第十五話 04
王党派プッチに参加したエルフ族をはじめ、エッダの森に集う異種族たちが続々と神木宇宙トネリコの丘へと集結していた。
エッダの森分裂を阻止するために単身宮廷へ乗り込んだ王女セラフィナと、セラフィナを補佐する長老ターヴェッティの仲裁によって、家康とエレオノーラの和解が成った。
三者による「プッチ終結宣言」が成される、と告知されたためである。王党派の監視下に置かれていたクドゥク族も解放され、王党派を警戒して地中に身を潜めていたドワーフたちも続々と地上に戻ってきた。
セラフィナとエレオノーラ、そして家康は神木・宇宙トネリコの幹を背にして、集まってきた数万人規模に膨れあがったエッダの森の住民たちに「報告」を告げた。
家康はまず「王党派一揆は、王女への忠義心から起きたもの。党首阿呆滓をはじめ、王党派全員を無罪とする」と宣言して、王党派の幹部たちを落ち着かせた。
続いて、王党派を混乱させた例の文書が偽書だと証明しなければならない。王党派の面々の内心に燻る家康への嫌疑を完全に晴らさなければ、真の和解は有り得ないからだ。
家康は「この文書は偽書だ。動かぬ証拠は、この偽書に書き入れられている俺の花押」とプッチの元凶となった偽書を右手に掲げ、左手には屋敷から逃走する際に持ち出した直筆の公文書を掲げて、様々な異種族からなる群衆に、そして王党派エルフ貴族たちに「真相」を説明した。
「見るがよい。偽書の花押は、一点だけ本物の花押と異なるところがある。俺が書いた本物の『帆掛け舟を模した花押』は、実は帆の中央にごくごく小さな黒点が入っている。本物の花押には全て黒点を書き込んでいる。だが、俺が房婦玩具宛てに書いたとされる偽書の花押には、その黒点がない。俺はどこまでも慎重な男。花押の偽造に備えて、常にこの小さな点を花押に書き込んでいたのだ」
エレオノーラが「入念に確認致しましたわ。間違いなく、偽書の花押にだけ黒点が入っておりませんでした」と保証した。イエヤス凄い! 全然気づかなかったよ! もしかして独創的な天才じゃん? と浮かれるセラフィナ。
「世良鮒。これは俺が考えた策ではなく、伊達政宗という食わせ物の戦国大名が太閤殿から一揆扇動の嫌疑をかけられて言い逃れした際に用いた策よ。伊達政宗が主張した『花押に小さな穴があるかないかで真偽がわかる』という弁明を太閤殿下が信じたかどうかは知らんが、これは銭もかからず効果的な偽書対策だと思い、実際に真似してみたのだ」
「なーんだー、まーた人真似だったのー? イエヤスの辞書に独創性って言葉はないの?」
「さあ王党派諸君よ、よく確認なされよ。墨の薄れ具合やその形状と位置の正確さから、俺が黒点を慌てて後から書き込んだわけではないことがわかるだろう。なにしろ長年にわたって磨き続けた匠の技を用いて、毎日慎重に黒点を入れてきたからな」
エの世界では家康自身が天下を取ってしまったために、伊達政宗から学んだ花押造りの技術を活かす機会はなかったが、異世界においてついに役だったのである。
「念のために言えば、紙の質も全く異なる。偽書に用いられている紙は、俺が勇者に叙任される以前にエルフ族が公文書に用いていた、高価な分厚い紙である。しかし、俺が花押を書き込んだ公文書は全て、非常に薄く、しかも一度用いた紙を再利用したために色味が濁っている『倹約紙』である。時間を惜しんだ俺は元老院に直接公文書を渡さず、法案を口述で伝えて事後承諾させてきたから、わが公文書を直接見た者はほとんどいない。故に、諸君がこの公文書用紙の変更に気づかなかったのも道理。無論、偽書を作成した者も気づいていなかったということ――」
「ほんとだああああ!? いつの間にこんなみずぼらしい紙を公文書用紙に!? ってか、これってイエヤスが鼻をかむ時に使ってる紙じゃんっ!?」
「世良鮒。お前たちは豪奢過ぎるのだ、今は戦時中だぞ。徹底的に倹約せねば、桐子の利殖活動をもってしても莫大な戦費をとても賄い切れん」
「さっすがイエヤスぅ! 凄い慎重さだだね! 吝嗇家と見せかけて実は偽造文書が出回った時のために敢えて安い紙を用いていたんだね!」
とセラフィナは感動した。しかも、よりによって公文書に鼻紙を用いていたとは、何事にも高貴なエルフ族の想像外だった。
「しかもさー、脱出する時によく咄嗟に公文書を持ち出したねー! 抜かりないねっ!」
「いや、俺は単に『まだ鼻紙に使えるな』と惜しんで持ち出しただけだったのだが。吝嗇は身を助けるという奴だな」
「ただケチってただけなんかーい! 政府の公文書にさあ、鼻紙はないでしょ鼻紙はっ! ぺらっぺらじゃん! だいたい、なんで公文書を自宅に持ち込んでたわけっ?」
「公文書として表面を使い切ったら次は裏面を使い、裏面も使ったら鼻紙に使うつもりで俺自らが管理していた。自宅に持ち込んでいた紙は、裏面まで使用済みのものだ」
「……ケチ臭っ……! 公文書を破棄しちゃダメじゃん! 不正し放題じゃん!」
「だから俺は、破棄はしていない。一枚たりとも捨てはいないぞ」
「って、鼻をかんだ後も保存するつもりだったんかーい? ちょっともういろいろと信じられないんですけどーっ!?」
偽書の作成にあたっては、イヴァンがヴォルフガング一世に送った家康自筆の公文書の「写し」が花押や筆跡を模倣する際に参照された。イヴァンが模写して王に送った花押には、問題のごく小さな黒点がなかった。指摘されなければ「微かなインク跳ね」にしか見えないため、イヴァンですら見落としたのだ。
イヴァンが家康の公文書を直接盗まずに、内容を自ら模写したものをヴォルフガング一世に送っていた理由は、たった一枚でも公文書が欠ければ慎重な家康がすぐに「足りない」と気づくからだった。
またイヴァンは家康が大将軍に就任した後に森に入ったので、家康が公文書用紙を変更したことを知らず、「イエヤス様は公文書に鼻紙を使っています」と報告する必要を見落としたのである。仮に気づいても、家康の情けない程の吝嗇ぶりが恥ずかしくて黙っていただろうが……。
故に、偽書は人間陣営が「エルフ族の公文書に用いている専門用紙」と認識していた紙、すなわち古い公文書用紙とほぼ同じものを用いて作成されたのだ。
(イヴァンを欺いたようで気が引けるが、全ては俺の計算通り。鼻紙一枚も無駄にせぬ俺の吝嗇さこそ、天下を統一せしめた周到な用心深さというものよ)
だが、エレオノーラが家康と和解しても、王党派貴族たちはそう簡単には引き下がれなかった。エレオノーラはアフォカス家の令嬢にしてセラフィナの親友だから無罪放免は確定だろうが、彼らは違う。今は無罪と言われても、あとあと家康からどんな処分を受けるか予想もつかない。
「「「エレオノーラ様、われらはイエヤスとの和議には反対です! その文書がたとえ偽書だとしても、今なお誰が作成して森に持ち込んだのかがわからぬまま! 真犯人を逮捕せずして家康を無罪放免にはできませんぞ!」」」
宇宙トネリコの枝の上に身を潜ませてこの事態を見守っていたイヴァンは「その通りです。僕が真犯人として名乗り出るしかありません」と隣に座っていた長老ターヴェッティに直訴したが、ターヴェッティは「クドゥク族のそなたが彼らの前に降り立てば、かえって騒ぎが大きくなる。今は待つのじゃ」と承諾しない。
ターヴェッティは家康から「騒ぎが収まるまで決して射番を地上に降ろさぬようにお願いします。最悪の場合死なせてしまいますからな」と懇願されていたし、ターヴェッティ自身もイヴァンを最後まで庇う覚悟を決めていた。家康ならば必ずこの内紛の危機を切り抜けてくれるはずと信じて。
「皆さん、冷静に。問題の文書が偽書だったことは既に明らかですわ。真犯人はこれから探索して捕らえれば済むことです。イエヤス様の嫌疑は晴れましたし、何よりもセラフィナ様がイエヤス様をこれほど信頼していますもの。これ以上は不忠になりますわよ」
「お待ちあれ。それはできません、エレオノーラ様!」
「真犯人だ、真犯人を先に捕らえねば!」
「エレオノーラ様、あなたまでイエヤスに謀られているのかもしれませんぞ!」
「待て、諸君。これは房婦玩具による謀略である、ここでわれらが内紛を起こせば房婦玩具を利するのみ。俺を信じよ。俺はエの世界から来た外様勇者だが、えるふ族をわが郎党同然と思っている」
「「「イエヤスよ、信じたくともわれらエルフ族は今までさんざん魔王軍や人間の罠にかかってきた! ことに狡猾なヴォルフガング一世は口八丁手八丁でわれらの土地を返さず、今やこの森からの退去を迫られているのだ! 容易には信じられぬ!」」」
イエヤス様の危機です、もう止めないでください――とイヴァンが神木の枝から跳躍しようとしたその時。
「王女サンの使者を騙ってエレオノーラに偽りの文書を渡した真犯人なら、ここにふん縛ってるよー! こいつ、地下に掘った穴から逃げようとしてやがった! 地下の世界はオレたちドワーフの庭だってのによー、イエヤスの旦那の地下改造計画を舐めんじゃねー! はっはっはー!」
「ふ、ふ、ふ。真犯人の捜査と捕縛にあたっては、わたくしとクドゥク族の王子イヴァンも協力致しました。プッチ騒動の間、職務が停止して手が空いておりましたのでね。なかなか口を割りませんでしたが、ようやくこの者自身の命の保証と引き換えに、ヴォルフガング一世に雇われた間者だと自白させましたよ」
ゾーイとファウストゥスが、手鎖で繋がれた間者を連行しながら家康の前に現れていた。
一見してエルフではないとわかる、銀髪と褐色の肌を持った壮年の人間男性である。
「……はい。自分が、王から託された文書をエレオノーラ様に手渡しました……自分の任務はただそれだけで……文書の内容は知りませんでしたし、なにが起きるのかは知らされておりませんでした。どうかご容赦を……お慈悲をお願いします、イエヤス様……!」
囚われの間者は驚くべきことに、アナテマの術に落ちていた。それ故に自らの意思に反して自白してしまっているのだ。
(ほう。エレオノーラを襲った例の蝦蟇の使い魔は自壊消滅したはずだが? そうか、一匹目の使い魔を捕らえたイヴァンがその命を憐れんで飼っていたのか。ファウストゥスが使い魔の体内に残された体液をこの間者に浴びせ、アナテマの術をかけたのか……)
家康は二人の見事な連携に感心した。ただし、ファウストゥスが見よう見まねで用いたアナテマの術は「完成品」ではないため、時間が経過すればすぐに解けてしまう。捕縛されている間者の表情を見るに、既に半ば術は解けかけている。黒魔力用の解毒剤を用いる必要すらないだろう。
だが、この場を取り繕うには最高の「奥の手」だったと言っていい。
家康は、後はセラフィナが「女王」らしく演説できるかどうかだと目を閉じていた。
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