第5話 逆再生

「浮気した相手が妊娠した。だから別れて欲しい。」

 謝るでもなく、俺は淡々と真莉愛に伝えた。彼女は怒るでもなく、ただ悲しそうに笑って「分かった。」とだけ返した。


 真莉愛とは高校の時からの付き合いで、もうすぐで付き合って3年が経とうとしていた。初めての相手だったし、それなりに真剣に愛していたつもりだった。だがどうしても他の女性も知りたくなってしまったのだ。

 大学のサークルに、真莉愛とは正反対の女の子が居た。清楚で尽くすタイプの真莉愛とは違い、彼女は自由奔放で、まるで猫のようだった。我慢強い真莉愛とも正反対で、甘え上手。あっちの方も積極的で、体の相性もこちらの方が良かった。

 若さゆえの過ち、と言ってしまえばそれまでなのだが、俺は彼女に夢中になっていた。


「…その子と結婚するの?」

 真莉愛は震える声で聞いてきた。

「いや、結婚はしない。こどもも、堕ろしてもらうつもり。」

「…そう。でも、私とは別れちゃうんだ?」

「お前は浮気したうえに相手妊娠させた男と付き合い続けたいのか?」

「……。」

 分かっている。理不尽なのは。それでも俺にしがみつこうとする真莉愛の一途さが、今の俺には鬱陶しくてたまらなかった。

「アパートはこのまま真莉愛が使ってくれていいよ。俺が出ていくから。」

 そう言って少ない荷物を持って俺は部屋を出た。


 その後俺は、妊娠させた女の子にも今までの関係の解消と、子どもを堕ろしてほしい旨を伝えた。

「手術費は俺が全部払うから心配しないで。ほんとにごめん…。」

「…いーよ、最初からアソビの関係なんだし。」

 何故か彼女にだけは素直に謝ることが出来た。それは、付き合いが長い真莉愛に甘えていたからだと思う。

 そして彼女を産婦人科に送り届け、住むところを探した。


***


「おい、いい加減部屋見つけてくれねーか?ただでさえ夏で暑いってーのに、男と共同生活とかムサすぎて耐えられん!」

 友人であり家主の浩司が汗だくになりながら訴えてきた。

「エアコン使えよ。電気代くらい俺が出すから。」

「クーラーは頭痛くなるからヤなの!てか金あるなら部屋借りろよ!」

 もっともなことを浩司は言うが、俺は部屋を出るつもりは無い。否、一人で居たくない・・・・・・・・のだ。

「そんな冷たいこと言うなよぉ。俺達の仲じゃん?」

「俺、彼女と同棲したいんだけど。」

「え、お前彼女居たっけ?」

「男と住んでたら誤解されて彼女も出来ねーだろ!」

「彼女出来ないのを俺のせいにするなよなぁ。」

 くだらない話ではぐらかしながら、俺は浩司の部屋に転がり込んでからもう半年経つ。事あるごとに退去を命じられるが、騙し騙し居座っている。

「…お前、マジで男の趣味はないんだよな?」

 急に真面目な顔をして聞いてきた。

「勘弁してくれ。俺はもう恋愛とかそういうの、老若男女問わず懲り懲りなんだよ。」

「あぁ、マリア・・・ちゃんと真莉愛ちゃんの事?お前も罪な男だよなぁ、同じ名前の子に手を出した挙げ句に妊娠させるなんて。」

「……。」

「どうした?古傷えぐられたか?」

「お前に話してなかったっけ、真莉愛の事。」

「どっちのまりあ?」


 俺は、あれからの事を浩司に話した。

「真莉愛は、死んだんだ。…急性白血病で。」

「えっ。」

「別れて割とすぐだった。突然着信があって、また復縁の話かと思ったらお母さんからの電話で、白血病になったってさ。でも、俺あんな別れ方したし、合わせる顔も無いからって会うのを断ったんだ。そしたら、その1ヶ月後に……。」

「…葬式には顔出したのか?」

「…いいや。でも落ち着いてから家に謝りに行った。…真莉愛は、最後まで俺に会いたがっていたらしい。」

「……。」

「真莉愛の話は、これで終わりだ。」

 話を聞いて、浩司は目を潤ませながら俺の肩を抱いた。

「辛かったなぁ。なんで今まで言わなかったんだよ、水臭いな。」

「…なんていうか、悲しいだけの話じゃないんだよ。」

「ご両親に恨まれたとか?」

「そんなんじゃない。その…真莉愛が死んでからおかしなことが起こるようになったんだ。」

「おかしなこと?」

 黙って頷き、俺はスマホを取り出す。

「え”。まさか、心霊写真…?」

「ちげーよ。…もっと、気味悪い。」

 そう返して、俺はお気に入りだった・・・曲を流した。


〜〜〜♬


「…何処が気味悪いんだ?」

 ノリの激しい、明るい雰囲気のロックだ。

「もう少し聴いてろ。」


〜〜〜♬


〜〜#$%&っ


「!?何今の!??」

 曲の途中で、言葉は聞き取れないが女性のような甲高い声で何かを叫んでいる声が混じっていた。明らかに曲の一部ではない、何者かの声が上書きされている。

「…この曲だけじゃない、俺が聞こうとする曲全部にこの声が入るんだ。」

 浩司は、想像以上の真実を知り、顔を真っ青にして自分の腕を抱いた。

「お前、ちゃんと彼女に謝ってないだろ。」

「謝ったよ!!それこそ、墓の前で何度も土下座した!…それでも収まらないんだよ。それどころか、声、段々大きくはっきり聞こえるようになって…。」

 今聞かせたのは、大分成長した声なのだ。最初はノイズかなにかだと思う程、小さくか細い声だった。それが日を増すごとにどんどん大きくはっきり聞こえるようになってしまった。

「…曲だけじゃなくて、テレビにもたまに聞こえることがあるんだ。な、こんなの一人じゃ居られないだろ…?」

「だ、だからって俺を巻き添えにするなよ!謝っても駄目ならお祓い行け、な?俺も念の為払ってもらいたいし、一緒に予約取ろう。」


 そうして俺達は近くの神社に電話で厄払いを依頼し、事情を話してお祓いをしてもらうことになった。

「はぁ〜、緊張する…。」

「当事者じゃないお前が緊張してどうすんだ。」

「だってよぉ、テレビとかで見てるとなんか取り憑かれた人間が暴れだしたりするじゃん?」

「あれは演出だろ。」

 そうこうしているうちに神社に着いた。

(これであの気味悪い声とはおさらば出来る…。)

 巫女さんに案内され、本殿で待っていた神主さんと対面した。すると神主さんが急に険しい顔をした。

「貴方、お付き合いしていた女性だけでなく生まれる前の子までないがしろにしましたね。」

「!」

「えっ、やっぱり神職の方ってそういうの分かっちゃうんですか!?」

 俺の代わりに浩司が神主に聞いた。

「こんな悲しい子を供養もせずに放ったらかして。苦しんで当たり前です!」

 浩司の問いには答えず、俺を叱り飛ばした。

「…妊娠したての胎児でも、供養しないと駄目なんですか?」

「当たり前でしょう!体が小さくとも、生まれる前でも命は命。命に優越などありません。貴方はそんな考えだから祟られるのです。はっきり言いますが、ここでは祓えません。お寺に行きなさい。そして、ちゃんと水子供養をするんです。いいですね?すぐにお寺に行きなさい。この子・・・が可哀想過ぎる。」

 まるで堕ろした子供が実際にここにいるかのような話しぶりだった。そして「儀式をしていないので玉串料は必要ありません。そもそも、そんな汚れた手から受け取りたくない。」とまで言われてしまった。

 半ば追い出されるような形で神社を出た俺達は、その足で真莉愛が眠っている墓を管理しているお寺に向かうことにした。

「…神主さん、めっちゃ起こってたな。」

「…あぁ。」

「…住職さんにも、きっと叱られるだろうな。」

「…。」


 神社へ向かうときとは大分違う気持ちでお寺に着いた。道中連絡を入れたとは言え、ほぼ飛び込みで供養を頼んだのだ。さっきの比でないくらい叱られるだろう。

「すみません、先程水子供養をお願いしたものですが…。」

 境内の掃除をしていた若いお坊さんに声をかけると、「あぁ。ご案内しますね。どうぞこちらに。」と朗らかに案内してくれた。

 本堂に向かう道中で、住職さんが待っていてくれていた。

「やぁ、君だね、水子供養したいって子は。」

 浩司ではなく、迷わず俺を見た。というより、俺のすぐ斜め下を見ていた。

「…。突然お願いしてしまって、すみません。」

「いやいや。供養は早いに越したこと無いからね。…君は随分、現実から顔を背けて生きてきたようだ。若いうちに教えてもらってよかったね。」

 神主さんとは違った叱られ方をした。だが、どこか諭すような、そんな優しい叱り方だった。

「…水子供養というものを、今日始めて知りました。神主さんには、命をないがしろにするなと、随分叱られました。…生まれる前の人間になりきれていない胎児でも、大事な命なんだって、知らなかった…。」

「…昔と違って医療が発達しているから、中絶も簡単な気持ちでやってしまう人が少なくない。でもね、お腹に命が宿るというのは本来喜ばしいことで、奇跡の連続でもあるんだよ。君達もそうやって生まれ、育ち、今まで生きてこれたんだ。これも奇跡。知らなかったでは、済まされない。でも、知るすべを持てなかったのも、まぁ可哀想なことではあるけどね。」

 住職さんは穏やかな声で続ける。

「水子供養というのは、生まれることの出来なかった命を供養するだけじゃなくて、残された両親の心を慰めるためにも行われるものなんだ。君は、なんとも思っていなかったかもしれないけれど、彼女・・のお母さんはとっても悲しんだんじゃないかなぁ。」

「…。」

「お母さんとは、連絡取れない?」

「…大学中退したみたいで、連絡先も消したので今は……。」

「…そっか。じゃあ、今回は君達だけで供養してあげようね。」

「はい。」

「…あ!あの、その前に聞きたいことがあるんですけど…。」

 浩司は気になっていたことをこの際だから聞こうと、俺の聞こうとした曲や映像に声が交じる事を住職に説明した。

「はっきりは聞こえるんですけど、何を言っているのか分からなくて。…怖いですけど、その子からのメッセージなんですよね?俺達、知った方が良いと思うんですけど…。」

「うん。浩司君の言う通りだね。怪奇現象っていうのは、霊たちが私達に気づいて欲しくて起こしているもの。繰り返し同じことを言っているなら、絶対に君に当てたメッセージだよ。」

 ニッコリと住職は俺の顔を見たが、俺は怖かった。…知るのが怖い。

「今、音源はあるかい?」

「はい。…おい、スマホ出せよ。」

 浩司は俺からスマホを取り上げて操作し、あの曲を流し始めた。


〜〜〜♬


〜〜#$%&っ


〜〜〜♬


〜〜#$%&っ

〜〜#$%&っ


「「!?」」

 明らかに混じっている声が増えている。俺と浩司は抱き合って震え上がった。しかし、住職は反対に悲しそうな顔をした。

「…これはちゃんと知るべきだ。怖くないから、ちゃんと君の耳で聞きなさい。」

 そう言うと、ここまで案内してくれた若いお坊さんにラジカセを持ってくるように頼み、そしてそのラジカセで曲を録音した。

「今からこの曲を逆再生する。曲はめちゃくちゃになるが、この子の悲痛な叫びはしっかり聞こえるようになるよ。」

 そう言うと、住職は再生ボタンと巻き戻しボタンを同時に押した。



#$%$`*#%


〜`*”#$”$#%


〜おとうさん!


おとうさん!!


#$%#&*`@


おとうさん!!!



 はっきり聞こえた。小さな女の子の声で、まるで迷子になった時に親を呼ぶような不安そうな叫びが。

「…っ。」

 住職の言葉が分かった。神主が何故あんなに怒ったのかも。

「…聞いてよかったね。」

 優しい住職の声に、俺は涙ながらに頷くしかなかった。


 それから俺達はに戒名を付けてもらい、卒塔婆を作ってもらった。皆で丁寧にお経を唱えて娘の供養を心から願った。

「……この子はね、ずっと君に知ってもらいたかったんだ。生まれたかったこと、この世に生まれて会いたかったことを。」

「…はいっ。」

「真莉愛さんのことも確かに大切だ。でも同じように、血を通わせた実の娘の事も忘れないであげてね。お母さんにも、もし連絡が着いたらここに眠っていることを教えてあげるといいよ。」



***



 あれから俺は、当時マリアと繋がりがあった人たちを伝ってようやく彼女に連絡が取れた。

「今更ごめん。…その、水子供養をしたんだ。もし、良かったら…」

「行く。」

 俺が言い切る前に、彼女は答えた。そして、二人で真莉愛と娘が眠るお寺に向かった。

「…彼女さんも亡くなってたんだね。知らなくて、ごめん。」

「いや、マリアが謝ることなんかない。俺が、全部悪いんだ。…お前たちだけじゃなく実の娘まで悲しませて。」

「…なんか変わったね。」

「そうか?」

「…うん。なんていうか、お父さんになった。」

 久々に見る笑顔だった。俺達は真莉愛と娘の供養を祈り、当時の思い出話をしてから別れた。

「…会えてよかった。もう会うことは無いかもしれないけど、もしお寺で会った時は、その時は、あの子のお父さんとお母さんでいようね。」

「あぁ。…じゃあ、元気でな。」

 俺達は、お寺の前の道を別々に進み始めた。ふと見上げた空は、高く晴れ渡っていた。


「お父さん!」


 驚いて振り向いたが、声の主は家族でお墓参りに来ていた女の子だった。

(…あぁ、そっか。今日はお彼岸か。)

 道の端を見ると、彼岸花が綺麗に咲いていた。

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