第十二話 01

 宮廷丘陵の南麓に、エルフ貴族たちが暮らす「静かの街」があった。邸宅エリアの向かい側には、サロンをはじめとする貴族の社交場エリアが栄えている。元老院貴族の多くがこの「静かの街」に居住し、夜は社交場でアルコール度数の低い酒を酌み交わしながら政治談義に耽っていた。森に籠もって以来十年、人間の勢力に圧倒された彼らにできることはサロンで酩酊して憂さを晴らすことくらいだった。

 エルフは人間と比べると遥かに潔癖で正義感も強い種族だが、十年の逼塞は彼らを頽廃させていた。家康が倹約令を出してエルフ貴族の贅沢を禁止したのもやむを得ないと言える。

「勇者イエヤスを森に呼び入れて以来、森はドワーフの手でどんどん改造され続けている。われわれエルフは、自然と調和した緑とプネウマ溢れる森林都市でなければ生きられないというのに」

「大通り沿いには仕事帰りのドワーフたちが集まるダークエルフどもの商店街まで誕生して、今や街の景観は目を覆いたくなる惨状だ」

「エレオノーラ様の荘園も、日に日に奇怪な改造を施されている。なんともお労しい」

「聖なるブロンケン山を掘り続けたり、鉄砲を鋳造する工場を稼働させたり、大将軍はやりたい放題ですな」

「軍制度改革も新たな税制も倹約令も厳し過ぎますぞ。彼は、元老院が政治を司りエレオノーラ様が防衛長官だった時代の制度を全て変えてしまいました。ドワーフに鉄砲の鋳造まで行わせ、畏れ多くもセラフィナ様に防衛魔術部隊の再編と訓練を命じるとは」

「いつ裏切るかもわからない怪しげなダークエルフに国庫を委ねて、汚職を黙認していることも許しがたい」

「行く先々で不幸をもたらすというクドゥク族に居住地を与えたことも……もしも彼らが蜂起すれば、森は内部から陥落させられます」

「まあ異種族連合策そのものはよいでしょう。われらエルフが単独で人間軍に勝つのは困難ですから。しかし、エルフの扱いが雑過ぎると思いませぬか? このままでは……」

「……人間との争いを終えれば大将軍職を辞職するとイエヤスは誓っていますが、彼は対人間戦を口実に次々と異種族を森に呼び寄せている。いずれ森に暮らすわれらエルフは少数派に追いやられ、イエヤスが独裁政権を完成させてしまうのでは?」

 反家康感情を抱くエルフ貴族たちの中核には、家康の急進的な改革によって要職を失い閑職に回された者が多い。

 家康は「戦時中故、血筋家柄で官職を定めない」と大胆な人事改革を実行し、非エルフ族を次々と要職に据えた。国防長官だったエレオノーラは、今や一兵を指揮する権限も持たない外交官扱いだし、かつて政府の最高機関だった元老院も「戦時中」という期限付きとはいえ家康外様内閣の立案を通すためだけに機能している。

「われらの生活はどうなる。貴族としての体裁を保つためには多額の費用がかかる。それなのに要職を奪われて収入が激減した上、その補償がエルフ貴族を愚弄するかの如きスライム肉の詰め合わせ! なにが『滋養に溢れ、籠城中の飢えを満たしてくれる便利な万能保存食』だ! なんという吝嗇な。あの男はエッダの森を私物化している!」

「苦情を申し立てたら、そなたたちの生活が無駄に贅沢過ぎるのだと倹約令を強化される始末。薄黄色の下着を着けろとは何事か! エルフを愚弄しているではないか!」

「怪しいダークエルフの商人とつるんで国庫の黄金を片っ端から危険な投機に注ぎ込んでいるが、万が一にも投機に失敗すればたちまち財政破綻が来るぞ。イエヤスに借り上げられたエレオノーラ様の荘園まで担保に入れられているという噂も……」

「このままではエルフは誇りと森をともに失いましょうぞ! われらエルフ貴族は今こそ手を携えて団結するべき時です。イエヤスを大将軍職から解任し、セラフィナ様を女王に、エレオノーラ様を宰相に据えて純血エルフによる政権を再建するために――」

「左様。われらは今宵より『王党派』を名乗りましょう!」

「王党派――よいですな。思えばこの十年、王都と王を失った衝撃からわれらはひたすら人間との抗戦を避け、森に籠もって安息を貪っていた。その結果がかかる事態です。イエヤスの台頭を許した今こそ、ようやく目が覚めた思いですぞ。エルフ貴族としての責務を果たさねば」

 だが、問題はいくつもあった。まず家康を信任しているエルフ族最長老のターヴェッティは、彼らといえども粗略には扱えない大賢者である。エルフの伝説を全て暗記しているターヴェッティは「エルフの誇りなど大事の前の小事。そなたたちは浅慮過ぎる。伝説の勇者を信じよ。派閥対立など無益じゃ」と彼らを戒めるに違いなかった。

 さらには、肝心の王女セラフィナがすっかり家康に懐いていて、子犬のように側を離れない。セラフィナが家康のもとを離れるのは、夜、自宅に戻って眠る時くらいである。家康は女性に興味がなく、イヴァンにご執心なのだろうとエルフ貴族たちは思い込んでいた。

「……しかし、たとえ王党派に正義があったとしても、イエヤスを支持しておられるセラフィナ様のご意志に反するのでは?」

「セラフィナ様はお優しいお方故、あの人間に謀られておられるのです」

「王家の姫君でありながら、イエヤスの料理人にされてこき使われているそうですぞ」

「クドゥク族の者と同じ食卓であのスライム肉を食べさせられているとも伺っています。まるで虐待ではありませんか」

「……スライムバーガーとかいう悪趣味なものを立ち食いしていたという目撃情報も……」

「イエヤスはセラフィナ様をそこまで貶めて、『エッダの森の支配者が誰であるか』をわれわれに思い知らせようとしているのです。あの狸め! 卑劣な人間め!」

 存外にセラフィナが家康やイヴァンとの新鮮で自由な暮らしを楽しんでいるなどとは、人間や異種族と深く関わった経験がないエルフ貴族たちには想像もできなかった。とりわけ、あのイヴァンが家康の隣にいつも無言で侍っていることが恐ろしくてたまらない。見た目はあどけない子供であっても、訪れた街に厄災を呼ぶ呪われしクドゥク族の王子、アサシンギルドのリーダーではないか!

「セラフィナ様は、エルフ族を守るためにイエヤスからの屈辱的な仕打ちに耐えているのでしょう。勇者以外に森を守れる者はいないと思い込んでおられるのです。われらがこの十年、弱腰だったために……いわば、全てわれらの責任ですな」

「ですから今こそ蜂起です! プッチ(一揆)を興すのです! イエヤスからエッダの森の統治権を奪回するのです!」

「しかし大義なきプッチは王家への謀叛、大逆罪となるぞ。王位継承権第一位はセラフィナ様であられる。そのセラフィナ様がイエヤスの隣にいる以上、勝手な真似はできぬ」

「それはイエヤスに強制されてのこと! あのイヴァンに見張られているのだから、セラフィナ様は逃げようがない!」

「もっとも、夜はご自宅にお戻りになっておられる。つまり夜に蜂起すればあるいは――」

「――セラフィナ様の身柄を抑え、イエヤスからお守りできるというわけか」

「待て、待て。エレオノーラ様のご同意を得られなければ、プッチは失敗する。われらだけでプッチを強行しても、大義名分は得られんぞ。それでは単なる反乱軍に堕してしまう」

 議論百出。エルフ貴族たちの意見はなかなか纏めらなかった。エルフ貴族はみな自己主張が強いのだ。このため、自らの王国を築いて独裁権を手にし、全てを即断即決する軍人王ヴォルフガング一世に対して、エルフ族は常に後手後手を踏んできたと言っていい。


 サロンに集って「王党派」を名乗りはじめた貴族たちが、「セラフィナ様に反旗は翻せない、だがイエヤスの急進的改革によってエルフ族の文化と伝統と生活と森の自然とがことごとく破壊されるのは耐えられない」と完全に八方塞がりに陥っていたこの日の夜。

 エレオノーラは、彼ら反家康派貴族たちが集結しているサロンへと馬車で移動していた。

 いつもと貴族たちの様子が違うと小耳に挟み、なにか胸騒ぎがしてならなかったのだ。

「今夜はセラフィナ様たちと夕食の時間を一緒に過ごした分、ずいぶん遅くなってしまいましたね。調整役は厄介な仕事ですけれど、軍を率いるよりも妾には似合っていますわ」

 そのエレオノーラが、サロンに到着して馬車から降りると――。

「……エレオノーラ様、やはりこちらにいらっしゃったのですね。先ほど荘園でお渡しするはずだったお届け物です。セラフィナ様からエレオノーラ様への贈り物です――荘園を借り上げたことと、イエヤス様がスライム肉ばかり送りつけることの償いをしたいというメッセージとともに、友情の証としてこの匣を贈呈すると」

褐色のローブを被ったイヴァンが、エレオノーラ宛ての「匣」を抱いてサロンの玄関正面に立っていたのだった。


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