第十四話 04

「まあ待て世良鮒よ、他にも射番の姉上を救出する方法はある。桐子と射番が組めば、姉上が監禁されている場所もいずれ特定できるだろう。そう焦るな、必ず機会は訪れる」

「ほんとにぃ~? でも、それ以前に目の前のプッチをどーするのよーう?」

「……これが、エレオノーラ様に憑いたアナテマの術を除染できる解毒剤です。プッチを解散させるためには、エレオノーラ様の除染が必要です。折を見てお使いください」

「む。そうか、これが……再度の襲撃に備えて、俺が桐子に命じて予め密かに闇市場で入手していたということにしておこう。これを阿呆滓に飲ませればよいのだな?」

 ファウストゥスは水晶球を覗き込みながら「王党派の首脳陣は、錦の御旗として担いだセラフィナ様が姿を消したために右往左往しております。せっかく包囲しておきながら宮廷へと乱入できず、これからどうすべきかと互いに意見を言い合って揉めている様子。エルフの元老院にありがちな光景ですねえ」と嗤っている。

 ファウストゥスは、既に王党派の陣営内に使い魔を潜入させているのだ。野戦陣は、野生動物の姿をした使い魔の接近に弱い。

「儂が陣中におれば、どうにか纏められるのじゃがなぁ」

 少し疲れたのうと座り込んで半分眠っていたターヴェッティが、ファウストゥスの言葉に反応してうわごとのように呟く。かなりお疲れらしい、と家康は老いたターヴェッティの身体を案じた。プッチをこれ以上長引かせてはいけない。

「イエヤス様。党首にかけられたアナテマの術を除染すれば、プッチを速やかに終わらせることが可能ですよ。そうそう、イヴァン殿? イエヤス様とて、あなたの事情を知らなければ、これほど寛大に振る舞うことをご自分に許せたかどうか。これで借りひとつですよ。ふ、ふ、ふ……」

「……は、はい……あ、ありがとうございます……って、今回の陰謀を知っていたのならば僕を早く止めてくれれば……酷いです……」

「そーだよー! ファウストゥスってばほんとに守銭奴なんだからあ! イヴァンちゃんにはあんたに支払う財産とかないから!」

「対価は銭だけとは限りません。こうしてあらゆる相手に借りを作っておけば、この先なにが起ころうともわたくしは上手く立ち回れるわけですよ。たとえエッダの森が陥落しても」

 陥落はないない! このゾーイ様が突貫工事を進めってからなー! イヴァンの姉ちゃんは必ずオレが奪回してやんよー! とゾーイが胸を張っていた。

 周到な家康は既に、人材収集の旅や鷹狩りと並行して、エッダの森内外の地形を細かに観測した上、ヴォルフガング一世の過去の戦歴を詳細に調べ上げ、ヴォルフガング一世が取ってくる戦術を予測している。家康がドワーフギルドに命じた「本命工事」は、「対ヴォルフガング一世防衛戦」の切り札だった。

 自らの逃走用の地下坑道工事は、心配性の家康が付け足した「余技」である。

 その本命工事の全貌は、家康とゾーイ以外は知らない。工事作業に当たっている現場のドワーフたちも、計画の詳細を知らないままに自分の持ち分で仕事を続けているのだ。

 もっとも、ファウストゥスは使い魔を用いて家康渾身の「切り札」について勝手に調べ上げているわけだが――その本命工事の内容を知っていたからこそ、今回の戦争は家康が勝つ、とファウストゥスは最終判断を下せたのだ。

「世良鮒。たまには王女らしく活躍しろ。俺が一揆軍の前に顔を出せばかえって彼らは興奮する。お前が彼らに話しかけて、落ち着かせるのだ。阿呆滓とお前、そして俺の三者で和平会議を開くことを宣言しろ」

「えーっ、私がーっ? だいじょうぶかなあ~?」

「王女に弓を引けるエルフはいないのだろう? ならば安全だ。あと、王女は誰も罰しないと明言しておけ。こういう突発的な一揆が厄介になるのは、首謀者たちが『罰される』と領主を恐れた時だ。信長公などは、一向一揆への対応を誤って十年以上も各地の一揆軍との終わらない戦いをやる羽目になったものよ」

「そっかー。イエヤスはプッチには慣れてるんだっけ?」

「うむ。三河一向一揆が起きて家臣の半分が一揆側についた時にはな、『俺は怒ってはいない、信仰と忠義の間でみなも揺れていて辛いだろう、俺も自分の家臣と戦うのはほんとうに辛い。誰も罰しないから安心してほしい、全てを水に流して和睦しようではないか』と猫なで声で語りかけてなんとか和睦に持ち込んだものよ。もっとも、三河にあった一向宗の寺は二度と一揆軍の拠点に使えぬよう、後で徹底的に破壊したがな」

「詐欺じゃんっ! 思い切り詐欺じゃんっ! そーゆーことするから狸とか言われるんだってー!」

「……うむ。どうしても騙しきれなかった男が、三河武士で唯一の知恵者だった本多弥八郎正信でな。結局、十数年も出奔されてしまった。本多平八郎忠勝をはじめ、三河武士たちはみな勇猛だったが、智恵のほうはどうもな……あのしくじりで俺は軍師を失い、前半生での余計な苦労を増やしてしまった。たっぷりと」

「自業自得じゃない?」

「阿呆滓を絶対に出奔させたり隠居させてはならん。阿呆滓の家柄と華やかな外交の才は、郎党がいない俺には決して欠かせぬ。無論世良鮒、お前にとっても――」

 頼むぞセラフィナと家康に肩を叩かれると、セラフィナは「よーし頑張っちゃうぞー! 私とエレオノーラは姉妹以上に姉妹なんだから、任せてっ!」とすっかりその気になって、空中庭園から地上に集結する王党派の面々へと元気よく呼びかけていた。

 おおお、セラフィナ様はイエヤスのもとにおられたのか、いつの間に? と王党派たちが激しく動揺する。

「みんな~! 私が急にいなくなって驚いた~? 今はイエヤスと喧嘩している場合じゃないでしょ! みんなさあ、人間の王に騙されてるんだよ! イエヤスがエルフを家畜化しようだなんてさあ、私たちに内紛をやらせるための偽書だよ偽書! 白魔術から黒魔力が生まれるなんて大嘘だしさあ。私たちエルフは、燃費悪いし衣食住全てに美を求める贅沢者だし子供はほとんど産まないし異種族の言うことはろくに聞かないし厄介な魔術を操る者もいるし家畜にしようとしても徹底抗戦するし、たとえ鎮圧したって採算が取れずに大赤字確定じゃん? そのことは、この数ヶ月私と一緒に行動してきたイエヤス自身が思い知ってるからぁ! 私もよく知っているよ、イエヤスがビタ一文でも赤字を出すようなもったいない行動は取れないどケチ男だということを!」

 ここでお前が俺を持ち上げずに罵倒してどうする、誰かセラフィナのとんがり耳ぐらいなら射てもいいぞ、と家康は思った。

「そもそも! 落ちた鼻紙を拾って使ったり、白い下着は長持ちしないから浅黄色のふんどししか使わないと言い張るケチ臭いイエヤスが、赤字しか産まない杜撰な計画を考えるわけないじゃん? この慎重過ぎる男の頭の中は、如何に損をせずに安全に銭を稼ぐかでいっぱいなのよー!」

 全くもって全てセラフィナ様の仰せの通りだ……と王党派の幹部が口走っていた。

 彼らは、家康が異常なほどに経済感覚を発達させた一種の守銭奴だと思い知っている。

 家康の改革は、常に倹約、倹約、倹約、健康、粗食、そして倹約。優雅さと美を愛するエルフとは真逆の存在だった。かといって、同じ守銭奴でもダークエルフとも違う。なんというか、みみっちいまでの吝嗇さが先立っていて、商人としての美学のようなものすらないのだ。だからこそ「いくら戦時中とはいえ限度がある」と耐えられなくなってプッチに奔った者が多いのだ。

「あの偽書は、もともとはかつて誰かがクドゥク族を弾圧するために配った偽書なんだよ! 私は、激怒したお父さまが偽書を引き裂いている姿を子供の頃に見たわ! 誰か思いだしてっ!」

 このセラフィナの一言が、王党派の中でも比較的年齢を重ねていたエルフには響いたらしい。当時幼かった若いエルフはほとんど記憶にないのだが、三十歳から四十歳くらいのエルフたちには、「かつてそういう忌まわしい偽書があった」という薄い記憶が残っている。そう言えば……と彼らはクドゥク族にまつわる偽書の存在を遅まきながら思いだした。

 先のエルフ王ビルイェルが即座に焚書したので、彼らもその存在や内容をほとんど忘れていたが、言われてみれば確かに似ている。

 では――あれは人間の王ヴォルフガング一世が、イエヤスとエルフを争わせるために森に持ち込んだ偽書だったのか? 人間軍が森へ攻め込むまで、あと一ヶ月。時期的にもぴったり合っている。今ここで王党派プッチとイエヤス派が内戦に突入すれば、エッダの森の防衛などは不可能になるだろう。

「いい? 寛大なるエルフの王女は、誰も罰しない! 私とエレオノーラとイエヤスの三名で、和平のための会談を開くのよ! 人間軍からエッダの森を守るために、もう一度団結しなくっちゃ! ドワーフやクドゥク族も含めてね!」

だが、党首のエレオノーラはなおアナテマの術に落ちている。エルフが得意とする弓を用いて王女を「射殺」させる可能性も微かにあったが、家康は素知らぬ顔でセラフィナをおだてて矢面に立たせていた。


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