第3話 「赤の他人です!」
「夕霞、夕霞!」
友人、
すっかり空になった私のお皿に対して、二人は買ってきたばかりらしい。忍の前にはカツ丼、珠緒の前にはパスタが置かれている。
昼食を食べ終わったあと、昨日の出来事を思い返していたのだった。状況を思い出せば、周囲の喧噪が意識に戻ってくる。
「ゆかりん、どうしたの? 険しい顔して」
「……あぁ、うん」
珠緒に声をかけられて、私は反射的に適当な返事をした。しばし考えて、昨夜の珍事を一通り説明することにする。
結局男にコーヒーをぶっかけたあとは、そのまま逃げてきてしまったのだった。二人があの後どうなったのかは判らない。知らないし、興味もない。
「――ってことが、あったんだけど」
口調も荒く説明を終えれば、向かいの二人は揃って苦笑していた。忍が自分のトレイから私のトレイにプリンを移動する。
「お疲れの夕霞にはプリンを進呈しよう」
「ありがたき」
忍に向かって拝んで見せてから、私はいそいそとプリンに手を伸ばした。
私の大学の学食は、だいたいセットにデザートがついている。先ほど私が食べていたのもプリンだったから、本日二個目だった。
プリンを掬ったスプーンを口に入れれば、ふわりと優しい味が口の中に広がった。ほうと体の力が抜けたのに、忍が楽しげな顔をする。
「元気になる?」
「……ちょっとだけ」
「それは良かった」
頷く忍の横で、珠緒は既に衝撃が薄れたらしく食事を再開していた。
興味がないのかと思ったら、そんなことはなかったらしい。もぐもぐごくんとパスタを飲み込んでから、薄い色のリップで色づいた唇を開く。
「……つまりー、うっかりハッテン場に踏み入っちゃったゆかりんの自業自得だね?」
「「言い方!」」
可愛い顔をしてなんてことを言い出すのだ、この子は!
器用に巻いた髪をくるくると指先に絡ませて、珠緒がうふふと笑う。大きな瞳が、好奇心にきらめいた。
「で、そのひとイケメンだったの?」
「いやいやいや」
答えそこねた私の代わりに、忍が突っ込む。
「そこ? イケメンかどうかって、そこ大事?」
「そんなのー、当たり前じゃない」
何をばかなことを訊いているのかとでも言いたげだ。
「いついかなるときも、男は顔と年収でしょー。良い男だったら紹介してね、ゆかりん」
「名前も知らないから!」
確かに、珠緒が喜びそうな色男ではあったけれど――。
「そういえばあんた、今までの彼氏みんな社会人の高身長イケメンだったわね」
呆れた調子で言ったのは忍だ。頭の中で、珠緒の歴代彼氏を並べてみる。
とてもとても納得して、私は思わず頷いたのだった。
「……確かに」
二人が食べ終わるのを待って、三人で食堂を後にした。
午後から一コマ授業が入っていたのだけれど、掲示板を確認してみたら授業は休講になっていた。思いがけずあいた時間につい浮き足立つ。
「――で、どこ行く?」
「甘いもの!」
忍の問いかけに、私はぴしっと手を挙げて勢いよく答えた。私の動きが面白かったのか、忍が肩を震わせる。
「本日のオススメは?」
「駅前のカフェが新装開店したから期間限定で安くなってたはずだよ」
情報源の記事をスマホで見せる。
「良いねえ。じゃあそこに行こうか」
「はいはーい、新しいアクセサリーが今日発売だからそっちも行こー」
「仰せのままに、お姫様がた」
横からひらりと手を振って主張する珠緒に苦笑して、忍が頷いた。
「しののんはー?」
「いや、あたしはいいわ。どっちにしろバイト代が入るのが来週だから、CDも買えないし」
「金欠か、つらいな」
だらだらと話しながら建物の外に出る。そこで、一歩先を歩いていた珠緒が足を止めた。
「なんだろー、あれ?」
ことり、と少しばかり大げさに首を傾げる。あざとい仕草が鼻につかないのはなぜだろう、といつも不思議に思う。
珠緒が顔を向けている方に私も視線を流せば、彼女が何を見て立ち止まったかはすぐに判った。
「うわ、ひと多っ」
校門付近にちょっとした人だかりができている。
集まっているのは女性が多いようだ。もともと今の時間帯は人通りが多いから、今の位置からでは人垣に阻まれて彼女らが何に興味を示しているのかは判らなかった。
「芸能人でも来てるんじゃないの」
さほど興味なさげに言ったのは忍だ。彼女は歌が好きだけれど、同年代に騒がれそうなアイドルなんかは眼中にないのだった。
「さあ、どうだろ」
返す私の声も、我ながら関心の色が薄い。対して珠緒は体を上下させて今にも走り出しそうになっているけれど、これは想定内。
「見に行こうよー、ゆかりん、しののん!」
「どっちにしろ横を抜けるでしょ。わざわざ別の門を使うほどじゃないし」
冷静に肩を竦めた忍を先頭にして人混みの横を抜けた。ちらりと横目で見れば、背の低い――車……?
車なんて全然詳しくないけれど、背の低いやつと、知らないマークのやつはなにやら高級らしいというのを聞いたことがある。ちらっ、と確認してみたら、案の定見たこともないマークだった。
「あれってお高い車かね」
「あたしだって知らないわよ。車になんか興味ないし」
すぱんと彼女らしい小気味のよさで忍が切り捨てた。
この車が見たくて集まっていたのだろうか、と内心で首を傾げていると、くいくいと袖を引かれた。珠緒だ。
「どうしたの、珠緒」
「あれ、あのひと! すっごいカッコよくない?」
声が弾んでいる。なるほど、その格好良い誰かさんにみんな興味を惹かれているらしい。
確かに、女の子ばかりで車だけを囲むより自然か。納得しながら珠緒が指さす方向に視線を向けて――私は、足を止めた。
「げっ」
――なんだかちょっと前に、似たようなことがあった気がする。足を止めてしまってから、私はふとそう思った。
具体的には、ちょうど十二時間くらい前に。
私と眼が合った男が、寄りかかっていた車から体を離す。そして、こちらに歩み寄ってくる――いや、なんでだよ!
男が私に近づいてくるのに気づいたのだろう、両側からの疑問の視線が痛い。なんなら珠緒は小さく歓声を上げている。
「夕霞……」
少しばかり声を落として、忍が問うてくる。
「……お知り合いで?」
どこぞのホストのような出で立ちに、すらりとした長身。にやりと笑う、腹が立つほど男前の顔――。
なんだか昨日の夜にも会ったような気がする相手を前に、私はきっぱりと断言した。
「赤の他人です!」
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