第十三話 03

 かくして家康は死した後に「東照大権現」という神になり、久能山に続いて日光にも東照社が築かれた。これが後世に伝わる日光東照宮である。

 もっとも、家康は徹頭徹尾模倣者だった。独創的なアイデアマンだった豊臣秀吉は、死後も成り上がりの豊臣家が存続できるように朝廷に働きかけ、自らを「豊国大明神」という神に仕立て上げた。家康は秀吉のこの「自己神格化」を真似たのである。

「成る程。俺の自己神格化の計画は、あくまでも幕府を安定させて長く存続させるための処理に過ぎなかったのだが」

「ところがイエヤス様は死んだ直後高次世界の『女神』に呼ばれて勇者職に任じられ、この世界を救えと命じられて送られましたな? 生前に天下を統一すること、そして神になること。これが、勇者に選ばれる条件ですじゃ」

「……その通りだ、田淵殿。ううむ。まさか、こういう事態になるとは……」

「皮肉なもので、神格化されたことであなたはこの世界に勇者として召喚されたわけですわい」

「もしも自分を神として幕府に祀らせなければ、俺はどうなっていたのだ田淵殿?」

「エの世界での記憶を全て失い、新たに――いえ、あなたをこれ以上混乱させている場合ではありませんな。さて、既に宮廷は完全に包囲されております。いまだ王党派に組した市民たちは突入を躊躇っておりますが、じきに王党派の本隊が到着しますぞ」

「阿呆滓が率いる本隊か。その中には、新女王として擁立された世良鮒が……生まれながらの郎党を持たない武士はこうなると寂しいものだな。晩年の太閤殿下のご苦悩、今になってよくわかる。故郷を懐かしがる三浦按針も、イギリスへ帰国させてやればよかった」

「エレオノーラはアナテマの術に落ちてしまった様子。あの娘は平和をこよなく愛する者。本来、乱暴なプッチなど起こす娘ではありませんからな」

「……どうやら俺の負けだな。エの世界にも帝という『玉』がいてな。帝を得た側が官軍で、帝を奪われた側が賊軍とされる。今の俺は賊軍の将。世良鮒の身柄を王党派に押さえられた時点で俺は破れた。黒魔術士は、俺を殺さずに無力化することを目的にしている。森からは追放されるだろうが、逮捕されても命までは取られるまい」

「ですが、勇者のあなたが森から去れば、誰がエッダの森を守れましょうや? 王党派は、エルフ至上主義者の集団ですぞ。イエヤス様が築いてきた異種族連合による防衛策は、霧散致しましょう」

 そうなればヴォルフガング一世の思う壺。セラフィナもエレオノーラもエッダの森から追われるという結末を迎えることになる。しばし熟考する時間を俺に、と家康は祈った。だが。

「た、田淵殿。続々と進軍してくる兵たちが掲げるあの旗を見よ! あの緑色の大旗は……あの桐紋は、太閤桐によく似ておるが」

「紛れもなくアフォカス家の紋章ですな。エレオノーラ様ご自身が、ついに宮廷へと」

「俺は外様勇者。世良鮒の民である、えるふ族と戦うことはできぬ。どうか世良鮒を補佐してくれ田淵殿よ、俺は出頭する」

 そうか。これが「是非に及ばず」という心境であったか、と家康は青空を見上げながら呟いていた。

「信長公も、本能寺から逃げようと思えば逃げられたかもしれない。金ヶ崎で浅井長政に裏切られて背後を突かれた時には、俺を含む家臣団を全員放りだして、黙って一人で京へと逃げ帰っていった御仁だ。死ねば全てが終わりだ、大将は生き延びなければならないという理屈を誰よりも知っていたはず」

「イエヤス様の慎重さや逃げ足の速さは、エの世界で培われたものなのですなあ」

「うむ。しかしそんな信長公も、『本能寺の変』が起きたと知るや否や同じ京に泊まっていた嫡男の信忠殿を救うために、信忠殿脱出の時間を稼ぐべく、敢えて本能寺に留まって自ら明智光秀軍と戦い続けたのだろうな――既に家督を譲った息子を生かすために」

 そのことを今ようやく理解できた、俺は妻子を捨てて生き延びようとするような小心者であった故に信長公が理解できなかったが、セラフィナとエレオノーラを前にしてやっとわかった、まさしく是非に及ばずである、と家康は目を潤ませながら頷いていた。

「……信長公は明智光秀に自分の首を渡さぬために、見事に本能寺ごと炎上してみせた。明智光秀ほどの男が太閤殿下にあっけなく討たれたのは、肝心の信長公の首を見つけられなかったからだ」

 太閤殿下は「信長様は生きておられる」と喧伝することで周囲の武将たちことごとくを味方につけ、あるいは親明智派の面々を逡巡させ日和見に追い込んだのだ。もっとも、嫡男の信忠殿が馬鹿正直にも京に留まって討ち死にしたために、信長公が選び取った一世一代の自己犠牲は無駄に終わってしまったのだが――親の心子、知らずか――。

「田淵殿。俺はもう、前世と同じ過ちは繰り返さない。今生では世良鮒を守ると決めたのだ。ここは世良鮒を生かす。一度くらい、そんな爽やかな生き方をしてみたかったのだ」

「……尊い決断ですな。やはりあなたは勇者でございますよ、イエヤス様。これより異種族連合による防衛策は、力及ばずとも儂が守りましょう。ワイナミョイネン家を滅ぼすことになろうとも」

「かたじけない。それでは近衛兵たちを武装解除させて出頭するか。案内を頼む、田淵殿」

 家康とターヴェッティが、空中庭園から階下へ降りようと脚を進めたその時だった。


「お待ちください、イエヤス様。ファウストゥスにございます。こたびの危機対応において、あなた様という器の値踏みは完了する。故にヴォルフガング一世とあなたのいずれにお味方するかしばし日和見しておりましたが、既にわが心は決まりましたとも。これよりわたくしがイエヤス様の窮地をお救い致しましょう。無論、わたくしの地位のさらなる昇格と破格の好待遇が絶対条件ですがね。ブロンケン山の金山の管理権を、わたくしに独占させて頂きたい! ああ、今こそついに最高の値段で主君に自分自身を再び売りつけられる機会が訪れたというわけです。は、は、は――」


 事態を把握していながら傍観していたファウストゥスが、忽然と空中庭園に上ってきたのだった。

 この男は家康にとってはイヴァン以上の戦犯だが、「しばし日和見していた」「破格の好待遇で自分をもう一度買え」というふてぶてしい言葉といい、こみ上げてくる笑いを抑えられない表情といい、全く悪びれていない。家康は思わず、無礼者にも程がある、ファウストゥスを袈裟斬りにしたいという衝動に駆られたが、忍耐力を発揮して耐えた。

 なぜならファウストゥスの背後には、「まさか」と家康が目を疑う者の姿があったのだ。


「うぇええん、イエヤス~! エレオノーラがアナテマの術に感染しちゃったの~! 本心ではイエヤスを謀叛人だなんて思ってないの! エレオノーラを助けて、お願いっ!」


 そう。

ファウストゥスはいったいどういう奇手を用いたのか、王党派本部の地下室に軟禁されていたはずのセラフィナを空中庭園に連れてきていたのだった。


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