第十五話 06

「やれやれ、やはりわたくしにはアナテマの術は会得できませんでしたねえ。あの間者は、正気に戻りましたよ。王党派たちの前で術が解けていれば、イエヤス様もわたくしもどうなっていたことやら。イエヤス様は誠に強運の持ち主であられる――その強運が続く限り、わたくしはあなたに忠誠を誓いましょう」

「これで当分ヴォルフガング一世は間者を森に入れてこないだろ! ドワーフギルドを避けて森の地下で活動するなんて無理だと思い知ったろうさ! それじゃ食うぜーっ! おらっ、ダークエルフの旦那! スライム肉をオレによこせ、うおおおおおおお!」

 間者を森の外へと解き放ったファウストゥスとゾーイも戻って来た。

 エルフ族と人間、ダークエルフ族、ドワーフ族、そしてクドゥク族。神木宇宙トネリコの下でこれらの諸種族がともに酒を交わし肉――家康が牧場で生産している干しスライム肉だが――を食べるなど、エルフ族最長老のターヴェッティにとってもはじめての経験だったかもしれない。

「ふ、ふ、ふ。やはりイエヤス様についていたほうが稼げますねえ。開戦不可避となれば兵糧の相場は激しく乱高下。わたくしのような死の商人……いえ、投資家の稼ぎ時です。一ヶ月で国庫の財とあなたご自身の資産を十倍に増やしてご覧に入れましょう」

「わかった桐子。ただし、稼いだ銭は開戦直前に可能な限り兵糧に代えておけ。籠城には兵糧が必要だし、戦では不測の事態が起こる故、相場がいつ暴落するかわからぬ。よいな? 一夜で資産が溶ければ、俺は絶望のあまり錯乱して塔から身を投げるぞ」

「相変わらず慎重なお方ですねえ。まあよろしいでしょう。切りの良いところで兵糧にしてしまいましょう。無論、わたくしも少しばかり着服させて頂きます」

「うむ。頼むぞ」

 ファウストゥスに細々と吝嗇な指示を出した後、家康はスライムバーガーを頬張っていたゾーイに「本命工事」の再開を命じていた。

「了解! いや~一時は森からドワーフ全員追放されるのかなーかと思ったけど、イエヤスの旦那もやるねー。エルフ族とも打ち解けられたし、これで思いっきり仕事に打ち込めるよ! 開戦までに作業工程はきっちり進めてみせるから、安心して待ってな!」

「うむ、こたびはそなたに救われたな。そうそう、森から外部へと脱出する抜け道も増やしておかねばならん。万一の場合に船で海へと出られるよう、地下大空洞から海に繋がる地下河川を掘れないか? えっだの森から海へ出るには、陸と海を隔てている断崖絶壁をどうやって突破するかが問題だが、地下に河を築いて海との境界まで繋げてしまえば問題は解決する。しかも戦争が終わればいずれは森に直結する港に転用できて、交易もさらに発展する」

「はーん。地下に河を掘るのか? エッダの森の地盤ならイケそうだな! 予算は別に請求するけど、それでよければなんだってやるさ! 人間ってのは変わってる奴が多いけれど、イエヤスの旦那は特別だな! でも、たぶん開通は開戦に間に合わないぜー?」

「どわあふの土木工事技術は、俺が知る中でも最上である。人間なら十年かかる距離を数ヶ月で掘れるだろう。ただし、海への『出口』は俺が指示するまで開通させるな。房婦玩具に見つかれば逆に海から森の地下へと侵入されてしまう諸刃の剣だからな。頼むぞ」

 ドワーフ使いが上手いねえ旦那! とゾーイは鼻歌を歌いながら宴のまっただ中に新たなスライムバーガーを求めて再び飛び込んでいった。

 そして、イヴァンである。

「……イエヤス様。セラフィナ様。ほんとうに、ありがとうございます……僕を庇いながらプッチをこんな風に見事に収めてしまうなんて。これからはなんなりと僕にご命令ください。暗殺以外でしたらどんな任務でも遂行します、イエヤス様」

「うむ。偽書の策が失敗に終わったと知れば、房婦玩具は軍を動かすしかあるまい。射番、お前は上手く立ち回らねばならん。あくまでも王の間者として行動しているように振る舞うのだ。先ほど森の外に放逐した間者が、王党派を宥めるために我らがあの男を真犯人に仕立て上げた経緯を房婦玩具に告げるだろう。偽書の策が失敗した理由はこの俺の慎重さにあったと房婦玩具は考え、お前の寝返りはまだ気取られまい。しばらく房婦玩具に適当な情報を流しておけ。こちらから、漏れても問題のない情報を選別して渡す。できるか?」

「はい! できます! いつかイエヤス様に、僕の姉上を紹介したいです……これほどの受難を受けながら、弱音ひとつこばぼさずにいつも陽気に僕を励ましてくださる素晴らしい姉上なんです……あ、いえ、出過ぎたことを言いました。ごめんなさい!」

「うむ。俺は太閤殿下のように『そなたに美人の姉か妹はおらぬか』などとは言わんが、その日を楽しみにしておるぞ」

「ふふ。またイヴァンちゃんと三人で夕食を取れるねー。今夜は大宴会になるけれど、明日からまたイエヤスの家で夕食を一緒に食べよーねーイヴァンちゃん? お姉さんもきっと、いつか一緒に食卓を囲めるよ!」

「はい、セラフィナ様!」

 こうしてイヴァンは笑顔を取り戻し、王党派プッチ事件は落着した。

 日頃はなにを考えているかよくわからない家康が実は想像以上に寛容で、ある意味その寛容さはもはや人間離れしているとエルフ族たちは驚嘆した。

 人間は腹黒い種族だと思っていたが、「勇者」だけは別格だ――さすがはエの世界を統一し、神に祀られた英雄。彼らは異種族たちと打ち解けて祝宴を続けながら、口々に大将軍家康をそう褒め称えた。

 無論、家康は影ではエッダの森の面々の和解を実現するために様々な策を弄していたのだが、「えーっと、女王に即位してもイエヤスのかっるいかっるい私への扱いはなにも変わってないんですけどー? 私の仕事って結局、イエヤスの盾役だけじゃーん! 女の子を盾役に使うなんてサイテー!」と宴会場で怒っている者はセラフィナだけだった。

「なにを言うか。お前の『治癒の魔術』がなければ附子を解毒できず、俺は阿呆滓との会見場で死んでいたではないか。お前は一応役に立っているぞ、胸を張れ世良鮒」

「一応ってなによう一応ってー! でもまあ、雨降って地固まるっていうか、今までギスギスしていた諸種族の関係も改善されたみたい。イエヤスってどんな種族も色眼鏡で見ないんだもの。イエヤスは人間なんだから、普通ならどうしても人間を贔屓目で見てしまうものなのに。それに……エレオノーラたち王党派貴族を許してくれて、ありがとう……」

「プッチはお前への忠誠心から出た行動だし、あなてまの術が発端だからな。それにな世良鮒、俺にとっては種族の違いなど全く意味がないのだ」

「……イエヤスって、実はとってもいい人だったんだね……ぐすっ……」

「違う、俺はただの現実主義者だ。桐子にも言ったが俺が家臣を扱う原則はな、『われ素知らぬ顔をすればみな郎党の如く働けり』――これだ。謀叛されようが敵に内通されようが一切素知らぬ顔をして許した『ふり』を続けることこそが、叛服常なき家臣たちに疑心を抱かせず長く安く働かせる秘訣である。厳しく相手を罰し続けていれば抵抗もまた激しくなり、さらなる敵を増やすばかり。差し引きは赤字となる。結局は『素知らぬ顔』こそがもっとも儲かるのだ。なんといっても、笑顔はタダだからな」

「だからぁ~! 私がイエヤスを褒めた瞬間にそうやって台無しにしないでよねーっ! イヴァンちゃんにそんな言葉を聞かせたら泣くわよ〜!」

「いや、射番は別だ」

「イヴァンは別で、私は別じゃないんかーい! そもそも今言う台詞じゃないでしょ、今言う台詞じゃ! どうしていつもそうなのよう、あんたってばあ!? 要は私を赤ちゃん扱いしてるんでしょー!」

「俺に言わせれば赤子のようなものだ。いよいよ房婦玩具との戦がはじまるぞ――決してえっだの森を業火に焼かせはしない。戦がはじまったら俺のもとを離れるな、世良鮒」

「……え? あ、う、うん……た、頼りにしてるよ、イエヤス?」

 ふざけているのかと思ってると、いきなり凜々しい顔を見せるんだから。びっくりしちゃうじゃない。やっぱりこの英雄の顔がイエヤスのほんとうの顔なのかなあ……とセラフィナは思った。


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