4話 人魚の足
「ねぇ、すっごいワガママ言っていい?」
サヤに会ってから三週間が経った。子供がラジオ体操に来てたらそろそろ褒められるぐらいの頃合いだ。
「なんだ?また食い物か? 高いのは無理だぞ」
「後で払うって言ってるのにキミが聞かないからじゃん」
言葉に一瞬詰まった。なんとなく、それはしたくなかった。
小夜にしたかった事、だからというだけでもない。
目の前のサヤに、少し見栄を張ってるのかもしれない。
「……それで、ワガママってのは」
そう言うと、いつもより数倍しおらしい顔をして、手を合わせた。
「あの……すごく難しいと思うし、変に思われるかもしれないんだけど」
「車椅子を……借りてきて欲しいなって」
「車椅子?」
思わず聞き返してしまった。けど、付き合いが長くなってきたせいだろうか
なんとなくサヤのやりたいことを当ててみる気になった
「陸に、上がりたいのか」
黙ってこくりとうなずく。
「少しだけでいいんだ。そこの鐘のある丘に行くだけでいいの」
鐘のある丘。地元の人間もあまり行かない小さな展望台だ。
願いが叶うとか、縁結びがどうこういったとってつけたようなパワースポットになっている。
できたのは二年前ぐらいだというのに。
小夜と来た頃は、まだ鐘も無かった。
「やっぱり無理……かな」
まつ毛を少し伏せたその表情は、いつも僕の心を悩ませた小夜の顔そのままだった。
くだらない喧嘩をしても、これをやられると、僕は完敗した。
「……一応、アテは一つある」
「ほんと?ありがと!キミってやっぱり頼りになるね」
そういって、あざとく腕に絡めるように抱きついてくる。
腕に当たる感触にほんの少し動揺しながら、振り払った。
「あんまり期待するなよ。向こうが貸してくれなきゃ終わりだし」
「いいのいいの。やってくれるだけで嬉しいからさ」
安請け合いをして失敗したな、と思った。
定期的に連絡は取っているが、どの面さげてあのヒトに頼めばいいんだ。
とまで思って、ふとサヤが世話になった場所を思い出す。
「水族館……。そうか、真夜さんは全部知ってるかも」
ひょっとしたら、本人の差し金かもしれない。そう、思った。
「それで、わざわざ家まで来たわけか。キミは節操が無いね」
と、目の前の女性は僕をからかった。小さな頃から世話になってる人。
『黒曜水族館館長 結城真夜』と書かれた名札をかけっぱなしだ。
仕事の合間に抜けてくれたらしい。
その顔は、今日もキレイだった。小夜もこうなるはずだったのか。
「節操が無いって言い方は……」
「だってそうだろう?死んだ元カノの母親に新しい彼女とデートする足をせがむなんてさ」
と、大笑いしながら言う。こんなセクハラまがいの発言、15年の付き合いがないと出来ない。
「その分だとサヤからも聞いてるんですね」
「当然だよ。……キミにも隠してて悪かったとは思ってる」
「いつから……サヤは居るんですか」
「もう一ヶ月半ちょいになるかな。七月の頭にダイビング中、気を失ってるのを見つけた」
正直、頭がおかしくなったかと思ったよと、あっけらかんと話した。
この人は辛いことをいつもそうやって軽く、軽く話そうとする。
「それで、面倒を見てたんですね」
「まぁ。自分の死んだ娘そっくりだと情ぐらい湧くさ」
「でも、面倒を見てよかった。おかげでキミまで失うのを防げたんだから」
と、真剣な眼差しでこっちを見た。全て知られてるらしい。サヤが伝えたんだろう。
「……すみませんでした」
あの時は僕に何もない、と思っていたけれど。
死んだら悲しむ人がたくさん居る。そんな当たり前の事にようやく思い至れるようになった。
自分が悲しんだ側であることもすっかり忘れていたのだ。
「……いいさ、生きててくれて、それだけでいい」
その言葉が背中に重石を載せてきた。
入れてもらった紅茶を飲み干した頃、真夜さんは笑顔に戻った。
「車椅子は貸してあげるよ。楽しくデートしておいで」
「……ありがとうございます。こんな不義理なお願いを聞いてもらって」
「いいさ。不義理で嘘つきなのは、私達も同じだから」
嘘つき、その言葉を、この時は軽く流して部屋を出た。
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