第十二話 03

「エレオノーラ様! 聡明なセラフィナ様はイエヤスの数々の挙動に不信を抱き、敢えてイエヤスの側に侍りながら、この恐るべき文書を盗み出す機会を窺っておられたのです!」

「この文書をエレオノーラ様に送ったということは、セラフィナ様はご親友のエレオノーラ様に救いを求めておられるのですぞ!」

「お二人の姉妹よりも強い友情だけが、エルフ族を、そしてセラフィナ様をお救いできるのです! 幸い、まだヴォルフガング一世にこの書状は届いておりません。直ちにイエヤスを討つなり、全権を剥奪して森の外へと追放するなりしなければ!」

「誰よりもセラフィナ様が危ないですぞ! 直ちにセラフィナ様の身柄を確保せねば!」

「あなたは名門アフォカス家のご令嬢、代々防衛長官を務めてきた武門の家柄ではありませぬか! どうかセラフィナ様とエルフ族をお救いください、エレオノーラ様!」

 書状の内容の要点は明らかな「偽り」だった。エルフ族が白魔術を用いるから黒魔力が生まれるのではない。生命の営みそのもの、すなわち時の歩み自体がプネウマを汚染させ黒魔力を生みだすのである。それに、かの暗黒大陸では大量の黒魔力が自然発生的に沸きいずるのだ。ジュドー大陸での生物の営みとは無関係である。

 だが、ヴォルフガング一世がエルフ族をはじめとする異種族に厳しいことを、エルフ貴族たちは思い知っている。「勇者」の虚言を信じるふりをして、エルフ族を奴隷や家畜の地位に貶めてしまうくらいのことはやるだろう。

 エレオノーラは、今こそ「この文書は偽書。イエヤス様を陥れるために何者かが捏造したものです」と文書を破り捨てて、動揺する貴族たちを宥めねばならなかった。

 彼女もまた、家康がエの世界で人生の晩年に汚点とも言うべき大坂城攻めを強行したことを知っている。だが、家康には孫婿の豊臣秀頼を殺すつもりはなく、息子の秀忠が秀頼の助命を断固拒否したことも、家康が一連の顛末を深く後悔して自分を責めていることも、大坂城に籠もっていた孫の千姫の姿をセラフィナに重ねていることも全て知っていた。

 ましてや、今の家康は二十歳に若返っている。「もう寿命がない」と慌てるような年齢ではない。家康が驚異的な粘り腰であらゆる手段を用いて森を防衛し、さらに人間陣営と和平を結ぼうと知略の限りを尽くしていることを、エレオノーラは理解している。

 その超人的なまでの忍耐力、精神力、文武両道に精通した万能の達人ぶり、そして種族を問わない実力主義人事の妙と器の大きさに尊敬すらしていた。惜しむらくは苦労し過ぎたために吝嗇なことと、半年しか時間がないということくらいで、もっと時間があれば家康は卓越した政治力を駆使して気難しいエルフ貴族たちを懐柔できていたはずだった。

 だが――書状を読み終えたエレオノーラは、アナテマの術に陥っていたのである。今やエレオノーラは魂を縛られ、精神を術に支配されていた。「セラフィナ様からの贈り物です」というイヴァンの愛らしい笑顔と優しい言葉が、彼女の心の隙を突いたのだ。

 まさか、あのイヴァンが人間陣営の間者だったなんて!

(………妾は……言うべきことを言おうとしているのに、言えない……それどころか妾の意思に反する言葉を発しようと……思考を強引に操られている!? これはまさか、アナテマの術?)

 黒魔術に耐性を持つエレオノーラは、必死で抵抗した。だが、自分自身の思考を何者かに強引に操作されている強烈な違和感に襲われながら、ついに唇が決壊した。

「……そうですわ! 皆さん、イエヤスが人間側に内通を図ったことはもはや明白ですわ! 直ちにセラフィナ様のお屋敷に兵を派遣し、イエヤスからお守りします! あのクドゥク族の子供に気取られるよりも早く! 急ぎますわよ! ああセラフィナ様、どうかご無事でいてください。妾の最愛の親友……」

 最後の言葉は、強靭な精神力で黒魔力に抗い、エレオノーラ自身の意志で発することができた言葉だった。アナテマの術に陥って思考操作を受け、「家康が謀叛した」という「確信」に憑かれた思考を制御できなくなったエレオノーラは、「家康を即座に逮捕拘束する」という決定的な言葉を必死で呑み込むので精一杯だったのだ。

 アナテマの術は白魔術では除染できない。妾はこのまま王党派を率いてプッチを起こし、まもなくイエヤス様を逮捕することになる。エレオノーラは内心で絶望していた。

 ここにエレオノーラが党首となり、打倒家康を誓うエルフ貴族たちによる「王党派プッチ」が突如として勃発したのだった。

 街の広場に集結した王党派は、勢いのままに王家ユリ家の荘園へと急行した。家康が動くよりも早く、セラフィナの身柄を確保するために。王女セラフィナこそがこのクーデターにおける「玉」であり、プッチの正統性を担保してくれる唯一の存在なのだ。

 王党派の兵士たちがセラフィナの屋敷を包囲する中、エレオノーラが「銀の樺! 王女を守り給え!」と屋敷を包み込んでいた銀の樺の枝を急成長させて脱出困難な緑の「囲い」を築き、寝室で熟睡していたセラフィナの身柄を確保した瞬間に、家康は賊軍となった。

 さらにエッダの森の各地で、家康が人間に内通した証拠を握ったエレオノーラが蜂起したと聞き付けたエルフ族たちが、かつての国旗を翻しながら続々と決起した。貴族のみならず、平民も多数参加している。実にエルフ族の約半数が、一夜にして「王党派プッチ」に身を投じたのである。

 狩り場で、街中で、気さくに平民の話を聞いてくれる家康を贔屓するエルフ族も、半数はいた。家康の地回り活動の賜物と言っていい。

 だが残る半数のエルフ族は、エルフ族の慣習を無視した家康の急進的な政策に、不自由感と不満を抱いていた。その積もった不満が、一通の怪文書によって爆発したのだ。

 何よりも、エルフ族最高の名門貴族エレオノーラ・アフォカスが党首となったことが、このプッチに説得力を持たせていた。王女セラフィナの身柄を彼らが即座に抑えたことも大きい。

 今や「大義名分」は、王党派にあった。


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