第十五話 07

 夜を徹した大宴会は夜明けとともにつつがなく終了し、事態は一件落着したかのように思われた。

 だが、翌日から家康は閉口することになった。

 プッチに関わった者を誰一人処罰せず、それどころか「セラフィナの女王即位」を宣言してエレオノーラの長年の夢を実現してのけた家康に「なんと器の大きいお方」といよいよ心酔したエレオノーラが、「敬愛するイエヤス様へ、どうか今日一日を平穏にお過ごしください。妾が厳選した花の数々をどうぞお納めくださいね。永遠の忠誠を込めて~エレオノーラ」というメッセージとともに膨大な量の花束を屋敷に送りつけはじめたのだ。

 エレオノーラは、新たに支給されるようになった外交費を家康へのプレゼント代に注ぎ込みはじめたらしい。エレオノーラが使える外交費に上限はなく、無制限に使い込めるので、彼女が家康へのプレゼントにかける費用はほんの数日のうちにエスカレートしていき、あっという間に天井知らずとなった。

「まさか氷のえるふの仮面を完全に外した途端に、阿呆滓がこれほどとてつもない無駄遣いをはじめるとは。俺がいくら吝嗇な生活を貫きながら桐子に銭を預けて国庫を潤わせても、阿呆滓が片っ端から浪費してしまうではないか!」

 ついに五日目の朝、屋敷の東西南北四方ことごとくをエレオノーラが進呈してきた高額美麗な花束の数々に包まれてしまった家康は「もはや我慢ならん!」と音を上げた。あまりの剣幕に、イヴァンが慌てて「ちょっと馬小屋のスレイプニルに飼い葉を届けに行きますね?」と逃げだしたほどだった。

 なにしろ家康の吝嗇ぶりは筋金入りである。

 エの世界では、大切な馬小屋が壊れても「馬小屋は美麗でなくていい、むしろ壊れているくらいのほうが馬が丈夫に育つ」と言い張って修理を拒絶したくらいにケチなのである。

 主君の命を何度も救った名馬スレイプニルを飼っている馬小屋も今、同じことになっている。スレイプニルが人語を話せたら「ドケチの主君を持って残念です」と愚痴るだろう。

 また、エの世界でも異世界でも、家康は常に同じ一張羅の服装で通している。セラフィナが「いくら毎日洗濯してるからってさー、勇者なんだから一張羅はどうかなーっ? っていうか私が洗濯させられてるんですけどー?」といくら新しい服を買えと騒いでも、家康は「全ては浪費を抑えてえっだの森を守るためである。服などは風邪から身を守れればそれで充分。俺自らが倹約の手本を見せるのだ」と馬耳東風。

 さらには自分に届けられる贈り物に関しても病的に吝嗇で、エの世界ではある商人から貰った便器の飾り付けがあまりにも豪華絢爛過ぎたために「便器などをなぜ贅沢に飾り付ける! 無駄無駄無駄。こんなものは要らん!」と癇癪を起こして破壊してしまったという逸話を残している。

 しかも、後で癇癪が収まった家康は「しまった? あんな高価なものをどうして壊してしまったのだ、もったいない!」と慌てて修理させようとしたが、多額の修繕費がかかるので渋々諦めたという。

 そしてこの日の朝、エレオノーラが日々の贈り物の花に投じてきた膨大な金額を計算しているうちに家康の頭はとうとう沸騰してしまったのだった。

「やっほーおっはよー。ねえねえイエヤスイエヤスぅ、念願のケラケラミソがついに完成したよー! 早速味見してみそ~、なんちゃって~! って、うわーエレオノーラってば、また送ってくる花を増やしてるよ~」

「来たか世良鮒! なにを笑っているのだ! 観賞用の高級な花などは、煮ても焼いても食えぬし生薬の原料にもならん! ただ枯らすのは惜しいのでいろいろ試したがまるで使えん、全て無駄だ! そもそも外交費を用いてこの俺を接待してどうする。無駄無駄無駄! 直ちにやめさせろ! あまりにももったいない、俺には耐えられん! これ以上俺に無用の付け届けを続けるならば、阿呆滓の全権外交官の任を解かねばならんぞ!」

 うっわ~ケチ臭い精神が限界まで達するとやっぱり親指の爪を噛んで地団駄を踏みはじめるんだ~幼児退行してんじゃんめんどくさ~とセラフィナは呆れつつ、家康を「どうどう」とあやしながら、エレオノーラのために弁護を試みた。

「ひえ~。なんでここまでイエヤスにのめり込んでるのかしらエレオノーラってば。まるで別人、いえ、別エルフじゃん。うーん、そう言えばどうしてエルフを指す時に『人』って単語を用いるんだろ? って、そうじゃなくて!」

「一人でぶんぶんと手を振り回して、いったいなにを言いたいのだ、お前は」

「え、ええと~。まずは落ち着いてイエヤスぅ? ほら、あの子って王都陥落以来、長年感情を押し殺してお堅く生きてきたから、私の女王即位を見届けて重圧から解放された反動が凄いというか……それだけイエヤスに感謝感激しているというか……あはは……」

「それでは、今後延々とこの贅沢極まる無駄な贈り物が届き続けるということか? 吝嗇を生き甲斐とする俺にとっては恐怖でしかないわ!」

「私がなんとか説得してみるからぁ! だからほら、爪を噛まないのっ! 深爪するでしょっ! あれだけこだわっている衛生観念はどこに捨てたのよぅ? 困ったなあ~」

「……頼む、世良鮒。あまりにももったいなくて、仕事も手に付かないし夜も安眠できん。阿呆滓を止めてくれ……頼む……胃が痛む……あああ、銭が、俺の大切な銭が……」

「あれ~? 外交費の出所は国庫の銭でしょ、イエヤスの銭じゃないでしょ?」

「おっとしまった、つい本音が」

 セラフィナは(エレオノーラの行きすぎたイエヤス崇拝熱を、どうすれば。思えば幼い頃のエレオノーラは、派手で情熱的な性格だったもんねー。これ以上浪費させたら、イエヤスの精神が崩壊しちゃうよう)という新たな悩みを抱えることになった。

 セラフィナのように日中家康と同居でもすれば、「ふんどしは黄色いほうが長く使い回せる」と言い張る家康のケチ臭さに呆れて目も覚める、百年の恋だって一瞬で覚めるというものなのだが、今のエレオノーラは家康熱に憑かれていて誤解に誤解を積み上げていく状態なので「その吝嗇さも全てセラフィナ様を守るために身を削り恥を忍んでの倹約ですのね! まさに勇者の振る舞いですわ!」とかえって暴走しかねない。

「でもまあ、エレオノーラは聡明だから、それが一番いいかもねっ! よーし! どーせ同じ荘園内で暮らしてるんだしぃ、今日からはエレオノーラもイエヤス邸の夕食に参加させよう! 貴族の懐柔仕事も減ったしね! あー、おっはよーイヴァンちゃん、エレオノーラのもとにお使いをお願いっ!」

 スレイプニルに餌を食べさせ終えたイヴァンが戻って来た。早速セラフィナに飛びつかれて困惑している。

「……は、はい。食卓が賑やかになるのは嬉しいですが、いいんですかイエヤス様?」

「どういう理屈で世良鮒がそんなことを言いだしたのかは知らんが、世良鮒が誰よりも阿呆滓に一番詳しい訳だしな。俺は今、藁にもすがりたい気分なのだ」

「贈り物を贈られて精神的に追い詰められるなんて、イエヤスってほーんと変わってるねっ! そもそも四六時中一緒に過ごせばぁ、贈り物は減るはずだよー! だって相手と距離が離れているから贈り物を贈りたくなるわけじゃん? 私って天才!」

「だといいのだがな……今宵は阿呆滓も呼んで、ケラケラ味噌料理のお披露目と行くか」


 当然、エレオノーラは「まあまあ、妾を夕餉に招待してくださるの? 承知ですわ!」と即座にイヴァンに返答。

 この日から、家康邸で毎日夕食を摂る顔ぶれは四人に増えた。

「やっほ~エレオノーラ~、ようこそイエヤス邸の食卓へ~! 今日はねえ、私がついに完成させたケラケラミソ料理のお披露目日なんだよー! イエヤスは茶色にこだわったけどさー、エルフ的に食欲をそそらないもんね。白く仕上げておいたから安心してっ!」

「お招きありがとうございます。セラフィナ様はお料理の腕をほんとうに磨かれましたわね。妾も、夕餉に招待頂いた返礼として、イエヤス様にたくさんの花束を……」

「か、観賞用の花はもうよい阿呆滓。枯らしてしまうのがあまりに惜しいのでな。食えるものか、薬に使えるものに限る」

「そうでしたの? さすがはイエヤス様、今は戦時中ですものね! いざという時に薬草や食用に転用できる花壇を造れと仰せなのですね! それでは、こちらのアルケミラなどは如何でしょう? エルフ貴族はお茶にも用いますし、サラダにも用いますわ! 花弁も調味料として利用できますので、無駄がありませんの」

「あー、いいねエレオノーラぁ。いい感じに苦くてイエヤス好みの味かもねっ! 私の子供舌にはちょっと苦過ぎるけど~」

「それでは早速アルケミラの葉にケラケラミソを載せて頂きましょうか、イエヤス様」

「そうだな、射番。食えるものならば、俺はいくらでも喜んで頂こう。それでは、えっだの森の平和を祈って乾杯といくか――」

「おーっ! 気合いのケラケラ酒、いっただきまーすぅ!」

「い、いくら女王に即位したとはいえお酒はまだ早いですわ、セラフィナ様!」


 エルフ族随一の名門貴族令嬢エレオノーラが勇者家康の熱烈な崇拝者となったことで、エッダの森における家康の評判はいよいようなぎ登りになった。

 エルフ族は、吝嗇な倹約話よりも、豪奢な逸話を喜ぶものなのだ。エレオノーラの怒濤のプレゼント攻勢は、どれほどエレオノーラが家康を崇拝しているかを示す明確な指標になった。

 そういう意味では、エレオノーラの法外なプレゼント攻勢は無駄ではなく、むしろ投資した金額以上に有効だったといえる。彼女自身は気づいていないが、やはりエレオノーラには家康が見抜いた通りに天性の外交官の才能があったらしい。


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