第4話 ドッペルゲンガー

「ドッペルゲンガーに会ったら死ぬ」


 よく聞く話だ。夏は飲みの席になると、そういった怪談なんかを話しだす奴が居て困る。酒は楽しく飲むに限るのに。わざわざ盛り上がっている場を凍りつかせて何になる。

「ーでさ、そいつどうなったと思う…?」

「いやー、怖いの苦手!もうやめようよぉ。」

「明子ちゃんったら、ホントは先が気になるくせにー。」

 薄っぺらいやりとりをしながら、同僚の裕二達はまた次の怪談話をし始めた。

「はぁ。」

 合コンをやるから数合わせに来い、と言われて来たものの、予想以上に面白くない。幹事の裕二を中心として、女性陣は怪談話に夢中。俺ともう一人の冴えない新人だけが輪から外れて寂しく飲んでいた。


「…先輩は、聞かないんですか?怪談。」

「聞かないね。目に見えないもんは信じない主義だし。」

「…そうですか。」

「それに酒は楽しく飲むから美味いんだろ?こんな風にしみったれた状況で飲んだって酔えねぇよ。」

 片膝を立て、ふてくされながら飲む俺を見ながら新人の宇津見は言った。

「…ドッペルゲンガーの話は有名ですけど、足立さんは見たことありますか?」

「あ?あるわけねーだろ。見たとしてもそりゃそっくりさんだ。」

「…そうですか。」

 さっきから冴えない返事ばかりする宇津見こいつは、会社でも冴えなかった。いや、仕事が出来ないわけではないのだが、返事はいつもこんな感じだし、人の輪に参加して話すようなキャラではない。それがどうして今日は合コンなんかという縁も所縁もなさそうな行事に参加しているのか。

「…お前、裕二の誘い断れなかったのか?」

 所詮そんなところだろう。会話のつなぎ程度に聞いたのだが、帰ってきたのは意外な言葉だった。

「…足立さんが心配だったので。」

「はぁ?」

 年下のこんな冴えない奴に、俺が心配される?意味がわからない。

「なんだ?美人局つつもたせにでも引っかかると思ったか?」

「いいえ。」

 思いの外はっきりと否定された。いつもの宇津見らしくない。

「…じゃあ、何が心配だって言うんだよ。」

「ドッペルゲンガーですよ。居るんです、足立さんのドッペルゲンガーが。」

「アホか!だからそりゃそっくりさんだっつーの!居るなら連れてこい、俺ぁ死なねー。」

 こいつも怪談話をするのか。どいつもこいつも非現実的なことを言いやがる。

「…足立さん、借金ありますよね?」

「!!」

 宇津見の言う通り、俺には4,000万の借金がある。当時彼女と結婚しようとして無理して買ったマンションの金だ。彼女は他の男に乗り換え、しかも買ったマンションが下の階の起こした火事によってほぼ全焼。更に間の悪いことに火災保険の審査が降りる前だったので保証もされず、借金だけが残ってしまった。

「…会社で噂にでもなってたか?」

「いえ、足立さんのドッペルゲンガーから聞きました。」

「!?」

「足立さん、何があっても自ら命を絶とうとだけはしないでくださいね。」

 ものすごく真剣に新人が先輩の俺を心配してくれている。情けなくて泣きそうだ。

「…言われなくたって、死にゃしねーよ。」


 シラけたまま合コンを抜け、一人で飲み直しに馴染みのBARに行った。しかし、それが良くなかった。

「やーやー、ここで待ってたら来てくれると思いましたよ。」

 扉を開けるなり、奥で座っていたガタイの良い男が立ち上がって俺を手招きした。

「足立さぁん、こんなところで飲んでる暇があったら少しでも金返してくれませんかねぇ?」

 がっちりと俺の肩を抱き、酒臭い息を俺の顔に吹きかけた。

「か、金はちゃんと全額お返しします。ただ、金額が金額なので今すぐっていうのは…」

「ナメたこと言ってんじゃねーぞ!?」

 男の大声が店内に響き渡り、マスターも含めた人間全員が固まった。

「ウチの金利分かって言ってます?ねぇ?悠長なこと言って、自己破産なんかされても困るんですよ!」

 俺が借りてしまった金融会社は金利年25%。法で定められている上限は20%なので、れっきとした悪徳金融会社なのだが、弁護士を雇って訴えるだけの金もないので泣き寝入りするしかなかった。

「すみません、すみません。」

 恥も外聞も捨ててその場で土下座した。有り金全て渡したが許してもらえず、そのまま店の外、そして人気のないところへと連れ出された。


ドッ、ボグッ!


 ガタイのいい男に引きずられる形で連れてこられた場所には他にも筋骨隆々の男が待ち構えていて、俺はそいつにタコ殴りにされた。

「はぁ、…っ、ゆ、許してくだざい…」

「じゃあ明日までに全額返して。出来なきゃ体で払ってもらう。」

 体で、というのはきっと臓器を奪われるということだろう。

「わ、分かりました…。」

「あ、言っとくけど高飛びも考えないようにね?どこまでーも探して見つけるから。」

「……。」

 実質「死ね」と言っているようなものだ。

「じゃ、明日楽しみにしてるからねぇ。」

 そう言って男達は去っていった。

「くそっ…なんで、俺ばっかり……。」

 本気で惚れた女には捨てられ、必死にかき集めた金で買ったマンションは俺の部屋だけ跡形もなくなり、残ったのは膨大な借金だけ。逃げることも叶わない。

 俺はおそらく折られたであろう肋を庇いながら、足を引きずってオンボロアパートに帰った。部屋の前に着くと、「逃げるなよ」の文字がでかでかとスプレーで書かれていた。

「……。」

 もう、お終いだ。どうせ死ぬなら自分でなるべく楽に死のう。そう思った俺は、睡眠薬を買おうと思い引き返した。だが、財布の中身はカラ。部屋に戻っても金は無い。睡眠薬で死ぬことは叶わない。

「……死に方さえ、選べないのかよ。」

 情けなくて涙が出てきた。俺は荷造り用のビニール紐をちまちまと編み、ロープ程の太さに仕上げた。編み込んでいる間は、不思議と心が穏やかになれた。ようやく楽に慣れる安心からなのだろうか。

 ふと、合コンの時の宇津見の言葉が蘇る。


「何があっても自ら命を絶とうとだけはしないでくださいね。」


「へっ、何が”何があっても〜”だよ。お前に俺の辛さが分かるのかっての。」

 首をつるための紐は出来た。問題は場所だ。よく聞くドアノブだと低過ぎて死ぬまでに時間がかかり、苦しむことになる。じゃあ浴室?それも足がギリギリ届いてしまう。一気に体重をかけて首ををへし折るには…。

 俺はベランダを見た。ベランダの手摺なら、十分な高さがある。それに思いっきり飛べば、勢いがついて骨も一気に折れる。

「よし、決まりだ……。」

 手作りの紐を解けないように丁寧にベランダに縛り付け、輪になった反対側を自分の首にかける。あとは、飛ぶだけだ。

「……っ。」

 ここまで入念に準備をしたのに、手すりに足をかけた途端に急に悔しくなってきた。

 どうして俺が。何も悪いことなんてしていないのに。幸せになれるはずだった。なんで上手く行かない。今からでもやり直したい。やり直せるのか?もしかしたら逃げ切れるかもしれない。そうだ、海外に行ってしまおう。パスポートはまだ切れていないはずだ。

 あれこれ考えているうちに少し冷静になってきた。そうだ、何も死ぬことはない。死ぬ気でやり直せば良いんだ。別の誰かとして生きていこう。どうせ借金しているんだ、整形して誰か分からなくして…

 前向きな考えがポンポンと出始め、かけていた足をおろそうとした時ーーー。



トン。



 後ろから誰かに背中を押された。そして俺は予定通りベランダから投げ出され、紐がストッパーとなってビィンッと首から下だけが勢いよく重力に引っ張られる形になった。

 希望から絶望へと一気に落とされた俺だったが、せめて犯人だけでも見てやろうと目を見開いた。そこには、同じように首を吊ったであろう歪な姿の、俺とそっくりな男が力なくうつろな目で笑っていた。


「ドッペルゲンガーですよ。居るんです、足立さんのドッペルゲンガーが。」


 また宇津見の言葉が蘇る。俺はドッペルゲンガーに殺されたのか…?なんで…。

 だらしなく伸び切った体の俺は、悔しくてたまらなかった。生きようとしていたのに。せっかくやり直そうとしたのに。許せない。


 世界というのは、並行していくつも存在するという話を聞いたことがある。だったら俺も”俺”を殺してやる。別世界の俺だけのうのうと生き延びるなんて許さない。

 無事魂魄だけになった俺は、俺を殺した”俺”と別れを告げ、まだ生きている”俺”を殺しに旅立った。



「…だからあれ程言ったのに。」

 宇津見は悲しそうに旅立つ俺を見送っていた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る