第十三話 05

「この種の、人々の疑心暗鬼を駆り立てて陰謀論を刷り込むための偽書は、主語つまり『犯人』の名前を入れ替えるだけでよく、あとはほとんどそのまま流用できる性質のものでしてな。陥れたい対象を『陰謀家』と断定しさえすればよいのですから、むしろ内容は紋切り型でいいのですよ」

 かつて謀臣たちに悪知恵を出させ、豊臣家が用いた「国家安家、君臣豊楽」という文章に「徳川家を呪っている」と言いがかりをつけて強引に大坂城を攻めた家康は(因果応報だな)と自嘲せざるを得なかった。

「桐子よ。やはり房婦玩具は俺より上手ではないか。俺は、そんな偽書の存在すら知らなかったのだぞ」

「いえいえ、イエヤス様。ヴォルフガング一世は確かに戦争と策略の天才。しかし、天才肌の英雄は自らの強運と目映い才に目を眩まされがちで、自らの欠点に気づくまでが遅くなりがち。故に足下を掬われて高転びに転ぶものです」

「ふむ。昔、毛利家に仕える安国寺恵瓊が信長公をそのように評しておったな」

「翻ってあなた様は非凡な天賦の才の持ち主ではありませんが、その事実を自ら深く認識されておられる」

「……認めたくなくても、三河一向一揆やら三方ヶ原やら伊賀越えやらで、己の凡才ぶりはさんざん思い知らされているのでな……」

「それです。それ故に、あなた様には天才特有の欠点がありません。自覚なき凡才は百害あって一理なしですが、己の凡才を自覚した凡才は天才よりも信頼できるのです。無論、あくまでも確率の問題ですがね」

 商人ファウストゥスは、イヴァンという凄腕の間者と、人々の記憶から忘れ去られた古い偽書、そして希少なアナテマの術を精緻に組み合わせて家康を陥れたヴォルフガング一世の天才性よりも、「立ち寄る可能性がある場所の下には念のために坑道を通しておく」と用心深く周到に己の生存確率を担保しようとした慎重な家康の泥臭いまでの凡才ぶりを評価したのだ。

「さらにはっきり言えば、ヴォルフガング一世のような天才主君のもとではわたくしのような日陰者の出番はありません。せいぜいが政商として銭を生みだすくらい。ですがイエヤス様のもとならば、わたくしは様々な謀略の才を縦横に発揮できましょう。なぜなら、あなたにはその種の才が欠けているからですよ――そのことをご存じのあなた様こそが、わたくしをもっとも高く買ってくださる買い手にして最高の主君。ふ、ふ、ふ……」

「うっわーなんか凄い失敬なことばかり言ってるんですけどーこのダークエルフ。助けてもらっておいてなんだけど、あちこち覗き見してるしさー! 私の屋敷に無断で蜥蜴を入れたら、怒るんだからあ! こいつにお風呂とか覗かれたらどーすんのよう? エルフは貞操を重んじるんだからあ。結婚できなくなっちゃう!」

 実は念には念を入れてセラフィナの屋敷の真下に向けて無断で新たな地下坑道を掘り進めさせていることは黙っておこう、と家康は密かに決めた。自分までセラフィナに変質者を見る目で見られかねない。

「こほん。乱世ではこのような者こそ信頼できるのだ世良鮒。太平の世では人々を惑わせる害悪にしかならんが、桐子の悪知恵は来たるべき魔王軍との戦いに決して欠かせない。まさしく桐子こそはジュドー大陸に現れたわが軍師・本多正信の再来よ」

「えーーーー? 時々出てくる、そのホンダマサノブって誰だっけー?」

「ふ、ふ、ふ。主従の関係は市場と同じでございます。商品として高く評価して頂き、有り難き幸せでございます」

「しかし今回阿呆滓邸から世良鮒を救出できたのは、僥倖に過ぎんぞ? もしも昨日、俺の屋敷に予定通りに坑道が開通していたら、射番は宮廷へ繋がる地下坑道の存在に気づき、阿呆滓邸の地下から世良鮒が脱出に成功する可能性も消えていた。そもそも、一揆を起こした阿呆滓が即座に俺を捕らえよと命じていれば、俺は今頃」

「あーそれはどうかなー? エレオノーラは完全に精神を拘束されているわけじゃないの。エルフは黒魔術に耐性があるからね。内面ではエレオノーラ自身の心と術に支配された思考とが激しく戦ってるの! イエヤスをすぐに捕らえなかったのも、私を地下室に移動させたのも、エレオノーラ自身の意志がアナテマの術に必死で逆らった結果だと思うよ~!」

「そうか、では俺は阿呆滓に救われたのか……白魔術では除染できないのだったな? 解毒剤はあるのか? 今朝完成したわが毒消しの秘薬・紫雪ではどうか?」

「黒魔力はいわゆる毒とは違うから、私の『治癒の魔術』と重ねても薬は効かないよぅ」

「おお、そうだったな。だが俺の薬学知識と執念をもってすれば絶対に不可能ということはあるまい。五年間不眠不休で開発すれば、あるいは」

「そんな時間ないよ~? 黒魔術には黒魔力を解毒する手段があるらしいけどさ〜」

「むう。もはや黒魔術師になるしかないのか?」

「そだねー。でもでも、十年くらいは修行しないとダメらしいよ~?」

 このセラフィナと家康の会話を聞いていたファウストゥスが、すかさず「黒魔術師が処方したアナテマ解毒剤は、イヴァンが持っておりますよ」と微笑んでいた。

「うえええっ? イヴァンちゃんが!? どうしてっ?」

「解毒剤を渡さねば、イエヤス様たちに心から懐いているイヴァンを言いなりにはさせられないと、思慮深く疑い深いヴォルフガング一世は考えたのでしょうねぇ。そもそも、イヴァンが心ならずも王の間者を勤めている理由は忠誠心などではなく――」

 この時、家康とファウストゥスは視線を合わせた。その瞬間にファウストゥスの思考を家康は正確に読み取っていた。そうか。この男は、ただセラフィナを救出させただけではなかったのだ。次の布石をも既に打ち終えていたのだ――。

「わかった。射番の情報を買おう、桐子。対価はお前の言い値でいい。今すぐお前が掌握している射番にまつわる情報の全てを教えろ。大至急だ」

「ふ、ふ、ふ。仰せのままに。聡明なご主君に仕えられて、わたくしは幸福でございます」

「ちょっとぉ? どういうこと~? 今は宮廷を包囲している王党派にどう対応するかが最優先……あーっ、もしかしてイヴァンちゃんってばイエヤスを裏切らざるを得なかった自分の立場に絶望して、今頃命を断ってたりして……どうしよう、どうしようイエヤスぅ? イヴァンちゃんはいい子だもん、きっとやむにやまれぬ事情があって間者仕事をやらされてるんだよねっ? かわいそうっ! うわ~んっ!」

「世良鮒、また掌底を喰らわせるぞ。時間がない、しばらく口をつぐんでいろ」

「ぐえーっ? なんでっ? なんで私ってばイエヤスのもとに迷わず駆けつけたのに、掌底を連打されるわけっ? 酷い扱いなんですけどおおおっ?」

 家康は騒ぐセラフィナを無視し、「下準備を済ませておくか」と甲冑を脱ぎはじめた。

「ちょっとちょっと、なんで甲冑を脱ぐのっ? 黄色いふんどしは見せないでよねー?」

「下着姿にはならん。ただ、ちと思案があってな」

 家康の予測は、すぐに適中した。

 そう。

 ファウストゥスは、ゾーイに奪回させたセラフィナを「餌」として用い、捨て置けば思い詰めて自決しかねなかったその者を空中庭園まで引き寄せたのだった。

 イヴァンである。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る