第6話 「絶対、行かない」

 ――まあ、悪いひとではない、のかも……?

 なんて感想を零したら、それはケーキに釣られているだけだろうと忍に呆れられそうだけど。その通りだよごめんね!


「……お前、」

 期間限定の内容はチョコレート特集だった。持ってきたチョコレートソースをかけたマシュマロをそろりと拾い上げる。

 とろりとしたチョコレートソースに、マシュマロは少しだけ焦げて溶けている。マシュマロが置かれている横に、炙るためのキャンドルが添えられていたのだ。

 素晴らしい。完璧だ。

 口に入れた瞬間、どろりとしたマシュマロの甘さとビターなチョコレートのほろ苦さが口の中いっぱいに広がった。眼を閉じて幸せを味わう。

 舌の上でマシュマロが溶けきるまでじっくりと楽しんでから、ようやく私は眼の前に座る烏狩辺さんに視線を向けた。

 白い薄手のニットに、灰色のテーラードジャケット。向かいに座っているからテーブルに隠れて見えないけれど、長い足は紺のスラックスを穿いている。

 首には細いチェーンのネックレスをつけて、トップには金と銀の円が重なった形の飾りが揺れていた。女性が使っても違和感のないデザインだ。男性であの手のネックレスをつけているひとは初めて見た。

 左腕に巻いている時計も相まって、お高そうな格好だなあというのが感想だった。もちろんしがない一大学生にブランドなんて判らないから、彼自身が持っている――要するに、やたらに偉そうな――雰囲気も多いに印象に影響しているだろうけれど。

 金額はともかく、デザインそのものはシンプルな、なんなら同学年の男の子でも似たような服を着ているひとはいるだろうファッションだった。だというのに、決して周囲に埋没しない。

 たとえば同じ服を着ているひとが百人並んでいたって、彼だけは際だって目立つのだろう。なんとなくそう思った。

 なんだかとんでもないひとと知り合ってしまったな。考えて、私は嘆息した。前回までは衝撃と警戒が先に立って相手を観察する余裕なんてなかったのだ。

 きっちりと上げられた髪に、整えられた眉。今まで私の周りにいなかった人種だ。

 思わずしげしげと眺めていたら、烏狩辺さんと眼が合った。

「いくら俺が良い男だからって、無視してまで見とれるなよ」

 何の話だ、と思ってから、はたと気づいた。そういえば呼びかけられた気がする。

「どうしたの」

「お前、甘いのが好きなんだな。それだけ喜ばれると、奢る甲斐があるわ」

 その笑顔があまりに柔らかかったので、私は驚いてまじまじと相手を観察した。相好を崩す、という表現がしっくりくる表情だった。

 目尻に笑い皺が寄っている。友人たちが笑っているときには気にならないそれが、妙に眼についた。

 ずっと年上の、男のひとなのだ。

 相手はといえば、チョコレートケーキひとつを持ってきたきり食べる気がないらしい。彼の手元にあるケーキも美味しそうだ。あとで取ってこよう。

 先に持ってきていた、チョコレートのかかったイチゴを口に放り込む。甘酸っぱい味が舌をくすぐって、後から追いかけるようにほろ苦さが口に広がった。

 言葉を探して、しばらく考える。結局、気の利いた言葉はどうやったって出てはこなかった。

「……それは、どうも」

「おう、食え食え」

 私を欠食児童か何かと勘違いしていないか。思いながら、烏狩辺さんから視線を逸らした。彼は楽しげな様子を隠そうともしない。

 ――何がそんなに嬉しいのだろう、このひとは。

 頭の片隅で考えながら視線を巡らせれば、クレープを焼いている店員さんが眼に入る。次はあれにしよう。

「次はクレープ持ってくるけど、あなたも要る?」

「いや、俺はこれだけで十分だ。お前を見てるとこっちまで口ん中が甘くなるわ」

 いくら見ていたって、甘いものは食べてこそだと思うけれど。

 視線を戻せば、彼はコーヒーをすすっているところだった。私の手元にもコーヒーがある。

 またコーヒーだ、と思った。

 彼と会うときには、いつも間にコーヒーを挟んでいる。もちろんただの偶然だし、意味があるわけでもないけれど。

「……たまには、紅茶も良いかもね」

「紅茶? なら、良い店があるぜ」

 私の独り言に、烏狩辺さんはすぐに反応した。

「デニッシュも美味い。今度連れて行ってやるよ」

 何がそんなに楽しいのか、相手は上機嫌だ。不思議になって、私は首を傾げた。

「甘いものが好きそうに見えないのに、詳しいんだね?」

「そんなの――」

 烏狩辺さんはわざとらしくコーヒーを口に含んで、流し目からのウインクをした。

「男の嗜みだろ」

「あ、そ」

 もう一度コーヒーをぶっかけてやろうか。私の物騒な衝動に気づいているのかいないのか、烏狩辺さんが腕時計を確認する。

 私も釣られて店内の時計を見た。時間は、十四時三十分。

「もう三十分もすれば終わりの時間だぜ。近くに水族館があるから行こうか」

 また、勝手に決めて。

 私の意見を聞きもしない男に腹が立って、私は視線を逸らした。

「人混みは好きじゃないからいい」

「イルカショーの席を取ってある、と言ったら?」

 私の脳裏に、広いプールで飛び跳ねるイルカの姿が浮かぶ。イルカは嫌いじゃないから、たとえば友人となら行くことに迷いはなかっただろうけれど――。

「ちなみに水族館のカフェでは、イルカをモチーフにしたブルーハワイベースのパフェが食べられる」

「……行きます」

「ふっ、」

 わ、笑われた!

 私が機嫌を損ねたことに気づいたのか、烏狩辺さんがぱたぱたと手を振る。

「いや悪い、扱いやす――素直だな、とね」

 がっつり聞こえましたよ、扱いやすいって! 憤慨しつつ、小さく切られたチョコレートパイを口に放り込んだ。

 甘いものさえあれば、大概のことはどうでも良くなるから今日も世界は平和だ。じっくりパイの味に集中していたら、眼の前に新しい皿が置かれた。皿の上には、次に食べようと考えていたクレープが乗っている。

 顔を上げれば、横に立つ烏狩辺さんが肩を竦めていた。いつの間にか席を立って、取りに行っていたらしい。

「クレープ、欲しかったんだろ? 機嫌を直せよ、お姫様」

「……ありがと」

 何かをして貰ったらお礼を言う、人間の基本だ。

 それでも意味もなく悔しくて渋々お礼を言ったら、烏狩辺さんは綺麗な顔で微笑んだ。楽しそうで何よりです。

「どういたしまして」

 向かいに回り込んで、椅子を引いて、座る。それだけの動作がなんでこんなに眼を惹くのだろう。

 身近に大人の男がいないからだろうか。いや一応、父親は大人の男か。実家では、休日はだいたい母親にちょっかいかけて怒られてたイメージしかないけど。

 黙々と残りを片づけていれば、思い出したように烏狩辺さんが何かをテーブルに滑らせるようにして差し出した。テーブルの上でくるくると回って、動きを止める。名刺だ。

 名刺を取り上げて、確認する。個人の名刺ではなく、お店の名刺だった。

「『バー・ガーネット』……?」

 向かいの烏狩辺さんをちらと見やれば、にやりと笑って。

「俺の職場。雇われ店長なんだよ」

 頭の中で、バーテンダー服を着てカクテルをシャカシャカ作っている烏狩辺さんを想像した。

 ……うん、すごく似合う。

「ほら、俺の名前が柘榴だろ。オーナーに気に入られてな」

 柘榴、柘榴石、ガーネット――なるほど。

「創作カクテルに、宝石の名前がついてるんだ。俺とオーナーで考えてな」

 自分の仕事が気に入っているらしい。子どもみたいに無邪気な顔で楽しそうに話し出す烏狩辺さんに、私は笑いそうになる口元を隠すためにコーヒーを飲んだ。

 ――いつもそういう顔をしていれば良いのに。

 私が僅かに興味を惹かれたのに気づいたのかも知れない。烏狩辺さんが身を乗り出してくる。

「今度来いよ、うちの店。奢ってやる」

 にやり、と。笑った表情に私は一瞬だけ息を詰めた。

 子どもが自分の宝箱を見せびらかすみたいで、けれど全然違う、自分の努力と実力に裏打ちされた大人の男の不敵な笑みで。

「絶対に気に入るぜ。惚れさせてやるよ。店にも、俺にも」

「――……」

 言われて私は、首を傾げた。ふむ、と時間をかけてゆっくりと考えてから私は、

 にっこりと笑った。


「絶対、行かない」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る