第十一話 05

『前回の使い魔の件は水に流す。陛下も、そう簡単には成功するまいと仰っていた』

 例の蛙の使い魔を庭園に持ち込んだ間者がイヴァンだったことが、これで確定した。

(イエヤス様が一人になる寝室ではなく、庭園に放ったということは、イヴァンはおそらくわざと失敗したのでしょう。セラフィナ様と一緒にいる限り、イエヤス様が黒魔力に感染する可能性は低いですしねぇ。『間者仕事をやっているふり』という奴ですか、ふふふ)

 しかもあの慎重な勇者は、たとえセラフィナの到着が多少遅れてもその間に例の自家製の薬を飲んで、黒魔力の侵食に抵抗しかなりの時間踏みとどまれるだろう。

 エの世界から来た人間には黒魔力耐性はないが、家康の自家製の奇妙な薬は、おそらく対黒魔力抵抗の効能を持つ原料を用いている。そのような薬の原料をファウストゥスは寡聞にして知らないが、もしかしたらスライムかもしれなかった。

 あの猛獣が持つ異様な再生能力は、明らかにプネウマ成分由来。スライムを摂取すると体内のプネウマを強化させるのかもしれない。異様な外見と驚異的な再生能力の不気味さ故に、これまで誰もスライム肉を口にしなかったが、家康は前世でスライムを食べ損ねたことを後悔していたという。

 だとすれば家康はなんとも運の良い男だが、それも健康と長寿にこだわる異様なまでの執拗さがあってこそはじめて掴めた運といえる。

『次の任務の遂行を指示する――イエヤスをエッダの森から追放させるという策だ。全ては戦争を回避して森を無血接収するためだ、わかるな? 俺は、この匣を届けに来た』

『……この封印された匣は、いったい……? 微細な黒魔力を感じます。まさか』

『そうだ、イエヤスは用心深い。もう同じ手は通用すまい。故に陛下は、今回は絡め手で行くと仰っている。この匣を開いた者は、その瞬間にアナテマの術に落ち、術者が予め設定した通りに思考し発言し行動する自動人形となる。渡す相手は……』

ちっ。肝心の「渡す相手」の名前が聞き取れません、とファウストゥスは舌打ちしていた。使者は慎重にも、イヴァンの耳元に小声でターゲットの名を告げたのだ。覆面を被っているので唇も読み取れない。その直後、イヴァンは激しく動揺して大粒の涙を流していた。誰か親しい者をアナテマせよと命じられたのだろう。

『……あのお方を黒魔力に汚染させるのですか? アナテマに感染した者は、白魔術ではもう治癒できません。僕には無理です。できません。お願いです、この任務だけは……』

『白魔術ではな。だが黒魔術なら除染できる。知恵深い陛下はお前がそう言いだすこともお見通しだ。仕事が終わった後、術に落とした相手にこの薬剤を飲ませろ。それで術が解け、正気に戻る。その時にはもう、イエヤスは失脚しエッダの森から追放されている』

『……それでも無理です。イエヤス様は、呪われたクドゥク族の僕を実の息子のように扱ってくださいました。あのお方を二度も裏切れません。どうか、お許しを……!』

『別に俺は構わんが、二度と姉に会えなくなるぞ。それでいいのなら、寛大にもお前の姉を保護してくださっている陛下を裏切るがいい。呪われたクドゥク族の王子よ』

『……ああ……姉上……わかり、ました……陛下の、仰せの通りに……この仕事が終わったら、姉上をお返しください……そして契約通り、クドゥク族に安住の地を……』

『全ては陛下のお心次第。勇者イエヤスを森から追い落とすという大仕事に成功すれば、陛下もお前の願いを聞き遂げてくださるだろう』

 ほう。生き別れの姉は「陛下」のもとに捕らわれていましたか、とファウストゥスは身を乗り出して水晶球に魅入っていた。

「陛下」とは、皇国から「エッダの森接収」を正式に命じられたアンガーミュラー王国のヴォルフガング一世ではないか。

(あの王は「人間主義」を掲げて異種族を弾圧し、とりわけ「暗殺の民」クドゥク族には容赦なく、彼らを流民集団という立場に追いやっていましたが、成る程。それらは全て世間を欺くための「演技」! 実はクドゥク族の王子イヴァンを手駒として操り、各地で様々な謀略仕事を行わせていたというわけですか。さすがにこのからくりには、わたくしも今まで気づきませんでしたよ)

 イヴァンはずいぶんと姉に懐いている。たった一人残された家族なのだ。その姉を人質に取られている以上、決して王には逆らえない。まして、仕事の見返りとしていずれクドゥク族に定住地を与えるという契約まで交わしているのならば。

『いいなイヴァン。姉の返還も定住地への解放も、全て陛下のお心次第。この仕事にしくじれば、お前への陛下の心証は大いに悪化する。絶対に成功させろ。もしも正体が発覚したら、急いで森から脱出しろ。戦って死ぬことは陛下が許可していない。クドゥク族を束ねられる者は王子のお前しかいないのだからな。以上だ』

 覆面の男が窓から飛び降り、闇の中に音もなく姿を消していた。

 室内では、放心してベッドの上に座り込んでしまったイヴァンが小さな顔を掌で覆いながら震えていた。

『……くそっ……ヴォルフガングめ……どうして、クドゥク族はこんな仕打ちを受け続けるんだ……! 姉さんを解放してもらうために、僕は……僕は、王の命令を今度こそ成功させなければ……お許しください、イエヤス様……ううっ……うああああっ……!』

 おお、なんという悲劇!

「やはり、首謀者はヴォルフガング一世でしたか。こんな無垢な子供を人質策でがんじがらめに縛り付けるとは、さすがは騎士らしからぬ策略を駆使して魔王軍を暗黒大陸へ撤退させた男。どこまでも容赦がありませんねえ」

 ファウストゥスは、平民から成り上がった若き人間の王の策士ぶりに一種の感動すら覚えていた。実に手強い好敵手!

「厄介なイエヤス様を森から取り除けば、異種族連合は空中分解。エルフはもう抗戦できない。あの戦の名手ヴォルフガング一世ならば、ほとんど戦闘らしい戦闘をせずに森を接収可能でしょう。まさに智将。王は莫大な戦費を惜しむのか、それとも他に理由が?」

 やはり、対魔王軍のために可能な限り余力を残しておきたいといったところでしょうか。

 ならば、わたくしもヴォルフガング一世に賛成ですね――魔王軍こそがわたくしたちにとっての真の敵なのですから、とファウストゥスは結論した。

「さて。イヴァンはあの黒魔力を帯びた匣を、何者かに与えるしかありますまい。その者はアナテマされ、術に思考を操作されてイエヤス様を森から追放しようと動くわけです。ここで、わたくしはどうするべきか。直ちにわが主君イエヤス様に真相をご報告するか、誰にも知らせずにイヴァンの工作を密かに阻止するか、それとも――」

 それとも、このままなにもせずに情報を握り潰し、謀略が展開するさまをしばらく傍観するか――ですね。

「当然、わたくしが取るべき道は三つめの選択肢でしょう。ああ、他人の秘密を覗き見して情報を握るこの快感。イエヤス様が破滅するか否か、全てはわたくし次第というわけです。そうです、乱世においては情報こそが力。実に震えますねえ。ふ、ふ、ふ……」

 ファウストゥスは、自分が掴んだ情報をすぐさま家康に伝えなかった。それどころか、事態の進行をさらに監視すると決めたのである。

 エッダの森を揺るがす謀略劇がはじまろうとしていた。


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