第2話 娘にだけ見える何か
今年もこの季節がやってきた。ジリジリと焼け付く日差しと、やたら五月蝿いセミたちの合唱。それもそろそろ終わりに近づくだろう。夜には少しずつ涼し気な虫の歌が聞こえるようになってきた。
私は嫁ぎ先の里へ夫と4歳になる娘と三人で里帰りしていた。里は自然豊かなところで、私達の居る街に比べたら幾分涼しかった。義理の両親は優しい人たちで、嫁の私にいつももとても良くしてくれた。
でも、私はこの里、否、この家が苦手だ。
親戚付き合いが面倒なわけではない。ひとつ、どうしても気になることがある。
里に帰ると、必ずと言っていいほど娘がある部屋の何もないところを、ただ黙って見つめているのだ。
子供には、大人には見えない何かが見えるとよく聞く。これもその例の一つなのだろうが、新生児の頃から毎年同じ所を黙って見つめているとさすがに気味が悪い。
「亜子ちゃん、そこに何があるの?」
昨年も同じことを聞いたが、「わかんない」と言われた。娘も今年で4歳になり、自分の伝えたいことはもう流暢に話せるようになった。今回こそ、娘にしか見えない何かの正体が分かるかもしれない。私は、娘の返事を待った。
「黒いお坊さん。」
「お坊さん?黒いって、服が?」
娘は頭を振った。
「顔も、全部黒いの。」
想像していた以上にはっきりと、気色悪いものを見ていたようだ。ゾクッと背筋が寒くなったのを堪えながら、更に踏み込んでみた。
「…全部黒いのに、お坊さんって分かるんだ?」
「うん。だってナンアミダって言ってるから。」
少し言い間違えをしているが、「南無阿弥陀仏」と言いたいのだろう。
「お経唱えてるの?」
「うん。でもね、今はちょっと違う。」
「?」
「ひとり
思わぬ言葉に返事に詰まった。ヒガン、…彼岸。
娘が見えているソレは、誰かを連れて行こうとしている。私は慌てて娘を抱えてその部屋から逃げ出した。
****
「本当にそう言ったんです!!」
娘を寝かせた跡、昼間あったことを義両親と夫、弟夫妻に話した。
「イマジナリーフレンドってやつじゃないのか?多感な時期だし、そんな気にすることないって。」
夫は霊などそういった類いは全く信じない人だ。私がいくら言っても取り合ってくれない。
「だからって4歳の子供が”彼岸”なんて言葉知らないでしょう!?」
義両親は私の話を受け止めてくれたが、「黒いお坊さんなんて見たことも聞いたこともない」と困ったように顔を見合わせた。
「毎年見てるんですよね、そのお坊さん。」
義弟の正さんが聞いてきた。
「えぇ。しかも、いつもはお経を唱えてたって言うんです。」
「子供の戯言と捉えないで、ちゃんとしたお祓い受けたほうが良いんじゃないかしら。」
義妹の真奈美さんは私の不安を汲み取ってくれたようだ。
「お祓いなら、明日朝にでも土地神さんとこの神社に声かけてみるよ。こういうのは早い方が良いだろう。」
優しい義父は、そう言って話を締めくくった。
早朝、義父が神主さんに掛け合ってくれて、早急に親族全員のお祓いが決まった。土地神を祀っている神社は、小ぢんまりとしていたが自然と背筋が伸びる。
「やっぱり、善くないものなんでしょうか?」
義父が恐る恐る神主に聞く。
「対峙していないので分かりませんが、そのモノに悪意があれば、善くないでしょうね。」
そう答えた神主は、お祓いを始めた。キッと表情に気合を入れて本殿上の方に進み、私達一人ひとりの名前を丁寧に読み上げて住所を記入した祝詞を奏上。厄払いを祈願してくださった。そして、一人ひとりに玉串を渡され、神主さんの手本の通りの手順で皆の無事を祈った。
「これで土地神様が皆様を守ってくださいます。ただし、油断は禁物です。普段の行動一つにおいても事故のないよう、どうかお気をつけください。」
そう言ってお守りと授与品のお酒等を手渡された。
厄払いをしてもらい、少し心が落ち着いた私だったが、「黒いお坊さん」があの家から居なくなったわけではない。
神主さんが言うには、長いこと留まっているなら地縛霊だろうとのこと。家を払うことも出来るが、大掛かりなため準備に時間がかかるし、無理に払おうとすると逆に善くない場合もあるそうだ。つまり、これからはソレに関わらないこと、居ないものとして過ごすしかないとのことだった。
「亜子ちゃん、もう”黒いお坊さん”のことは見ないようにしようね。わかった?」
私は娘に少ししつこいくらい言って聞かせた。
「うん。…でもーーーー。」
娘は困ったように私をおずおずと見上げる。
「ママのすぐ後ろに居るからどうしても見えちゃう。」
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