第十五話 03

「ふふ。おめでとうございます、家康さん。今、あなたがご覧になった方々は、あなたの心が生みだした幻覚ですよ。命を賭して王女を守るためにあなたは己の命を危地に晒し、死者たちに心から懺悔なさいました。あなたの罪を、あなたご自身が赦したのです。これでもうあなたは自由です。今より、あなたはハズレ勇者から本物の勇者となりました――」

 さんざん俺の心の傷を暴きおって女神め、と家康は呟いていた。そもそも、今さら千姫や淀君が生き返るわけでもあるまい。今俺が出会った彼女たちが俺の心が見せた幻なら、俺の懺悔に意味などないではないか、と。

「はあ。ほんとうにあなたは気難しい人、いえ、神ですねえ。それでは特別に、ターヴェッティさんが機を見てあなたに告げようとしていた秘密を教えますね~。エの世界で死んだ者の魂は、記憶を消去された上でこの世界に転生することはご存じですよね? 千姫の魂はセラフィナに。淀君の魂はエレオノーラに、秀頼の魂はイヴァンに転生しているんですよ~。小心者……いえ、慎重なあなたが彼女たちを守りたいと願って命まで賭してしまうのは、心のどこかでそのことを感知しているからなんです~。もっとも、魂は輪廻していますが、あくまでも別人ですからね?」


 成る程。そうか――そういうことであったか。「勇者」とは、前世での記憶を保持したまま人生をやり直せるという希有な機会を与えられた者の呼び名であったのか。

(ならば、俺の生涯の最初の躓きとなった信康の魂は、誰に転生したのだろうか?)

 疑問も残ったが、家康はようやく自分自身を赦していた。

(セラフィナたちを守るために、俺はまだこの異世界で生きねばならぬ!)


「……イエヤス。イエヤスぅ~! やったあああ、目を覚ましたー! よかったああああ! もう死んじゃったかと思ったよおおお! うわああん!」

 セラフィナめ。倒れ込んだ俺を見て混乱して、「治癒の魔術」の詠唱に手間取ったか。それとも、最強の毒・附子を解毒するために準備していた紫雪を俺の口に入れるのに手こずったのか。

 家康はセラフィナに抱きつかれながら、(危うく死ぬところだったではないか。計画通りに即座に俺に紫雪を飲ませて「治癒の魔術」をかけていれば、あんな妙な走馬灯など見ずとも済んだものを。頼りになりそうでならない娘だ)とまた愚痴りたくなっていた。

「ああ、イエヤス様。危うく妾のためにあなたを死なせてしまうところでした――セラフィナ様を軟禁し、イエヤス様を追放しようと謀叛騒ぎを起こした妾は、お詫びのしようもございません……妾はアフォカス家当主として責任を取り、ここで自害致します!」

「ちょ、ちょっと待ってよエレオノーラ~!? せっかくイエヤスの死を賭した賭けのおかげでエレオノーラもお茶を飲み干せて、無事に除染できたのに~! あなたが黒魔術に落ちていたことは私もイエヤスも知っているから! ダメだよーっ死んじゃダメーっ!」

 セラフィナは家康の身体を放り投げると同時に、短刀を自らの喉に突きつけたエレオノーラにしがみついていた。

 家康は「痛いではないか……全く」とぼやきながら起き上がり、一瞬の動作でエレオノーラの手から短刀を取り上げた。電光石火の早業である。

「見事な覚悟だった、阿呆滓よ。王党派とこの家康との和睦、ここに成立した。死んではならんぞ、世良鮒を守るのがお前の役目だろう」

「そーだよー! 除染されたばかりで感情が暴走してるんだよ、落ち着いてっ!」

「……は、はい……申し訳ありませんでしたセラフィナ様。それにしても妾に解毒剤を飲ませるために自ら毒茶を飲み干してみせるとは、なんというお方――このエレオノーラ、ともにセラフィナ様をお支えする者として、生涯イエヤス様に忠誠と友情を誓いますわ!」

 エレオノーラが家康の前に膝をつき、掌に接吻をしてきた。まるで南蛮人の習慣だと家康は少々たじろいだ。おそらくエルフ貴族にとって神聖な誓いの儀式なのだろう。

「でも、ほんとうにアコニタムにイエヤス謹製の紫雪が利いたねー! 黄金百枚で煮込んだだけあって、最強の解毒剤だよー! もしもエレオノーラに憑いたアナテマがお茶に仕込んでいた毒がアコニタムじゃなくて黒魔術由来のものだったらぁ、私の白魔術は効かなかったよ! あっぶなー!」

「……桐子の進言が誠だったということだ、世良鮒。桐子は俺に告げた。射番が使者から受け取った薬はあなてまの術の解毒剤だけで、毒薬は渡されなかったと。だから、阿呆滓はかつて俺が旅先で摘ませた鳥兜を用いるだろうと予測できた。阿呆滓の屋敷にありそうな毒物は、鳥兜だけだったからな」

「いやまあ、その通りだったんですけどー。でも、よくファウストゥスを信じたねー! プッチが起こることを知っていながら、イエヤスとヴォルフガングのどっちが勝つかを見定めようとか言って黙っていた奴なのにさー!」

「あの男の値踏みは、今朝の段階で完了したということだ。今や桐子は本多正信の如く信頼できる軍師となった。本多正信は知恵者でありながら一向宗の熱烈な門徒だったため、本願寺と俺のいずれに仕えるべきかを見定めるまで十年以上もかかったが、桐子は銭のみを信じる無神論者故に思考方法が簡潔で、正解に辿り着く速度も遥かに速い――もっとも、生きている者に対してあれは忠誠心を持たないがな。あれの忠義は、銭への忠義だ」

 いよいよ、よく信じたねーって呆れるんですけどー。おーこわー。とセラフィナは震えあがってみせた。またいつもの調子で子犬のようにギャンギャン泣き続けるかと思っていたが、アナテマの術に落ちてプッチを起こし、混乱して自害しかけたエレオノーラに気を遣わせないために快活に振る舞っている。健気な娘だと家康は思った。

 徐々に感情を取り戻してきたエレオノーラが身体を震わせながら「わ、妾としたことが短慮でしたわ。二度も救って頂いた妾の命は、セラフィナ様とイエヤス様に捧げます。もう決して自害など致しません! 今、テントの外では王党派と宮廷の近衛兵たちが一触即発の空気の中で睨み合っています――どうか事態の収拾をお願いしますわ、イエヤス様!」と家康に懇願してきた。

「妾の荘園も永久にお貸し致します。いえ、丸ごと進呈しても構いませんわ。これからはアフォカス家の総力をあげてイエヤス様にお仕え致します! 遠慮なさらずに、妾を貴女のしもべと思し召しください。なんなりとご命令を!」

 ほう、ずいぶんと表情が豊かになった、「氷のえるふ」と呼ばれていた時とはまるで別人だと家康は一瞬エレオノーラに魅入った。

 元来、エレオノーラは(セラフィナのように騒がしくはないが)誰よりも華やかで情熱的な性格なのだろう。セラフィナを守るという使命感の重さ故に、敢えて無表情に徹していたのだ。

「わかった。ただし、射番が俺の側についたことを気取られてはならない。射番の姉上に危機が及ぶかもしれん。射番には辛い役目だが、しばらく二重間者を勤めてもらう――俺も世良鮒も阿呆滓も、房婦玩具が射番を用いて一揆を起こさせたことには気づいていない。除染に成功した理由は桐子に捏造させる。桐子が黒魔術使いだという噂を利用して、あの男が前回の襲撃に懲りて独自に黒魔力に効く解毒剤を入手したということにする」

「その噂をヴォルフガング一世の耳に入れれば、ファウストゥス殿がアナテマの術に対抗できる危険な黒魔術師だと王に誤解されてしまいますが、よろしいのですかイエヤス様?」

「房婦玩具は慎重故、工作の証拠を残してしまう暗殺のような荒事を避ける傾向がある。今回の毒殺未遂は、除染を避けられない窮地に追い込まれたあなてまの術自身が苦し紛れに行ったことだ。房婦玩具は即座に桐子を殺しにかかったりはするまい。それに、たとえなにか工作するとしても射番に命じるだろうから、こちらに筒抜けだ。問題ない」

「そう言えば、イヴァンに匣を渡した間者は今どこにいるのー? イヴァンを見張ってるとしたら、やばくない? イヴァンがイエヤスに味方したことが王にバレちゃうじゃん?」

「その者ならば、既に桐子が蜥蜴の使い魔を用いて居場所を突き止めている。今頃は、どわあふたちが捕縛している手筈だ」

「ほえ~。ぬかりな~い。やっぱ、イエヤスって慎重なんだねー」

「当然だ。勝算もなしに俺とお前の命を賭けられるか。それでは三人揃って王党派たちエルフ族の前に並び立ち、和睦成立を宣言して手打ちとするぞ」

「承知致しました、イエヤス様! 妾は黒魔術に落ちたのではなく、独断でプッチを起こした謀叛の首謀者。王党派を鎮めるためならば、どのようなお裁きでも。ヴォルフガング一世を欺くためでしたら、たとえ公衆の面前での鞭打ち刑であろうとも耐えますわ! いいえ、も、もっと酷い辱めであろうとも――!」

「い、いや待て。三河一向一揆の時と同じだ阿呆滓。今回の一揆は、ひとえに王女への忠義心から起きたこと。故に罪にあたらず、王党派は誰も処罰しない。当然阿呆滓、お前も無罪だ。むしろお前があなてまの術に必死で抵抗してくれたおかげで、かろうじて事態を収拾できた。礼を言う」

「……まあ、まあ……イエヤス様……! あなたがこれほどに寛大なお方だったなんて。妾は感激の涙を禁じ得ませんわ! 身を挺してセラフィナ様をお守り頂き、ほんとうにありがとうございます……!」

 いやいやこんなことを言いながら後から腹黒い仕返しをはじめるのがイエヤスだから、騙されてるよエレオノーラ、とセラフィナが突っ込む。どうも、除染されて以来エレオノーラがイエヤスを見つめる目がなんだかおかしい。キラキラに輝いている。はっ? まさか、イエヤスに心を奪われてしまっているんじゃ? 忠誠心が異常に高まり過ぎているんだとしてもまずいけれど、もしかして恋心じゃないよね? エルフ族最高の名門貴族令嬢が、そんなぁ? 有り得ないんですけどっ? まさか、まさかだよねっ? 私とエレオノーラの永遠の友情に割り込まれてるようで、なんだか腹が立ってくるんですけどっ! 嫉妬じゃない!

「ただし、人間軍の侵攻が目前に迫っている。今回のような一揆が再び起こらぬよう、エルフ族たちの前で新たな政治体制の樹立を通告する。一揆の芽を永遠に摘むのだ」

 ほーら来た、とセラフィナが嬉しそうに毒づいた。だんだん家康の腹黒さが伝染してきているらしい。

 慎重な家康は会見に臨む前に、三人が生き延びた場合の今後の政治体制について全て決めていた。全エルフ族が会見の行方を固唾を呑んで見守っている今こそ、その新体制を発表する最高の好機だった。「王女の聖断により王党派全員無罪」という通達と抱き合わせで新体制樹立を宣言すれば、堂々と反対できる者はいないだろう。


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