのかもしれない。
「ママ。これ! これがしたいの」
ズンと音がするほどの勢いで、ステラはとあるページを開いて寄越す。そこには、本の中の登場人物が剣を勢いよく振り下ろし、剣の先から「風の刃」を魔物に向かって飛ばしている場面だった。
セーラムは、むうと唸り声をあげながらも、ステラの掲げているページをマジマジと見る。
ステラはというと、ワクワク顔で何かを期待している。娘の希望にはできるだけ答えたいものではあるが……。
「でもね、ステラ」
「うん!」
「勝手に地下書庫に行って、ましてや持ち出し禁止の『奇書』を持ってくるのは許せません」
「う」
想定していなかったセーラムの反応に、固まるステラの口は「う」の口のまま開きっぱなしである。
「でも! でも……」
「でもじゃありません」
「……でも、今日のママは一段と綺麗!!」
「……」
「………」
ステラは目を閉じ、本をさらに突き出す。
(む、娘に綺麗と言われいるのは悪くはない……かな。しかも、一段と綺麗ということは、私はいつも綺麗だってことよね。いやいや! ここで甘やかすのはだめだ。ここで妥協すると以降、絶対に面倒くさくなる!)
「ママはお肌が綺麗!」
もう一押しするステラ。
「……きれ……ん」
わなわなと小さく震える母。
「ママ?」
「ママが綺麗なのは当然かな! 今日はいつも通りの風魔術を教えるからそれで我慢すること!」
もう自分が何を言っているのか、分からないくらい目がグルグルと回ってしまっているセーラムは、ステラの持っている『奇書』を取り上げる。
「……えー」
「えー。じゃありません!」
しばらく、むすっとしていたステラだったが、森に入れば自然と機嫌を取り戻した。
季節によって銀の森は姿を変化させるし、もはや庭で遊ぶ感覚に近い森をセーラムと一緒に歩くというだけで、ステラの心はわくわくする。
セーラムは森に入る度に、ステラに色んなことを教えた。
魔物や動物の習性、薬草の見分ける方法とその効能、魔術の基本と運用方法、簡単な体術、などなど。
それらは時には堅苦しいだけの説明ではあったが、ステラはママに教えてもらっている、構ってもらえているというだけで嬉しかった。
セーラムも、教えたことはほぼ覚えてしまう娘の成長は嬉しかった。
居場所を転々としながら、ひとり寂しく暮らしていたセーラムにとって、ステラとの生活は新鮮であった。
人類の種別の中でもっとも寿命の長いエルフは、一人で暮らす事が多い。
寿命が長いということは、必然的に知り合いとの死別が多くなってしまう。ヒト属と比較すれば、エルフの寿命は永遠に等しいと言っても良いだろう。
エルフの一生のうち、ヒト属との死別は何回乗り越えていかなくてはならないのか。考えてしまうと途方もなく悲しくなるのでセーラムは可能な限り、寿命に関しては考えないようにしていた。
(兎に角、今はこの子が楽しく暮らせるように、教えてあげなくては!)
「というわけで、さっそく風の魔術を教えていこうかな」
「おおー」
背が低いながらも拳を天に突き上げるステラ。
「えっと、ではいつも通り『魔術の基本』から……っと。このページかな」
ステラにその本が見えるようにして、一緒に読んでいくセーラム。
「風の魔術の基本は、『空気を流れを意識すること』ね。ふむふむ確かにこれは大事かな」
「空気の流れ?」
「そう、空気の流れ。風向きのことかな。水の流れで説明するけど、川の流れに逆らって、水の流れを作り直すことは難しいよね。ま、空気と水はだいぶ違うけど、でも考え方は一緒かな。わかる?」
「こうなってるやつに、こうするのは、むずかしい」
川の流れをステラは身振り手振りで、表現しようとしている。
「そうだね、でもそれを利用することも出来るんだ」
そういって、可視化した気流を眼前に創作するセーラム。
「これは風を赤色に見えるようにしたものです。そして、ここに逆向きに青色の風を吹かせると……」
「おおーー、紫色のグルグルができた」
「ね、簡単にこんな事もできます」
実際は簡単にこんなことは出来ない。自然の風は方向も風速も一定ではないし、森の中ではさらに複雑になる。生物が動くことによって気流は変化し、木々にぶつかってまたまた複雑化する。しかしまあ、言っていることは間違いというわけではないからいいか、と考えるセーラムであった。
「まあ、ともかく風の魔術は自然の影響を受けやすいことと、自然に影響を起こさせやすいかな」
「ふむふむふむふむ」
セーラムが人差し指をくるくるさせながら説明する対し、ステラは小さく何度も頷く。
「で?」
赤い目をきらきらし、催促するステラ。
「え? ああ、魔術の呪文ね。呪文、じゅもん、っと。えーっと、簡単そうなのは、これかな。『風よ風、我の力となれ。刃となり敵を切り裂け。ウィンド・カッター』かな。長いね」
苦笑いをするセーラム。魔術の呪文は長い。魔法なら考えるだけで使えるのに。
「かぜよかぜ、われのちからとなれ。やいばとなりてきをきりさけ? うぃんど・かったー?」
少し舌足らずではあるが、ステラは丁寧に発音をする。
「そうそう、じゃあお手本を見せましょうね。風よ風……、……、ウィンド・カッター!」
もう呪文は忘れてしまったので、途中から小声で詠唱していると見せかけ、口パクである。誤魔化すために発動の言葉のみは力強く発声した。
伸ばした左の手のひらから、一刃の風の刃が飛び出し、木々の数本を薙ぎ倒した。
「じゃ、やってみようか。本はここに広げておこうかな。わからなくなったら声かけて」
セーラムはステラが見やすいように本を空中にピタっと固定させ、手をひらひらと振りながら薬草の採集に取り掛かった。
よし! 意気込んで、小さな手のひらをぐっぱぐっぱするステラ。
(ママみたいには、うまくいかないのはわかってる。でも、あのイメージ。長い髪をさらっとさせて、目はこうキリッとさせて、すらっと手を伸ばして、呪文はゴニョゴニョって感じで)
何か間違っている気がするが、やる気は満々の赤目の少女、ステラであった。
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