5.落ちた。

「っていうかボルドーワインってよく聞くけどフランス産?」

「俺もよくわからないから、そこからだな」


司さんも同意する。聞くだけ聞くが、基本、飲まないのでシャトーとかボルドーとかあまり気にしたことはない。


「ボルドーはフランスの南西部の地名だよ」

「国内のアクセスがよくない沿岸地方だったから、海路でイギリスに輸出されていたんだ。だから実際はフランスよりイギリスでの消費が多い」

「ワイン一つでも複雑な輸出入事情が」


日本はヨーロッパと違って地続きの国境も国が密集しているわけでもないから、あまり聞かない話だ。


「で、メロンは?」

「フランスでは安価に手に入るごく身近な果物。1つ数百円くらいで」

「……日本は高級品なイメージだけど、国によって全然価値が違うんだな」

「ロシアではイクラは鮭を捕まえたそばから川に投げ捨てられていくというし、文化の違いを感じる」


いや、イクラはもっと高級品ですよね。何やってんだロシア。それ日本にサーモンと一緒に輸出してくれ。


「生ハムは持参してそうだったから持ってこなかったけど」

「アスタロトさん、なんでそんなに詳しいんですか。誰かの時間とか見てないですよね!?」

「その能力制限されてるから。ボク、ただの観光神魔だから」


大体見透かされている感が半端ない。エシェルの方を見るとこれに関しては観念したように、メロンと生ハムを一緒に食べる習慣があることを説明している。

……さすがのエシェルもアスタロトさんのペースには勝てないようだ。


「で、ボクが用があったのはお姫様たちなんだけど、さっきから一切反応ないけどどうなってるんだい?」


お姫様。

それ本人たち聞いたら顔色なくなりますよ。人形みたいになりますよ。

もちろん、聞こえてないこと前提でわざと言ってるんだろうけど、それな。本当にさっきから謎なんだよな。


アスタロトさんの言動も謎すぎて、思わずそっち優先してたけど。


不知火は首だけで振り返ってこちらを見ているが、二人の姿はその向こうで見えない。

さすがに司さんが見に行った。

なんだか少し間があって。


「……落ちてた」

「はい?」

「二人とも寝てる。相当な勢いで落ちている感じだから、起こさない限り起きそうもない」


それってすっごいレアな光景なのでは……見に行ったらあとで怒られそうなんだが。


「えっと……珍しい?ですね」

「そうだな。今日は日差しも風も心地いいし、最近ずっと気を張っていたろうから」


あ、そっちの方か。

森さんはわからないけど、忍は同性でも人に寝顔見せるタイプじゃないから、そもそも居眠りしているところなんて見たこともない。

オレなんてしょっちゅう移動中、寝てたりするけど。

というか、授業中にも全く寝たことがないらしいのでむしろ、それ自体希少種なのではとは思っていた。


そんな忍が落ちてるってことはよっぽどなんだろうなとは思う。


「そう。この辺りにいそうだから、お返しを持ってきたんだけど」

「お返しって、ホワイトデーのですか」

「うん、郷に入っては郷に従えというだろう? 気持ち程度だけどね」


とアスタロトさんは更にケーキボックスを差し出してくる。

なんか、箱だけですごいおしゃれな感じのやつだ。


「ピクニックだっていうから、摘まめるやつ。人数分はあるから起きたらみんなで食べるといいよ。でも要冷蔵だから早めにね」

「アスタロトさんは?」

「散歩してくる」


微笑みながら手を小さく振ってそのまま歩いて行った。

……あっさりしたヒトだ。


「……びっくりした……」

「エシェル、大丈夫か?」

「大丈夫そうだ」


若干問答がおかしいことになっているが、ダンタリオンと違って今現在、アスタロトさんは、エシェルに関しては何も追及してこない様子。


「あれ、気づいてんのかな」

「それがわからないから大丈夫だとは言い切れない」

「取って食ったりしないという言い方が、含みがあるような無いような、全く読めないな」


なんとなく三人でドキドキしている。

こんなところで魔界の貴族と大天使が鉢合わせるとか、勘弁してくれ。


「心臓に悪い。とにかく『何も気づいてない』ということにしておこう。ダンタリオンの奴もさすがにアスタロトさんに話すとは思えないし」

「そうなのか?」

「そうだな、どちらかというとそこはそこで秘匿情報がお互いにある感じだからな」


仲良く情報交換などという構図はまず考えられまい。

むしろそれとは別に気取られてそうなのが一番怖いんだが。


「とにかくあの様子ならアスタロトさんは大丈夫だ。エシェルもフランス大使に徹してふつうにしててくれ」

「割と心臓に悪い感じだから、そうする」


何か感じるところはある模様。


「じゃあピクニックモードに戻ろう。このお返しですが、やっぱりオレたちが開けたらまずいですよね」

「要冷蔵って言ってたから、どっちにしても早めに開けた方がいいだろ? 不知火」


司さんは、アスタロトさんが去って再び向こうを向いたまま組んだ前足の上に顎を乗せて自分も休んでいる不知火を呼んだ。


「二人を起こしてこっちに来てくれるか」


不知火がそれを聞いて立ち上がる。


ぼとっ。


腹の上で寝ていた女子二人がうつぶせのまま芝の上に落ちた。


「………………」


オレは動物の表情は読めないが、わずかな全員の沈黙に、やらかした。みたいな不知火からの空気が伝わってくる。司さんの声に反応したのが先で、起こす前につい立ち上がってしまった感は半端ない。


「……不知火」

「一体何が」


下は芝生だし高さはほとんどなかったので、無事だ。しかも起きることは起きた。二人ともうつぶせになったままだが。


それで不知火ははっとした様子で、二人の方へ体を向けなおして鼻先を押し当てる。体を起こす二人。


「なんか、落ちた」

「すごく寝た気がする」


そうだな、天使が来てからけっこう頑張ってたもんな。こんなうららかな日差しの下でもふもふが気持ち良ければそれは落ちもするだろう。

違う意味でも今、落ちてたが。


「気がするって言うか寝てたよ」

「……いびきとかはぎしりとか夢遊病とかなかったですか」

「そんな心配全くないから」

「自分たちでしてたらそれで起きてるだろ」


ごもっともな司さんの指摘の頃に、不知火を含めて三人ともシートまで戻って来る。


「寝てたのに気づかないくらい静かだったよ」

「むしろ静かすぎておかしいとは思っていた」


エシェルと司さんに完全同意する。


「それで、どうしたのいきなり」

「そこは理解してるんだな」


不知火がごめんなさいとばかりに森さんの頬に横顔を宛がっている。森さん表情を変えないで押しこくられているのが、なんだか一見して妙な絵面になっている。

そのまま横に傾いで倒れそうなくらいパワーあるだろ、不知火。

実際、今まさに森さんは左に傾き始めている。

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