第十二話 02

「まあイヴァン。セラフィナ様が? あの子はきっと、妾が喜ぶような美しい花を贈ってくださるはず……もしかして草園で咲いた珍しい花かしら? 楽しみですこと」

「……それでは、僕はこれで。イエヤス様の警護に戻ります……また一緒に薬園を回りましょうね、エレオノーラ様」

「ええ。またね、イヴァン。あなたが来てから、セラフィナ様はよく笑うようになりましたわ。ほんとうに感謝しておりますのよ」

「……は、はい……それでは……失礼、します……」

 イヴァンの姿は、一瞬のうちに闇に紛れて消えていた。ほんとうに素早い。イエヤス様が言う「ニンジャ」というものなのですわね、とエレオノーラはつい微笑んでいた。


 エレオノーラはサロンに通されると、もう待ちきれないとばかりに匣に手をかけていた。

「おお、エレオノーラ様!」

「お聞ききください。われらは今宵『王党派』を結成し、森をエルフの手に取り戻そうと決めましてございます。党首は、是非エレオノーラ様に」

「なにを物騒なことを。酔っておられますね? セラフィナ様がイエヤス様に虐待されているなどという噂は、あなた方の被害妄想です。あのお二人は父と娘の如く仲睦まじいのですわよ。その証拠に、妾がセラフィナ様から頂いた贈り物をご覧に入れますわ」

 サロンに集う貴族たちも「さすがはお優しいセラフィナ様」「イエヤスのもとにあっても、エレオノーラ様とのご友情を忘れてはおりませぬな」と感動し、彼らの家康への怒りはセラフィナの細やかな気配りによって収まる――はずであった。

 だが、匣の中身はエレオノーラが期待していたような花瓶でも鉢植えでもなかった。

 一匹の単眼蝦蟇と、そして一冊の「文書」だったのだ。

(この文書はいったい? これは公文書に使用する高級専門用紙――もしや国家機密!?)

 文書に一瞬注意力を奪われたエレオノーラは、蝦蟇の単眼が発射してきた体液を唇に浴びてしまった。

 きゃっ? とエレオノーラが小さな悲鳴を上げた時にはもう、蝦蟇は素早く屋外へと飛び出していた。任務を終えた使い魔である。誰にも見つからない場所まで移動して、証拠を消すために自ら融解するつもりだろう。

「だ、だいじょうぶですかエレオノーラ様!?」

「なんと奇怪な蝦蟇。敏捷で取り逃がしましたが、追いかけさせております!」

「……なんですの、今の蛙は? ま、まさかセラフィナ様の庭園に出現したという黒魔術の使い魔……? でも、どうしてあの子がこれを?」

 匣の中に残された文書は、家康が作成した「書状」だった。

(唇が痺れますわ。まさかほんとうに……)と震えながらも、「とてつもない文書なのでは」という直感を抱いてその書状の内容を読んだエレオノーラは、声を失っていた。

 そこには恐るべき「陰謀計画」について、家康自身の筆でしたためられていた。

 家康が膨大な公文書に書き記した花押と寸分違わぬ花押が記されている。誰の目にも家康の自筆だと認められた。しかも、エルフ政府の高官のみが使用を認可されている高級な公文書専門用紙を用いている。そう容易に手に入れられる紙ではない。

「これはいったい? 『親愛なるヴォルフガング一世陛下へ、わが真の計画をお伝えします。真エッダ改造計画、第一条。勇者の故郷エの世界では、世界を統治する支配種族は人間である。エルフ族はあらゆる種族のうちの最下層に位置し、人間に家畜として飼われている。異世界でもエルフ族は人間に支配されねばならない』……?」

「『第二条。人間は、龍を唯一神として信奉する先進的な宗教、科学を用いて開発された軍事兵器、ダークエルフ族の商業ネットワーク、クドゥク族の暗殺技術、ドワーフ族の土木技術に冶金技術、そしてエの世界より召喚されし勇者、それらのありとあらゆる『武器』を用いてエルフ族を打倒し、エッダの森と神木を奪い取り、全エルフ族を人間の家畜にする責務を背負っている』!? こ、これはいったい?」

「『第三条……自然を崇拝し白魔術を乱用するエルフ族こそが、世界文明の正しい発展を阻害し続ける諸悪の根源である。エルフ族がなおも家畜化されていない異世界は、完全に進化の道程を誤り行き詰まった世界である。エの世界から召喚された勇者は、そのような世界にのみ召喚される。あらゆる智謀と策略を用いて全異種族と秘密裏に結託し、エルフ族から全てを奪い取るために。それが勇者の真の使命』!?」

「『第四条……勇者はまず国防の名目でエルフ族から全権を奪い取り、同じ人間を相手とした八百長戦争を長引かせることでこれを返却せず、エッダの森に速やかに諸種族を移住させて繁殖力に劣るエルフ族を少数種族化してしまう……さらにエルフ貴族の荘園を差し押さえて返却せず、その生活を困窮させる。異種族との結婚を忌避するエルフ族を経済的に干しあげれば、彼らは容易に子を成せぬ状況に陥り、自ずと家畜の地位に転落する』」

「『第五条……暗黒大陸に現れる魔王の活動は、白魔力が汚染されて生じる黒魔力に連動しており、この黒魔力は大地に充満するプネウマを崇拝するエルフ族が操る白魔術によって発生している。だが、白魔術の力に固執するエルフ族は決して改宗させられない。故にエルフ族を家畜の地位に転落させ、白魔力を操る術を奪い去ることで、黒魔力の増殖を停止させる。その時こそはじめてジュドー大陸に真の平安が訪れる。これが、エの世界を平定した勇者が得た知見である。以上、アンガーミュラー国王ヴォルフガング一世陛下のみにわが真意と真実を開示する。読み終えたら即座に焼却されるよう――大将軍徳川家康、ここに記す』」

 エルフ貴族たちは一挙に酔いが覚めて、恐怖のあまり抱き合って震えていた。

「まさかエルフ族を救ってくれるはずの伝説の勇者が、実はわれらエルフ族を滅ぼすために召喚された刺客だったとは!?」

「ではターヴェッティ様が暗唱しておられるエルフ族の伝説は、真実ではなかったのか?」

「それは有り得ない! この世界に現存する神話伝説の中で、もっとも原形に近いものが嘘偽りを嫌うわれらエルフ族の伝説だ! イエヤスが書いている話は実にもっともらしいが、白魔術が黒魔力を生みだすという話は完全に出鱈目だ。この文書は真っ赤な嘘だ!」

「イエヤスは既に人間陣営との和平に失敗し、半年間の猶予期限も終わろうとしている。もはや勝ち目がないと見て、われらエルフ族を森ごと人間に売ろうと保身を図っているのではないか?」

「このまま異教徒として裁判にかけられ死罪になるよりも、皇国の信仰を受け入れて生き延びようと寝返ったか。そのための手土産が、エッダの森とエルフ族か!」

「イエヤスは確かに吝嗇でなにを考えているかわからん無愛想な男だったが、まさか裏でこのような裏切りを……なんという狸。飛んだ食わせ物だ!」

「待て待て。この『五箇条』、かつて王都が健在だった時代にどこかで聞いたことがあるような内容だが……ううむ。どこで耳にしたのか、思いだせんな」

 情報通のファウストゥスに大金を支払って売ってもらった話ですが、イエヤスはエの世界でもこのような「陰謀」をやってのけたといいます、聞かされた時は半信半疑でしたが……と一人の女性貴族が恐る恐る口を開いた。

「イエヤスは、エの世界で覇権を握り、将軍という権力の最高位を手に入れた。しかし、かつての主君筋のトヨトミ家を滅ぼさなければ、自らの子孫に権力を移譲できない。しかも覇者になるまで六十年を費やしたイエヤスには寿命が迫っていて、トヨトミ家を臣従させる時間もなかった。そこで、トヨトミ家が平和を祈願して建立した神鐸に刻まれた祝詞に言いがかりをつけたと」

「言いがかり……?」

「『国家安康』『君臣豊楽』という祝詞は実は、イエヤス(家康)の名前を分断して呪詛し、トヨトミ(豊臣)が『君』つまり主君として楽しむ世が再び来ることを祈った呪文なのだと言い張って、トヨトミ家が籠もる城塞に強引に戦争を仕掛けて攻め落とし、トヨトミ家の一族を滅亡させたのだと……今のイエヤスは、あと十年二十年の寿命さえあればあんな強引な真似はしなかったと、そのことを悔いているとも聞きましたが……」

 今も状況は同じだ、と貴族たちは青ざめた。家康が常々「俺は慎重な男。あと十年あれば、このような強硬手段に訴えずとも森を防衛できるものを。貴族たちに恨みを買いたくはないな」と愚痴っていることを彼らはよく知っている。

家康は忍耐強く慎重な男だ。だが同時に、自分に残された時間がもうないと見るや、突如として居直ってどのような悪辣な真似でもやってのける蛮勇の男なのだ――!


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