第7話 トリック・オア・トリート

 小学生というのは、無邪気と悪意を履き違える事がよくある。

「お前、何人間界に混ざってんだよ!w」

「退魔結界・水爆弾!」

 周りから見たらやり過ぎだろうということも、お笑いのノリでやってしまう。むしろそれに乗ってこないやつは笑いが解かってない寒い奴とさえ言われてしまう。ガキ大将というのは、善くも悪くも周りに多大な影響を及ぼす。

「や、やめてよ…。」

 バケツの水をぶっかけられた彼女・・は、弱々しく抗った。

「うるせぇ!魔女が口答えするな!」

 ”魔女”と呼ばれる春日咲璃かすがさりは、ハーフなのか日本人離れした顔立ちとウエーブがかかった髪、肌は白いが頬にはそばかすがあった。そんな見た目から、クラスのガキ大将こと大里大樹おおさとたいじゅに執拗にイジられていた。…いや、虐められていた。

「大樹くんやり過ぎだって〜w」

「ずぶ濡れじゃんw」

「あれっ、こいつブラジャーしてるぞ!」

 春日の来ていた白いブラウスは水で透け、うっすらと下着が見えてしまっていた。

「小学生でブラジャーつけるとか変態じゃね!?w」

「へーんたいっ!へーんたいっ!」

 男子たちが大樹に合わせて囃し立てた。春日は顔を真赤にして両手で胸元を隠した。

「やめなよ!!」

「そうよ、ブラするくらい普通なんだから!!」

 見かねて女子たちが春日を庇った。今までは知らんぷりだったが、下着の話になったので他人ごとに感じられなくなったのだろう。

「春日さん、体操着に着替えておいで。」

「う、うん…。」

 春日は自分の体操着を持ってトイレに駆けていった。

「なんだよ鈴木、さみーことすんなよな。」

「あんたいつもやり過ぎなのよ!黙って見てたらどんどんエスカレートして!」

 鈴木梨花すずきりかはクラスの委員長であり、女子のカースト1位。大樹に張り合えるのは彼女くらいだろう。

「でも今まで見てたんじゃん?おもしれーと思ってたんだろ?」

「はぁ?思ってないし。てか水かけるのはやり過ぎ!先生に聞かれたらどう答えればいいのよ!?」

 鈴木は、春日を心配しているように見せているが、本当はそうじゃない。憧れの担任教師である澤先生にいい顔をしたいだけなのだ。

「へーへー、すんませーん。じゃあ自主的にみんなで掃除しようとしたら俺が転んで、そんで春日にバケツの水掛かったってことにしとこーぜ。」

「そ、そういう知恵だけは回るわよね…。」

「これで満足かよ?」

「…みんなも話聞いてたよね?大樹の話に合わせてね。」

「はーい。」

「へーい。」

 みんな興味なさそうに返事を返す。そう、みんな自分が標的にならなければ知らん顔なのだ。下着の件も、おそらくブラを付けている女子だけが反応したのだろう。庇った女子たちは皆胸に膨らみがあった。

「……。」

「おい、田中、分かってんだろうな?」

「うん。大丈夫、みんなに合わせるから。」

 僕はそう大樹に返事をし、いつもどおり机に突っ伏した。

 根暗な僕が虐められないのは、春日のおかげだ。虐めの対象は、2つもいらないからだ。でも、いつその対象が僕に移るか分からない。大樹が春日に飽きたら、その時は僕の番だろう。


***


「来週の土曜ってハロウィンじゃん?みんなでお菓子持ち寄って仮装パーティしようよ♬」

 学級委員長の鈴木が帰りの会の途中で提案した。

「いいねー!楽しそう♬」

「何来てこっかなぁ〜♡」

 女子たちはノリノリだ。男子たちも、”仮装”という非日常的ワードに胸が踊った。

「おいおい、やるのはいいが遅い時間になるなよ?」

「センセーも来てくれたら問題ないですよね…?」

 鈴木は色目を使いながら澤先生に訴えた。

「はぁ。お前最初から先生を当てにしてただろ。」

「てへ♡」

「んでセンセーは来てくれんの?」

 大樹がぶっきらぼうに尋ねる。

「保護者がいないと危ないからな。仕方ない。でも先生は仮装しないからな。」

「えぇ〜!先生の本気の仮装見たかったなぁ。」

 クラスに笑いが起こった。僕と春日だけは、笑わず俯いた。…きっと、またハロウィンにかこつけて大樹の”イジり”が行われるのだろう。

 人数が人数なので、澤先生が学校に取り合ってくれて教室でパーティを開くことになった。


***


「トリック・オア・トリート〜!」

 乾杯の代わりにみんなでそう言いながらジュースを掲げた。

「梨花ちゃんの小悪魔可愛いい〜♡」

「え、そう〜?なんか照れちゃうなぁ…。」

 鈴木は胸元を開け、極限まで丈を短くしたワンピースに角がついたカチューシャ、背中には悪魔の羽を付け高いヒールを履いていた。子供なりに先生を誘惑しようと精一杯の知恵を絞って考えたのだろう。メイクも完璧だった。

「センセー、どうかな…?」

 鈴木は澤先生に再び色目を使うが、彼は「似合う似合う。」と興味なさそうに答えた。彼の視線の先には、魔女の仮装をした春日が居た。

「…チッ」

 鈴木は小さく舌打ちし、そのまま春日のもとにツカツカと歩いていった。

「あら春日さん、魔女の格好すごく似合ってるぅ!まるで本物みたい♡」

「ッ…、あ、ありがとう…。」

 春日は顔を歪めたが、鈴木の表情を見てすぐ話を合わせた。彼女の足元を見ると、鈴木の高いヒールは春日の足に食い込んでいた。

「ハロウィンってさぁ、本物の悪魔たちから身を護るために仮装したのが始まりらしいよ。」

 クラスの博識くんがそう言った。

「へぇ〜!じゃぁ、もしかしてこの中にも本物の悪魔が混じってたりして〜?」

 鈴木はこわーい、と春日を見つめた。春日は恐怖からか、彼女から目を反らした。

「えっ!?この子目反らしたんだけど!?」

「マジかよ!?」

「そう言えばいつもの春日と違うような…?」

 やはりハロウィンにこじつけてまたいつものイジりをするつもりだ。だが今日は澤先生も居る。やり過ぎることはないはずだ…。

「…本物の春日さんか確かめる必要があるなぁ。」

「…え?」

 澤先生から信じられない言葉が発せられた。思わず大樹も耳を疑っている様子だ。

「や…、やっぱりセンセーもそう思う〜?大人が言うんだから、確かめないとねぇ?」

「ぇ…。」

 女子たちは鈴木の号令で春日を羽交い締めにした。そして澤先生はゆっくり歩み寄り、春日の服を脱がしていった。

「や、やだぁっ!!」

「叫んだって他に大人は居ないよ。先生が戸締まりを任されているからね。」

「せ、センセー、こいつに何するんですか…?」

 予想外のこと過ぎて大樹は尻込みしている。

「本物の春日くんなら、左胸と右足の付け根にホクロ・・・・・があるんだ。だから確かめないと。…悪魔だと危ないからねぇ?」

 澤先生はいつもの爽やかな笑顔ではなく、いやらしい顔で春日を見つめる。

「は!?な、なんで先生そんな事知って…!?」

 鈴木は澤先生の見たことない表情と発言に驚いた。

「…春日さんはねぇ、先生の事が好きだって言って目の前で服を全部脱いで誘惑してきたんだぁ…。いやぁ、色っぽかったよ。」

 澤先生は何を言っているんだろう。春日がそんな事するわけがない。

「春日…お前ぇ…!」

 鈴木は嫉妬に燃え、後ろから春日の首を絞めた。

「ぐっ…ぅぅ…!」

「鈴木さんナイス!これで仲間の悪魔を呼ぶ事が出来ない…」

 澤先生はとうとう春日の下着まで脱がしてしまった。

「…ほら無い・・!!こいつは悪魔だ!!」

「悪魔がセンセーを誑かしてんじゃないわよ!!」

「マジモンの悪魔初めて見たーww」

 先生の言葉によって、生徒たちは皆公式に春日をいじめる事が許された。代わる代わる春日を辱め、それを写真に撮る者、罵倒する者、…。クラス全員のストレスのはけ口にされた春日は、裸であることをもう気にしない程に憔悴しきっていた。

「悪魔ってどうすれば居なくなるの?」

「邪悪なものは、性的なことに弱いと聞いたことがある。」

 博識くんの一言で、表情を変えた澤先生。

「性的なことかぁ。…丁度いい、みんなどうしたら赤ちゃんができるか、教科書だけじゃ分からないこともあるだろう?ここで実際見せてあげるよ。ちょうど悪魔も退治できるし、一石二鳥だ!」

「流石センセー!!」

「うおー!今日来てよかったー!!」

 興味津々の男子たち、動画を撮る者も居た。女子たちは恥ずかしがりながらも指の隙間から見ている、といった感じだった。春日は、何一つ抵抗しなかった。


 事が済み、先生を始め生徒たちが満足して片付けをしている間も春日は動かなかった。

「センセー、こいつどうするの?動かないけど。」

 鈴木はヒールでグリグリと春日の頬を踏みつけた。

「あぁ、朝日浴びたらそのまま死んでしまうよ。悪魔は朝日に弱いからね。」

「あー!ドラキュラとかそうだもんなぁw」

「本物の春日も実は悪魔だったりして?w」

「ありえるーw」

 口々に好きなことを言いながら春日を置いて教室から出ていってしまった。

「…春日さん。」

 僕は隠れていたロッカーから出て、彼女に脱がされた服をそっとかけた。春日は横たわったまま力なく涙をこぼした。

「…今日の事は、先生がやったことは、…初めてじゃない。」

「えっ。」

「私が虐められていることを心配していると言いながら、誰も居ない部屋に呼び出して、そこで…。」

「それって…犯罪じゃないか!」

「…そうだね。」

「親に話したりとかは?」

「…。」

 春日は黙って首を振った。

「…ねぇ、田中くん。」

「…何?」

「お菓子ちょうだい。」

「?」

 長い時間いたぶられたのだ、体力がないのだろう。僕はパーティのときにこっそりポケットに入れておいた飴玉を春日の口に入れた。

「…美味しい。」

「…助けてあげられなくてごめん。」

「いいよ、私が居なかったら田中くんが虐められてただろうし。」

「……。」

 否定できないのが恥ずかしい。

「…ごめん。」

「大丈夫。」

 力なく春日が笑った瞬間、教室のドアが開いた。

「!」

「…田中も居たのか。」

 ドアを開けたのは、大樹だった。

「な…、何しに来たんだよ!?」

 警戒した僕だったが、大樹はいつもの横暴な態度を見せずに心底申し訳無さそうにしていた。

「春日…今までごめん。…謝れば済む話じゃないけど…まさかこんなことになるなんて思ってなかったんだ。」

 大樹は泣きながら跪いて春日に謝った。

「ごめん、ごめん…。」

 春日は黙って大樹を見つめていたが、暫くして口を開いた。

「…お菓子ちょうだい。」

「…え?」

「許してあげる。だから、お菓子ちょうだい。」

 大樹は呆気にとられながらも、持っていたクッキーを春日に渡した。

「春日…大丈夫か?」

 もらったクッキーを大事そうに抱きしめる春日を不思議に思っているようだった。

「…うん。ありがとう。」

「っ、」

 まさか言われると思っていなかったのか、大樹はその言葉を聞いて号泣した。


 その後、春日の体力の回復を待って僕達はすっかり暗くなった教室を出た。そして三人で校門を出た辺りで救急車やらパトカーやらのサイレンが聞こえてきた。

「なんだ…?事故でもあったのか?」

「…。」

 サイレンが鳴っているのは、僕達の帰る先だ。祭りでも行われているのかと思う程明るく、そして真っ黒な煙がもくもくと上がっていた。

「あの、どうしたんですか…?」

 近くで見ていた人々の一人に声をかけたと同時に爆発が起こった。

 

ドオン!!!


 大きなタンクローリーが横転し、歩道を歩いていた団体に突っ込んだそうだ。そしてそのまま炎上、消防隊が必死に消火活動をしているが、運転手以外巻き込まれた人はだれもまだ助けられていないらしい。

「…クセェ……。」

 髪の毛を燃やしてしまったときのような、嫌な匂いが立ち込めている。大樹は顔をしかめた。

「あ、あれって…。」

 僕は気付いてしまった。人だかりの隙間から見える、片方だけ転がった見覚えのあるヒールに。


***


 翌日のテレビには昨日の事故が大きく報道され、被害者は僕と大樹、春日の三人を除いたクラスメイト全員と担任の澤先生だとのこと。事故の生存者はタンクローリーを運転していた加害者一人のみで、被害者はほぼ骨も残らず燃えてしまったため、行方不明として処理されている。


 月曜の朝、学校では全校集会が開かれた。

「みなさんもニュースで御存知かと思いますが……」

 僕には校長の話が全く頭に入らなかった。だって…僕の横に立っていた春日がとびっきりの笑顔で前を見ていたから。そして彼女は、

「トリック・オア・トリート♫」と小さく呟いた。

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