第6話 髪
皆さんは、口の中にいつの間にか髪の毛が入っていたなんて経験は無いだろうか。私は髪が長いせいもあり、風が強い日なんかはしょっちゅう口の中に入っては不快な思いをしていた。
面長だったので短いヘアスタイルには中々勇気を持てなかったのだが、失恋をし、食欲も出ず鬱々としたこの気分を一新させたくて、思い切って人生初のショートヘアにしてみた。と言っても、ショートボブだが。
肩甲骨下まであった髪は、もったいないのでヘアドネーションに使ってもらうことにした。しかし、いつも毛量が多くて困っているくらいなのに、今回は量が少ないのと長さがまちまちだからと断られてしまった。不思議には思ったが、季節の変わり目は髪も抜けやすいと聞くし、あまり気に止めなかった。
長年長かった髪を、ショキショキと小気味良い音を鳴らしながら美容師の人が短く切っていく。
「本当にショート初めてなんですか?よく似合ってますよ!」
なんて店員さんが言うものだから、照れくさいが気分がいい。
「ありがとうございます。」
スッキリした気持ちで店の外へ出ると、秋風が爽やかに吹いてきた。
(迷いはあったけど、切ってよかった!)
そう思っていたが、口の中に違和感が。苦戦しながら吐き出すと、それは長い髪の毛だった。
(まぁ、散髪したては顔に髪何本か付いてるものだし、それ食べちゃったんだろうな。)
仕方ないと思いつつも、しかめっ面で吐き出した髪を捨てた。
家に帰ってからは、いい気分を利用して断捨離をすることに。
(この際だ、髪だけじゃなく部屋もスッキリさせよう!)
気合を入れて、彼との思い出の品を片っ端からゴミ袋に入れた。思い出の品は予想していたよりも多く、ゴミ袋2つ分もあった。
(デートによく着ていた服も捨てたから、クローゼットもスッキリ。)
丁度秋ということもあり、新作の冬物を買いに行くことにした。
「なんだか今日の私はアクティブ〜♪」
鼻歌を歌いながら街へ出かけるが、またあの感覚。
(うぇ、また髪の毛食べちゃった…まだ顔に付いてたの?)
ひと目も気になるので、ミネラルウオーターを買ってトイレで口を濯ぐことにした。コンビニで水を買って、そのままトイレに向かった。
「せっかくバッサリ切ってすっきりしたのに、もう嫌んなっちゃう。」
ペットボトルの蓋をひねり、水を口に含む。
ブクブク、バシャッ
シンクに吐き出した。流石に短い髪の毛のはずだった。だが、吐き出された髪はまた長いものだった。しかも、一本や二本ではない。束になって口から出てきたのた。
「!?」
あまりの気味悪さに吐き気を覚え、そのまま便器に嘔吐した。
バシャッ
水音を立てながら吐き出した胃の中身は、真っ黒だった。全部、髪だった。
「う、嘘…。」
まだ口の中に髪が何本も残っている。ショックと不快さで何度も嘔吐した。それでも吐き出されるものは髪の毛ばかりだった。
「な、なんで…ッ!?」
気を失ってしまった私をコンビニ店員が発見し、そのまま救急車で運ばれた。
***
病院で目を覚ました私は、手に点滴をさされているのに気づいた。
(病院…。そっか、私コンビニで倒れたんだ…。)
暫くすると看護師がやってきて、症状について話があるが聞ける常態かと聞いてきた。
「?…はい。」
「そう。それなら良かった。途中で気分が悪くなったらすぐに言ってくださいね?」
そう言って私を車椅子に乗せ、医者の待つ診察室に案内された。
出迎えてくれた先生は、穏やかな表情で話しかけてきた。
「今の気分はどうですか?気持ち悪いとかない?」
「は、はい。」
「うん。えっとね、覚えているかわからないんだけど、コンビニで起こったことを説明しても大丈夫かな?」
先生は、極力私を刺激しないように話しかけているようだった。
「大丈夫です。」
そう答えながらも、口の中に残るあの感覚と、吐き出した毛玉などを思い出し肌が粟立った。
「…あなたは、コンビニで大量の髪の毛を吐いた状態で発見されました。自覚ある?」
「あります。」
「うん。びっくりしたよね。以前にもこんな事があったりは?」
「ありません。髪が今日まで長かったので、たまに口の中に入ることはありましたが…。」
「…うん。じゃあ、最近大きなショックを受けたことは?」
「…長年付き合っていた恋人と別れました。」
「…辛かったね。多分、それが原因だろう。」
そう言って先生は「食毛症」と診断した。
「食毛症というのは多くは子供の頃に発症するが、まれに大人も発症する。主な原因はストレス。髪は消化されないから、習慣化されると毛髪胃石を引き起こして胃潰瘍になったり、最悪腸閉塞を起こすこともある。”私”さんは幸運にも発症してから日が浅いのと、食べた髪を全て吐き出した事もあって胃の中は綺麗だよ。」
そう説明し、私の胃のエコー写真を見せてくれた。
先生によると、精神的ショックから私は寝ている間に髪を毟り取って食べていたのだろうと言われた。髪が短くなったので以前より食べにくくはなっているが、念の為心療内科に通院することをおすすめされた。
以前から食欲がなかったのも、失恋の傷からと言うよりは胃の中に髪が溜まっていて、物理的に食欲が湧かなかったのだろうと説明され、このまま今日は栄養剤を点滴されることになった。
「点滴が終わったらナースコールで教えて下さいね〜。」
部屋に戻された私は、そのままベッドに寝かされた。
「……。」
食毛症。私は、意識のないのところで自分の髪を食べていたのか。
説明され、納得はしたがモヤモヤしていた。
(…だったら。)
だったら、コンビニのトイレの鏡に映った長い髪の女性は誰なのだろう…?
髪が長かった頃の私によく似た、 青白い顔の女性。その女性が、無理やり私に自分の髪を食べさせようとしてきた。それが怖くて、私は気を失った。
「………。」
先生に言ってもきっとそれも精神的ショックからと言われるだろう。事実、美容室では私の髪が減っていると聞かされた。きっと、私の妄想が作り出した幻覚だ。そう思い直し、コンビニで見た女を視界から外すように寝返りを打った。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます