プロローグ 邂逅

森の中は既に夜の闇に包まれていた。

 木々の隙間から目標の相手を視認しようと、エルフは『目標物』との距離をジリジリと詰めていく。

 こんな緊張感は、こんな感覚は、いつ以来だろうか。

 仲間達と一緒に強敵と戦った時か、認められてもらうために師匠に魔法勝負を仕掛けた時か、いや、もっと以前……慣れないナイフを震えた手で握り、角兎と退治した時以来だ。あれは人生最初の戦闘だった。

 未熟ゆえに敵の実力も測れず、魔物の習性などの知識も何もなく、戦い方も魔法の使い方も碌に知らなかったあの時だ。

(というより、戦闘そのものを長い間してなかったから。感覚を失っていなければいいんだけど)

 切長の緑色の瞳をさらに細め、『目標物』を捉える。

 

 少しひらけた場所に、それは、黒い瘴気の渦になって蠢いていた。

 高さは約2メートル、範囲は約3メートル程度の黒い物体が揺らいでいる。

(これほどの瘴気が森にあるのは明らかな異常……かな)


 黒い瘴気の類は見たことはある。

 だが、エルフが察知した探知魔法の反応は、そういった魔物や魔術などの類ではなかった。

 エルフは『鑑定眼』を使って黒い瘴気を鑑定してみたが、それでも正体は掴めない。

 (手を出してもいいものか、でもどうやって手を打つ? 幸い向こうはまだこっちには気づいてないみたいかな)


 エルフは右手の人差し指を瘴気に向け、魔法を発動する。

(……時間遅延!)

 黒い瘴気は、魔法の効果によって蠢く速度が緩やかになった。瘴気は、空気の淀みではなく、何かの小さな個体が集まって形成されたものだった。

(何かが羽ばたいている? 翼のある生き物の集合体かな? 黒いカラスか、コウモリか、黒い蟲っていう可能性も……)

 自分自身の想像力にぞわぞわと鳥肌を立たせ、銀髪のエルフは頬を引き攣らせる。あの瘴気の正体が無数の生き物、ましてや蟲であった場合、気持ちが悪い。


 しばらく観察するうちに、やはり瘴気は複数の小型の生物が密集して形成したものであると判明した。

 魔物、動物、蟲。種として垣根を越えた、数えきれないくらい生物がそこにはいた。

 種族種類を超えた生物達があんなに密集しているのであれば、探知魔法の異状も納得がいき、『物の集合体』に鑑定眼が効果を発揮しなっかったのも頷ける。


 どうやら、生物の集合体は何かを取り囲んでいるようだ。

 あるいは吸い寄せられているような……。


 何があの中心部にあるのだろうか。

 黒い生物群が大事なものを守る『繭』のようにも見える。

 あるいは、中心部の何かから栄養を得ようとしているような。


 それを確かめねば。

「発破!」

 爆発に似せた光魔法を、生物群を蹴散らすために放った。

 光魔法であれば中心にある何かに損傷を与えずに済む。

 

 一瞬で昼間かのように辺りが明るくなった。

「「キエーーー!!!」」

 期待通りに黒い生物群は、奇声をあげて散り散りになる。複数の蝙蝠や見慣れた魔物はともかく、人間の口を持つ異形の蟲をまざまざと見てしまうエルフ。

「おえ……、見ちゃた。は、はてさて、一体なにがあるのかな」


 魔法の効果によって生物群の中心であった場所は、昼間のような明るさを保っている。木々の間から、正体を確認するために悠然とエルフは歩き出す。

 この森の中は、既に夜行性の魔物の世界に移行しているはず。

 過剰な光を一気に受けた夜行性の魔物達は、目が眩んで行動が出来ないか、身の危険を察知して隠れているだろう。


「え、嘘? 女の子?」

 先程までいた黒い生物群の中心には、裸のままの少女が横たわっていた。


 エルフは警戒をしつつも、横たわっている裸の少女の側に座り、その姿を観察する。

 ヒト属であれば、5歳から10歳あたりであろうか。自分のそれとは明度の違いはあるが、銀色の長い髪が腰あたりまで伸びている。

 獣人属にみられる獣の耳や、鼻の色素が変化している様子は見られない。

 肌は陶器のように白いが、耳はエルフ属のように尖ってはいない。

 手の指を触ってみても、女性のドワーフ属に見られる指先が尖っている特徴もない。

 では、魔人属が誇りにしている角はどうかと頭を撫でてみても、角もない。

「見た目は完全に、人類のヒト属かな。呼吸も問題なし」


 体には傷の一切がなかった。

 あれだけの生物に囲まれていたから、エサとしてついばまれていたのではないかと疑っていたのだが、その痕跡はない。

(良かった。女の子が食われる姿なんて見たくないもの)

 魔物に食べられてしまった人間の凄惨な光景は、嫌ほど目にしてきた。でもだからと言って、平気なわけではない。


 光魔法の効果が消え去り、森はすっかり夜の世界に戻っていた。

「うん。ここに放置するわけにはいかないかな、さすがに」

 エルフはその小さい体で少女をお姫様抱っこする。

「体重も普通……よりは軽い、かな」

 エルフは自分の周辺のみを照らし出す魔法を発動し、家に向かって歩く。



 エルフの家が見えてきたころ、腕の中の少女が身じろぎをした。

「おはよう。目が覚めたかな」

 エルフは足を止め、腕の中の少女に問いかける。

 少女は目をこすり、寝ぼけている意識を覚醒させるために「ぬーー」と小さく鳴いた。

 ゆっくりと目を開けた少女は、エルフの顔が目の前にあることに驚いたのか目を見開いている。その瞳を見て、エルフもその目に驚く。

(瞳が、赤い)

 動揺を押し殺して、エルフは微笑んだ。

「おはよう」

 少女はその言葉には反応せず、辺りを見回している。


「君の名前はなにかな?」

 キョロキョロ。

「おーい、聞こえているかな?」

 自分が質問されていることに気づいたのか、エルフの顔をまじまじと見る。

「どこから来たの?」

 質問の内容を理解していないのか、少女は首を傾げている。

「んと、君は誰かな?」

 少女はエルフの声に怪訝そうな顔をするが、ハッとした表情をするとエルフの首元に抱きついた。


「え、なになに? どうしたの?」

 困惑したエルフであるが、気持ちよさそうに頬を寄せてくる少女の様子に、自身も自然と笑顔になる。

「いい子いい子、かわいいねえ。私みたいに美人さんになりそうだね」

 笑顔で少女に語りかけるが、少女は相変わらずハテナマークを頭に浮かべたままの笑顔で、エルフに頬擦りをしてくる。


(ヒト属の髪は精神的によるものか、何かで染めない限り銀色にはならない。ましてや、こんな綺麗な銀色になんてなるはずがない。瞳も茶色か青が一般的で、赤色なんて見たことも聞いたこともない。それになにより……)

 探知魔法で少女を確認してみると、少女は人類と魔物を合わせた様な反応を示している。


「ま、拾っちゃったもんは仕方ないし、私と同じ銀髪ってことで、娘として迎え入れるかな」

「??」

 理解はしていないようだが、少女は嬉しいのかエルフの腕の中で気持ちよさそうにしている。

「まさか私が娘を持つことになるなんて、ね」

 エルフはふふと笑い声をあげた。


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