第十三話 01

 エレオノーラの邸宅が「王党派本部」と定まったのは、クーデター初日の早朝。

 この大豪邸から、同じ荘園内に建つ家康の屋敷までは、一角馬の脚で三十分弱もかかる。アフォカス家の荘園がどれほど広大かがわかるだろう。

 王党派はエレオノーラの命令に従って、自分の屋敷で熟睡していた王女セラフィナを起こさないように静かにエレオノーラの屋敷まで運び、次期女王を擁する「官軍」となった。

 セラフィナを得た王党派は「王政復古」を掲げてから、外様勇者・徳川家康の捕縛作戦を開始したのである。

 王党派本部にエレオノーラと幹部貴族たちが集結してから一時間後、ようやく家康捕縛のために一隊が出立していた。王党派蜂起から家康捕縛作戦の開始まで、三時間ほどのタイムラグがあった。この三時間は、アナテマの術に落ちたエレオノーラが強靭な精神力によって思考操作に抵抗したことで稼ぎ出した三時間である。

「反動エルフ王党派首領」として動くようにアナテマの術に操られたエレオノーラは、まるで以前からプッチを準備していたかの如く水際だった指揮を行った。

 セラフィナの身柄確保、自らの邸宅を王党派本部と定めての臨時内閣の組閣、有力貴族たちへのプッチへ参加呼びかけ、十八歳のセラフィナを直ちに女王に即位させるための法改正、エッダの森全域の町や村の王党派シンパとの速やかな連携、ファウストゥス逮捕命令、地下に潜っているドワーフたちの捜索命令、クドゥク族集落の監視命令――エレオノーラは三時間のうちにこれだけの仕事をやってのけたのだから、(イエヤスをなぜ後回しにするのか)という疑問を誰もがなかなか彼女に問いただせなかった。

 だが、さすがに焦れた王党派貴族たちが「イエヤスの捕縛を」「それでこの蜂起は成功致します」とエレオノーラに訴え、エレオノーラはしばらく「………………」と無言で硬直していたものの、最終的に「承知ですわ」と不承不承頷いたのだった。


 セラフィナが目を覚ました時には既に、彼女は「王党派本部」の一室に移されていた。

 もっと早く気づけ、熟睡するにも程がある、と家康がこの場にいたら呆れ果てていただろう。

「あれ、なになに? ここってエレオノーラのお屋敷じゃん? なにがどうなってるの!?」

 セラフィナが慌てて一階の大広間に降りてみると、そこはもう「王党派本部」だった。

「セラフィナ様! 王党派プッチは成功目前ですぞ! 今しばらくのご辛抱です、あなた様は本日午後にも女王に即位なされます!」

「セラフィナ新女王陛下、万歳!」

「エッダの森を、エルフの手に取り戻しましょうぞ!」

「人間陣営に内通したイエヤスは捕縛し追放。異種族もことごとく森から退去させまする」

「このお見事な陣頭指揮ぶりをご覧ください。エレオノーラ様は、父上に勝るとも劣らぬご立派な宰相となられましょう!」

「ぐえっ? イエヤスが人間陣営に内通? エレオノーラが……王党派を率いてプッチ? なにそれ~っ? エレオノーラ? これって、いったいどういうこと~? 昨日、イエヤスと仲良く薬園を散策していたよねっ? 一緒に夕食も食べたよねーっ?」

 セラフィナはもう、訳がわからない。なにもかも夢なんじゃないかしらと頬を全力で抓ってみた。死ぬほど痛かった。思わず「ぐぎゃっ?」とその場に座り込んでいた。

「い、いだだだだ。え、エレオノーラ? ねえ、いったいなにをしているの~? 悪い冗談なんだよね~? イエヤスが寝返っただなんて、誰が言いだしたのよーう?」

「……セラフィナ様は寝ぼけておられるのですね。証拠ならここに。イエヤスがヴォルフガング一世宛てにしたためた密書ですわ。昨夜、あなたが妾に届けたのですよ?」

「えーっなんのことーっ? それより、エレオノーラ? 顔色が真っ青だけどぉ?」

 セラフィナに向けて書状を差し出してきた手も、ふるふると小刻みに痙攣している。

「うん? これは……あれぇ? 昔、どこかで読んだ覚えがあるような……」

 密書の内容に、セラフィナは見覚えがあった。王都がまだ栄えていた頃、お父さまが「こんなものが市中に出回っているとは」と激怒して破り捨てていた怪文書に似ているような……でもずっと昔のことだし、「子供が読むものじゃない。魂が穢れるぞ!」と中身をちゃんと読ませてもらえなかった。

「セラフィナ様。イエヤスが異種族を大量に森に引き入れてエルフ族を人間の家畜にしようと企んでいたことは既に明白ですわ。イエヤス本人の花押が書き込まれていますので。今、イエヤスを逮捕すべく兵を派遣しています。ファウストゥスにも逮捕命令を。ドワーフギルドはプッチを警戒して地下に潜伏中。クドゥク族は集落ごと包囲して監視中。イエヤスは孤立無援です――まもなくイエヤスを逮捕できるでしょう。そして、あなた様が新たなエルフの女王になるのですわ」

「ちょ、ちょっと待って~エレオノーラ~! 私、こんな書状知らないよ? イエヤスがエルフを家畜にするとか、なに言ってんのさ~? イエヤスは鼻をかむ紙を落っことしても『一瞬しか設地していないから問題ない』と拾い上げて使っちゃうようなドケチだし、橋を渡る時に落馬を恐れて私に自分をおんぶさせるよーな小心者だし、そのくせ一度ブチ切れたら爪を噛みはじめて矢でも鉄砲でも持ってこい! と暴走する面倒臭い奴だけどぉ」

「全てセラフィナ様の仰る通り。吝嗇で小心でその実凶暴で、まさに生き残るためなら誰だって裏切る男ですわ」

「でもでも! 異種族でありながら私やエレオノーラのことを親身に心配してくれて、半年近くも精一杯頑張ってくれたじゃん! エッダの森をオオサカジョーのように落城させるのは忍びないって、いつも目を潤ませて言っていたじゃん!」

「……ああ、今になってイエヤスに情が湧いたのですね。それらは全てわれらを油断させるための演技なのですわ、セラフィナ様。人間とは嘘を平然とつける種族なのです」

 ちっがーう! イエヤスは律儀な人間なんだってばー! とセラフィナは地単打を踏んだ。

「だいいち内通すると決めたなら、エッダの森に住み続けるイエヤスじゃないよう! イエヤスは小心……いや慎重なんだからぁ、裏切ると決めたら真っ先に無言で森から逃げだすに決まってんじゃん! 一緒に旅行したんだから、よくわかってるよねー? イエヤスはホンノージでノブナガコーが討たれたと知った時にも、『セップクする!』と切れながら着の身着のままでサカイから一目散に逃げだしたって、よく愚痴ってたじゃん!」

「忍耐強く誠実で律儀な男の演技を何年も続けられる古狸です、あれは。エの世界で旧主トヨトミ家を滅ぼした裏切りの実績が全てを物語っていますわ。妾すらも、昨夜までは騙されていたのです」

 やっぱりエレオノーラの挙動が妙だよ。手も唇もずっと小刻みに震えている。もしかして、アナテマの術に落ちて思考を操作されている? とセラフィナは気づいた。

(王党派の面々はエレオノーラの異変に気づいてない! いつも通り、感情を押し殺した「氷のエルフ」として職務を淡々と遂行しているように見えているんだぁ! 幼馴染みの私だけが、エレオノーラに起きている異変に気づいている!)

 セラフィナは、小声でエレオノーラの耳元に囁いてみた。

「ねえエレオノーラ、アナテマの術に感染してるんでしょ? 白魔術じゃ除染できないから、体内のプネウマを練って必死で抵抗してるんだよね? 正解だったら、右目をぱちりと二度閉じて見て?」

「……せ、セラフィナ様。これは現実なのです。え、エルフ政庁が使用している公文書専門用紙を用いていることからも、この書状は決して偽書ではありません……」

 言葉とは裏腹に、エレオノーラは苦しげに二度、右目の瞼を閉じては開いてみせた。

(やっぱり! アナテマの術に感染している! かわいそうなエレオノーラ! イエヤスを無実だと信じたいエレオノーラ自身の本来の心が、「イエヤスは謀叛人だ」と思考を操作してくる術の力に抵抗し続けていて、内面でずっと葛藤しているんだ! 白魔術じゃ対抗できないし、貴族たちに感染を気取られたらエレオノーラまでが危うい立場に! どうしよう?)

 偽書とあの蝦蟇の使い魔をエレオノーラのもとに届けた者こそが、エレオノーラにアナテマの術をかけた犯人に違いない。

(未知の第三の侵入者でなければ、ファウストゥスかイヴァンちゃんということになるけれど!? イヴァンちゃんは有り得ないっ! 普通に考えればファウストゥスが犯人であり人間陣営の間者だよねっ? もともと人間軍相手に商売していた男だしねっ!?)

謎は解けたー! とセラフィナは拳を握りしめていた。


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