第十四話 05

 無論、家康に勝算はあった。エレオノーラには黒魔力耐性がある。アナテマの術に落ちているとはいえ、親友のセラフィナを害させるような行動には断固抵抗してくれるはずだ。

 それに、ヴォルフガング一世の謀略は常に合理的だ。家康を殺すよりもアナテマで操ったり権威を失墜させたほうが効果的だと考えていたのと同様に、今ここで王女を殺してしまうよりも、王女と王党派の分裂を長引かせたほうが有利と、エレオノーラに憑いたアナテマの術が紡ぎだしている思考――いわば「自動思考」は考えるはず。「自動思考」のパターンを決めた者は王に違いないからだ。

「自動思考」が「暗殺」という非常手段に訴える場面は、この一揆扇動策が破れ、エレオノーラに憑いたアナテマの術自身が「除染」の危機に直面した時に限るはずだ。

 内心(もしも房婦玩具が俺が考えているよりも一段知略に劣る男だったら?)という不安に襲われた家康は思わず爪を噛んでいたが、王党派たちのほうに顔を向けて呼びかけているセラフィナには見えない。見えていたら「ちょっとーっ! なに焦ってるのよう? もしかして私ってば、『エルフの盾』にされてるんじゃないのーっ? やめてよー、杖を持って来てないんだからっ!」と激怒していたことだろう。

 王党派幹部たちは大いに揺れた。彼らはそもそもセラフィナを女王にして王政復古を果たすという大義名分のもとに蜂起したのだ。そのセラフィナが、自分たちのもとから離れて家康の側に付いているのだから、これ以上プッチを続けていい道理はない。次々と「今すぐセラフィナ様に詫びを入れて赦しを乞おう」「イエヤスがわれらを罰しないか?」「セラフィナ様は慈悲深いお方。われらを庇ってくださる」と和平論に傾いていった。

 ただ――党首でありエルフ族最高の名門貴族であるエレオノーラだけが、なおも和平を認めない。無言で空中庭園から顔を覗かせ、手を振っているセラフィナを凝視している。その内心ではアナテマの術の力と彼女自身の意思とが激しく戦っているのだが、もともと感情を表情に出さないエレオノーラだ。傍目には全くわからない。

 エレオノーラの魂を縛って思考を操作しているアナテマの術はこの時、さらなる分裂劇を引き起こすための「言葉」を準備していた。

 王党派がセラフィナを逃がしてしまった時にこそ有効となる「言葉」を。

 そう。ここでエレオノーラが「人間側に寝返った王女を廃嫡して、アフォカス家が新王朝を建てる」と宣言してしまえば、事態はもはや「革命」に発展し、事態は完全な泥沼に陥る。王の目論見通りに。今、エレオノーラはその言葉を口にする寸前でかろうじて耐えていた。アナテマの術に必死で抵抗しているのだ。

 王党派幹部の中には(絶対にイエヤスは我らを許さないだろう)と疑い怯え、もはやアフォカス王朝を建てるしかないと思い詰めている者もいる。エレオノーラの唇が決壊すれば、王党派プッチ軍の中でさらに「アフォカス家派」と「王家派」が分裂し、仲間同士で戦闘がはじまる恐れすらあった。

 だが。

(ぐっ……セラフィナ様、申し訳ありません。もう……これ以上無言でいることは……)

 抵抗ももはや限界だった。ついに黒魔力の凄まじい圧に押し切られたエレオノーラが「破滅の言葉」を口にしようとしたその時。

「あと! もう、暗殺とか逮捕とか拘束とかはなしだよ! こっちにはイエヤスの忠臣イヴァンちゃんが侍っているんだからね! 窮地に追い詰められたイエヤスのもとに真っ先に駆けつけた優れものだよ! え? やっぱり宮廷に入るのは嫌? だったら、こっちからそちらのテントに向かうから! お茶とお菓子を用意していて、エレオノーラ~!」

 セラフィナの無邪気な笑顔と陽気な言葉が、「直ちに王女を廃嫡しますわ」という破滅の言葉を口にしかけていたエレオノーラをかろうじて踏みとどまらせていた。

 エレオノーラは(黒魔力に感染した妾はもう止まれない。自害したくとも、自害すらできない……もしも会見の席でイエヤス様やセラフィナ様を毒殺してしまったら)と自分自身を恐れながらも、セラフィナと家康に最後の希望を託して「……承知」と小さく頷いていた。

 しかし既にその手には、即効性の毒薬が入った小瓶が握られている。

 かつて漫遊旅行中に家康がエレオノーラに命じて摘ませた、アコニタムの根を用いた猛毒である。アコニタムはこの世界でも最強の毒物で、致死量を服用すればセラフィナが得意とする「治癒の魔術」を用いてもほぼ助からない。蘇生率は0.01パーセントだ。

『だがセラフィナも家康と同時に毒殺しなければ、家康を治癒されてしまう可能性が僅かにある。二人まとめて処理するべし。それで家康打倒は成りエルフ族は救われる』と、エレオノーラの魂を縛っているアナテマの自動思考回路は猛スピードで策謀を練り、『会見場で王女とイエヤスを暗殺できなければ我が除染されるだろう。王はイヴァンに暗殺を禁じているが、我には暗殺は可能な限り避けよと命じたのみ。故に使命を完遂するべく、我は自らの存続を優先する』と結論していたのだ――。

「よーし! 大団円まであと一歩だねっ、イエヤスぅ!」

「……いや、ここからが最大の難関だぞ世良鮒……強靭な精神力を持つ阿呆滓ほどの者を操る黒魔力は実に手強い」

「だいじょうぶだいじょうぶ! イエヤスは慎重だもんねー、ちゃんと策はあるんでしょ? 一緒に頑張ろうっ!」

 事態は家康の読み通りとなったが、今や家康のみならずセラフィナの命もまた危うい。

(セラフィナを同行したくはないが、エレオノーラと二人きりで会見すれば間違いなく俺は死に、アナテマの術に憑かれたエレオノーラが権力を掌握する。セラフィナの命がどうなるかもわからん。異種族連合は崩壊し、エッダの森は落ちる。セラフィナとともに会見に臨み、二人がかりでエレオノーラの除染を完遂するしかない――南無三……!)

 会見場で倒れる者は、家康か、セラフィナか、それともエレオノーラか。

 運命の会見がはじまろうとしている。もしも二人を救えなければ? 俺は前世では常に誰かを犠牲にして生き延びてきた男ではなかったか? 今また俺はセラフィナを身代わりに用いようとしてはいないか? そう自問自答せざるを得ない。否応なしに腹が痛み、またしても親指の爪を噛んでしまう。

(ええい。俺を異世界に放りだしたきり姿を見せぬ厄介な女神め。こういう時くらい、助言でもしに下界に降りてこぬか)

 そんな家康に、ファウストゥスが何事かを小声で進言してきた。

 そのファウストゥスの言葉を信じるか信じないかは、家康次第だった。

「――世良鮒。会見場でなにをなすべきか、予め決めておくぞ――決して慌てるな」


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