第13話 空腹

※グロテスクな表現が含まれます。お読みになる際はご注意下さい。



 巷では16時間断食など、敢えて食事回数を減らし体の毒素を出そうという試みが流行っている。

 かく言う私もその流行に乗っかった一人なのだが、どうにも空腹が我慢できない。

「食事をしてから16時間何も食べないだけだから簡単!」と断食を進める人間は言うが、そもそも人間の三大欲求の一つを我慢しろと言うのだからかなり難易度は高い気がする。

(お腹が減った…。)

 自宅でプログラマーの仕事をしている身としては、すぐに手の届く所に食べ物があることが一つの難関である。狭いアパートに暮らしているため数歩歩けば冷蔵庫、そして食料戸棚に手が届く。

(あぁ、集中できない!)

 断食の本には「空腹中は集中力も上がる」なんて書いてあったが、あれは絶対嘘だ。

(食べたい気持ちが強すぎて他のことが考えられない…!)

 しかしここでくじけてしまうとせっかく我慢した時間が勿体ない。途中で食べてしまえば断食の意味がない。

(ええい、16時間が経つまで寝てしまおう。)

 仕事を諦め、ベッドに横になり16時間が経つのを待った。



 どれくらい時間が経ったのだろう。私は気がつくと冷蔵庫の前に居た。

(ベッドで寝ていたはずじゃ…?)

 冷蔵庫は荒らされ、両手には齧られたハムやきゅうりが握られていた。

(あぁ、空腹には耐えられなかったのか…。)

 寝ながら貪っていた姿を想像すると、なんともやるせない気持ちになった。

「…はぁ。」

 自分に断食は向いていないのかもしれない。

(否、そもそも家の中に簡単に食べられるものがあるからいけないんだ。)

 この日は諦めて食べることにしたが、代わりに手軽に摂取できる物は全て処分した。

(これで家にあるのは缶詰と乾物、そして生米だけ。これなら我慢せざるを得ない!)

 最初からこうすればよかったのだ。わざわざ誘惑を残しておくから善くなかったのだ。

 腹を満たした私は意気揚々と仕事に戻った。


 翌日。また地獄の時間がやってきた。

(…お腹が空いた。)

 しかし今日は手間をかけないと食べられないようになっている。諦めてパソコンに向かうが、やはり集中できない。

(あぁ、食べたい、食べたい…。)

 米を炊飯予約し、コーヒーを何倍も飲んで空腹を誤魔化した。お陰で眠気もさっぱり無くなり、カフェインのとり過ぎからか少し気持ち悪くなってきた。

(善くないかもしれないが、それでも空腹が紛れているからよしとしよう…。)

 なんとか16時間を耐え抜いた私は、急いで缶詰を開けた。

(あぁ…なんていい匂いなんだ。)

 さばの味噌煮をおかずに、炊きたてのごはんを頬張った。元々さばの味噌煮は好物だったが、空腹を我慢した後の味噌煮は最高だった。

 一つの缶詰で2合もご飯を食べてしまった。なんだか学生時代に戻った気分だ。

(お腹が膨れたら眠くなってきたな…。)

 この日は幸せな気持ちで眠りについた。


 翌日。目が覚めると既に昨日の食事から13時間が経っていた。

(おぉ、たった3時間我慢すればいいなんて今日はついているぞ!)

 たっぷり寝たお陰で頭も冴え渡っている。すぐに仕事に取り掛かることにした。ところが…

(…腹が減った。)

 仕事を始めて1時間もしないうちに腹の虫が騒ぎ出し、結局集中できなくなってしまった。

(しまった、昨日買い物をしていない!)

 缶詰は昨日食べた物が最後の一個で、家にあるのは僅かな生米と出汁をとるための昆布だけだった。

(今日は白い米だけを食べるか…?いや、空腹を我慢したのにそんな質素な食事では我慢できない!)

 居ても立っても居られなくなって、買い物へ出かけようとも思ったが、それではまた豊富な食料を目の当たりにしながら我慢しなければいけなくなる。

(…今日のところは白飯で我慢しよう。食べたら、缶詰を買いに行こう。)

 私は思い直し、米を研いだ。思いつきで出し昆布を一緒に入れて炊いてみることにした。


 なんとか地獄の2時間を乗り越え、ようやく最後の食事から16時間が経過した。私は急いで炊けた白飯をかき込んだ。

(…うまい!!)

 昆布から出汁が出ているのか、いつもよりもごはんが美味しく感じられた。

 私はおかずもないのに、また2合の白飯を平らげてしまった。

(…これで米もなくなってしまった。)

 満腹の幸福感に包まれながら、私はまた眠りについた。


 翌日。

(買い物をしていない…!!)

 早朝に目が冷めた私は絶望した。

(昨日の食事から5時間しか経っていない。あと11時間も我慢ななければいけないなんて…!)

 しかも今日は米も無い。あるのは昨日使った残りの出汁昆布だけ。

(買い物へ行くか?でもこの時間だとコンビニしか開いていない。)

 コンビニなど魔の巣窟。封を開ければすぐに食べられるものばかりが並んでいる。

(スーパーが開くのは早くても9時。今は5時だから…4時間も待たなければいけないのか!?)

 私の頭は食べることしか考えられなくなっていた。

(あぁ、食べたい、食べたい…!!)

 頭を掻き毟り転げ回った。

(どうせなら肉が食べたい。)

 スーパーが開店したら思う存分肉を買おう。そして帰ったらすぐに食べよう。

 もはや断食のことなどすっかり忘れ、私は昆布を齧りながら4時間耐えた。


 開店時間に合わせるように私は家を出発した。

(早く、早く…!!)

 スーパーではカゴいっぱいに肉を買い込んだ。

 店員は気味悪そうにレジを打っていたが、そんな事は今はどうでもいい。

(帰ったらどうしてくれよう。)

 帰り道は涎が溢れて何度も口を拭った。

 

 家に着いた私は手を洗うことも忘れ、買い物袋から肉を取り出した。

(早く食べたい…!!)

 とりあえず焼いて食べることにしたのだが、香ばしい香りに急かされ生焼けのまま頬張ってしまった。

 生焼け特有のグニッとした食感。空腹の私には、それさえも美味しく感じさせるスパイスとなった。

(もう、焼かなくてもいいか。)

 焼くのが面倒になった私は、パックを開けてそのまま生肉を口に放り込んだ。

(牛肉は生でも食べられているし、大丈夫だろう。)

 生肉を噛むと、鉄の味が口いっぱいに広がった。養分を摂取しているという実感が強かった。

(ユッケくらいしか食べたことなかったが、大切りの生肉も旨いな。)

 キッチンに立ったまま生の牛肉をしばらく堪能した。

(…豚肉は焼いた方がいいだろう。)

 ある程度腹が満たされた私は、余裕が出てきたので豚肉を焼いた。ジュージューとこれまた食欲を誘ういい音と匂いが部屋いっぱいに広がった。

(…食欲が止まらない。)

 また我慢できなくなった私は、完全に火が通っていない豚肉も食べてしまった。

(表面が焼かれているのだから、大丈夫だろう。)


 牛と豚の肉を大量に食べた私は、ようやく満腹になった。

(鶏肉は明日唐揚げにでもして食べよう。)

 キロ単位で買った鶏肉は、切り分けること無く冷蔵庫に入れた。

 再び満腹の余韻に浸りながら眠りについた。

(仕事は、明日にしよう…。)



 翌日。目が覚めると、冷蔵庫の前に座っていた。

(あれ、この状況前にもあったような…。)

 開かれた冷蔵庫には食い散らかした鶏肉があり、手には生の鶏肉が握られていた。

(おいおい、鶏肉を生で食っちまったのか!?)

 流石に怖くなった私は急いで胃薬を飲んだ。

 腹が痛くなるかもしれない。身構えたが、数時間経っても特に体調の変化は無かった。

(…残った鶏肉はちゃんと調理しよう。)

 冷蔵庫や床に散らばった鶏肉をかき集め、にんにくと生姜、醤油と味醂で味付けた。

(油で揚げるのも面倒だ、炒めて食べよう。)

 昨日使って洗うのを忘れたフライパンをそのまま使って鶏肉を焼いた。薬味のいい香りがまた胃を刺激した。

(あぁ、はやくたべたい。)

 焼き上がった鶏肉を、私はまた立ったまま食した。

(今日も仕事をしなかった。明日頑張ろう。)

 フライパンをシンクに放置し、ベッドに向かった。


 翌日。目覚めると私はベランダに居た。

(えっ、なんで此処に?)

 理由が分からなかった。

(冷蔵庫の前は分かるが…。)

 ふと手元を見ると、鳩が死んでいた。一部羽を毟られている。

(可哀想に。)

 私は死んだ鳩をキッチンに持っていった。冷蔵庫は開け放たれていた。

(あぁ、食料がないから捕まえたのか。)

 納得した私は鳩の残りの羽を毟った。


 翌日。私は外に居た。今度は猫を捕まえていた。

(猫の肉を食べるのは始めてだ。楽しみだな。)


 私は空腹を感じる度生き物を捕まえた。不思議とスーパーで買うものよりも美味しく感じられた。

(やはり自分で捕まえるから美味しいのかな。)


 身の回りに居る大体の生き物を食べた私は、どうしても人間を食べてみたくなった。

(いやいや、流石に人を食べるのは法的に…。)

 かろうじで残っていた倫理観が私を止めていた。

 しかし、家に食べるものはない。仕事を辞めた私は食べ物を買う金も無くなっていた。

(はら、へった。)

 フラフラと公園へ向かうと、ホームレスがダンボールを敷いて寝転がっていた。

(あぁ、食べたい。食べたい食べたいたべたいたべたいたべたいたべたい。)


 気がつくと、私は精神病院に居た。両手足をバンドで括られ、自由に身動きが取れなくなっていた。

 キョロキョロと病室内を見渡していると、監視カメラで見ていたのかしばらくして先生らしき人が現れた。

「此処へ連れてこられる前に何をしたか、覚えていますか?」

「覚えていません。」

「あなたは最後に何処に居ましたか?」

「公園だったと思います。」

「何をしようと思って公園に行ったのですか?」

「食材を探しに出かけました。」

「食材。」

「はい。」

「そうですか…。」

 先生は質問をやめ、黙り込んでしまった。

「あの、やっぱり私は人を襲ったのですか?」

 今この状態にあるのは、きっと人を襲わないためなのだろう。


「いいえ、違いますよ。」

「え?」

 先生の意外な言葉に、私は聞き返した。

「違うって、どういうことですか?」

「あなたは、ホームレスの目の前で自分を食べ始めたんです。」

「え!?」

 先程よりも大きな声が出てしまった。

「食べた?…自分を?」

「はい。腕、痛みませんか?」

 聞かれて始めて右腕に痛みを感じた。

「今、痛くなりました。」

「そうですか。」

 そこまで話して、先生は部屋を出ていってしまった。


(自分を食べたのか…。)

 私はズキズキと痛む右腕を見た。包帯でぐるぐる巻きにされた右腕は、自分の視界からは地肌が少しも見えない。

(どれくらい食べたんだろう。)

 自傷行為をしたことへのショックは特に感じなかった。それよりもっと気になることがあった。

(どんな味だったんだろう。)

 想像すると涎がじわっと溢れてきた。

(あぁ、腹減った。)

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る