第4話 「な、なんですとう!」
――で、なんでこんなことになっているのだろう、私は?
眼の前で口を歪めている――たぶん、笑っているのだ――男をつくづくと眺めて、私は自問した。残念なことに、答えをくれるひとはいなかったけれど。
「――ストーカー」
「おいおい、付きまとってねえだろ」
どの口が言うの、どの口が!
忍と珠緒の物言いたげな顔を横目に、あれよと言う間に連れ去られた先。ちょっとお高めっぽいカフェの席に押し込まれて早々、私は誘拐犯をねめつけた。
「大学の正門で待ち伏せしてるのは、十分な付きまといでしょ! そもそも、なんで私の大学を知ってるの」
「ほれ」
ぽいっと無造作にテーブルに投げられたものを確認する。見覚えのあるものだった。というか間違えようもなく、私のものだ。
写真入りのカードは、どう見ても、これは、
「私の、学生証……!?」
「落としものには気をつけろよ、嬢ちゃん。俺だったから良かったが――」
含み置いて、にやりと笑う。
「変な男に拾われた日にゃ、家を特定されて本当にストーカーされるぞ。学生証があれば家を探し出すのは簡単だ」
家、と言われて背筋が冷たくなった。実家を出て一人暮らしの女子大生にとって、他人に自宅を知られるのは笑いごとではないのだ。
思い返してみれば、コーヒーをぶっかけた瞬間、ミニトートも振り回した気がする。学生証はミニトートに放り込んでいたのだから、あのときに落としたのか。
なんと。朝霧夕霞、一生の不覚……!
嘆いていても仕方ない。渋々、私は礼を口にした。
「……ありがと」
「ふっ」
言った途端、男が笑い出す。
いや、なんでだよ。思わず身構えた私に、彼はぱたぱたと右手を振った。
「気にするな」
男の笑う顔になんだか無性に腹が立って、私は早々に話題を切り替えた。
「私を引っ張ってきたのって、学生証を渡すため? 悪いけど、大したお礼はできないよ」
言いながらふと考える。昨夜の一瞬では判らなかったけれど、眼の前の男はもしかして、私よりも随分と年上なのじゃないか?
思いっきりタメ口で話していた自分に気づいて、口調を改めるべきか、と思って、結局気にしないことにした。そもそも、コーヒーぶっかけてる時点で今さらの話でした。
当然のことながら、私の逡巡に相手は気づかなかったらしい。私の台詞にいかにもおかしなことを聞いたというような顔をして、
「要らねえよ。あんな時間までバイトしてるような学生から、何をねだれってんだ」
「な、なんでバイト帰りって知ってるの!」
「へえ、やっぱりバイト帰りだったんだな」
「!」
や、やられた。
してやったりと言いたげな男に二の句を告げなくなってしまう。私がもごもごしている間に、男は店員を呼んでいた。
「いらっしゃいませ、烏狩辺様」
かがりべ、さま! カフェの店員に名前を覚えられてるよ! しかも今『さま』って言われたよこの男!
「とりあえずコーヒー二つ。おい夕霞、ランチは?」
誰が名前呼びを許したか! というか名前を教えたか!
言いかけて、はっと気づいた。そういえば学生証を見られていたのでした。
「……食べたけど」
「学食か、大学生?」
頷けば、またふふっと笑う。笑い方がちょっと品が良いのも気に食わない。
「じゃあ、デザートは?」
「……」
食べた。食べたけれど、甘いものなら際限なく胃に入ってしまう。
私の気持ちは、甘党の同士なら判るはず。けどなあ、ただでさえプリンを二個も食べちゃった後なのだから、さすがにこれ以上のカロリーを摂取するわけには――。
答えに迷う私をどう思ったのか、男が店員に向き直る。
「――と、このクッキーのセットを」
「かしこまりました」
一礼して、店員が立ち去っていく。私が普段行くお店の店員がするよりもずっと綺麗な仕草で、思わずその背中を見送った。
男に視線を戻して、びっくりする。そんなに見つめられましても。
「なに?」
「いや。――小腹がすいたら食べれば良いだろ。お前が要らなくても、俺もクッキーくらいなら食えるしな」
考えて、先ほどの注文のことかと気づいた。
「ここのは何でも美味いぞ」
ふふん、と笑う。お気に入りのおもちゃを自慢する子どもみたいな表情だった。
いつまでも警戒しているのが馬鹿らしくなって、自然と肩の力が抜ける。
「……ありがと」
言いつつ、学生証に手を伸ばす。
「おっと」
ひょい、と学生証が私の手を避けた。違う、男が学生証を引っ込めたのだ。
沈黙が降りた。なんとなくこめかみを揉みつつ、男と視線を合わせる。
「……あの、お兄さん」
男は、
とても楽しそうな顔を、していた。
「いったい、何を?」
「俺の周りには、お前みたいな跳ねっ返りはなかなかいなくてな――」
はあ、さいですか。
「昨日の男には逃げられちまうし。まあ初めて会ったのも昨日だから良いんだけどな」
はあ、さいですか。
「っつーわけで、俺は今フリーだ。お前くらいの年じゃ、相手のいる男に声をかけられるのは嫌がるやつもいるだろうけど、その心配もない」
いやそれは、年齢関係なく嫌がるひとは嫌がると思いますけれども。何を言い出すのかと思って見守っていたら、男はとてもとても楽しそうな顔で、
とてもとても面倒くさいことを、言った。
「俺とお試しで付き合ってみねえか? とりあえず、学生証を拾ってやったお礼として」
「な、なんですとう!」
思わず素っ頓狂な声を上げた私と、そんな私を見てまた噴き出した男の間を取り持つように。
見ていたみたいに絶妙なタイミングで、店員がやっぱり綺麗な仕草で二つのコーヒーを運んできたのだった。
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