第7話 私の意識はぶつりと途切れた。

 ――って、言ったのに。


 あのとき受け取った名刺を片手に、私は一人で夜の道を歩いていた。

「単純かっ」

 自分に突っ込む。独り言は、夜の空気にむなしく消えた。

 ちょっとした気紛れだ、気紛れ。奢ってくれると言うなら行ってやっても良い、別に、あの男が楽しそうにしていたのが気になったからとかではない――。

 ちゃっかり次は紅茶とデニッシュが美味しいお店に行こうという約束を取りつけてきた相手を思い浮かべて、頭の中で三回くらいコーヒーをぶっかける。よし、ちょっと気が済んだ。

 顔を見るだけだ、冷やかしに行くだけ。別に、彼の店長姿に興味が出たとかではない。

 彼があまりに楽しそうに話していたから気になった、だなんて。

 そんなことは、全くないのだ。


「……うん」

 なんだか判らないけれど自分に気合いを入れて、私は鞄を持ち直した。二限分のテキストが重い。腕に下げたいつものミニトートも地味に邪魔だし、いったん帰ってテキストを置いてから来れば良かった、なんて。

 そんなことを考えていたからだろうか。ひとにぶつかりそうになって、私は慌てて道の端に避けた。

 反射的に頭を下げながら、ちらりと横目で後ろを振り返る。ぶつかりそうになった男性が、あちらも軽く頭を下げている。

 男性を見送って視線を戻そうとしたとき、道の端に黒塗りの車が停まっているのに気づいた。

「……うん?」

 なんだか、テレビにでも出てきそうな車だった。現役の女子大生では、なかなか関わることがなさそうだ。

 たとえば、ホテルの迎えの車とか、高級なタクシーとか。あとは、ちょっと物騒な方々の車とか。

 つらつらと思い浮かべていて、ふと思い出した。

 ――そういえばこのあたり、ヤクザがいるって聞いたことがあるような。

「なんてね」

 何かのフラグになりそうな考えを、私はすぐに打ち消した。確かにたまに事件が起きているのは知っているけれど、黒塗りの車だからって関係があると思うのは考えすぎだ。

 立ち上げたままだったスマホの地図アプリと周囲を見比べる。あと五分もしないうちに着きそうだ。

 お店のことをレビューサイトで確認してみたら、落ち着いた雰囲気と創作カクテルでなかなかの人気を博しているようだった。そんなにお酒に強いわけではないけれど、甘くて飲みやすいお酒でも教えて貰おうか。

 鞄とは逆の手に持った紙袋をぷらぷらと振った。手ぶらで行って良いものかの判断がつかなくて、ひとまず茶菓子になりそうなものを幾つか買ってきたのだ。

 次の角を右だ。角に差し掛かって曲がろうとして、

「―――べが――」

 聞き覚えのある名前が聞こえた気がして、私は足を止めた。

 烏狩辺さんと誰かが話しているのだろうか。そういえば、私や店員以外の誰かと接している烏狩辺さんは見たことがない。普段の烏狩辺さんがどんな様子なのか、ちょっと興味が湧いた。

 踏み出しかけた足を戻して、そろりと通りの向こうを覗き込む。私の目的地である店の前を見て、拍子抜けする。

 視界に入ったのは、見覚えのない二人の男性だった。会話が耳に入ってくる。

「――そりゃ本当か?」

「えぇ、らしいですよ。烏狩辺のやつ、ここんところ女にかかりきりみたいで」

「へえ、ヤクザの若頭のお気に入りね」


 ――え、


 がつんっ、と何かの衝撃が走る。ぐらりと揺れる視界の中で、ミニトートが腕から滑り落ちていく。

 私の意識はぶつりと途切れた。

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