第十一話 04

「千年洪水が来ていないということは、そろそろ来てもおかしくないではないか。たとえ十万年洪水が発生していなかったとしても、俺は『十万年も来ていないのなら、いい加減そろそろ来るだろう』と疑ってかかる!」

「うげ~。まーたイエヤスの妙な心配性がはじまった~」

「それに、人為的に洪水を起こせないという考えも甘い! 自然に手を入れることを嫌うエルフにはできずとも、自然を自在に加工してのける人間ならば可能かもしれないではないか。たとえば太閤殿下ならば、この森を水没させる大工事を平然とやってのけるだろう」

「ええ~? そんな工事、終わるまで何年かかるかわかんないじゃん?」

「……俺も万が一の洪水による森の水没を防ぐために、どわあふぎるどに大堤防の建築仕事を発注したが、なにぶん広大な河なので堤防の完成には千年かかる。今は憎威たちも地下の工事作業で手一杯だし、来月にも攻めて来る人間軍との戦いには到底間に合わんぞ」

「い、イエヤス様は、少々取り越し苦労気味かと……ドワーフギルドと癒着して無意味な工事を発注し、多額の予算を横流ししていると誤解されていますわよ?」

「失敬な。吝嗇な俺が、無意味な仕事など発注するはずがなかろう。銭は命よりも重いのだぞ」

「やっぱり吝嗇なのではないですか!」

「まあまあ! エレオノーラも一緒に薬園を散策しようよぅ! 私が案内してあげるー! いきなり爆発したり飛んで噛みついてくる薬草もあるけどさ、中にはとっても綺麗な花を咲かせる薬草もあるんだよー?」

 セラフィナは、エレオノーラの手を取ってはしゃいでいた。彼女は残された一ヶ月を賑やかに、悔いのないように過ごしたかった。家康が来て以来、なにもかもが上手くいっている。人間軍を退けることができれば、再び今日のような平和な日々が戻ってくるだろう。

 家康ならば、人間軍との和平も見事にやり遂げてくれるとセラフィナは信じていた。皇国の圧力は厳しいけれど、向こうにはエルフに同情的な騎士バウティスタもいてくれる。

 だいじょうぶ。きっと、上手くいく――。




 その日の深夜。

 洞窟に籠もって黒魔術を用い、あらゆる情報を収集し分析していたファウストゥスは、

「おや。ついに間者の正体を突き止めてしまいましたか。これは面白いことになってきましたよ」

 と、中空に浮かぶ大量の水晶球に囲まれながらほくそ笑んでいた。

 全ての水晶球は、それぞれ使い魔の蜥蜴と一対一で繋がっている。家康。セラフィナ。エレオノーラ。ターヴェッティ。ゾーイ。イヴァン。エッダの森に暮らす主要な要人を、ファウストゥスは蜥蜴を用いて監視させていたのである。

 発覚すれば即座に森から退去させられる危険な綱渡りだったが、ファウストゥスは敵陣営よりも味方の陣営により多くの使い魔を配置していた。必ず「間者」がいると確信していたからでもあり、彼自身の個人的な趣向でもあった。

 無論、遠距離よりも近距離に配置した使い魔のほうがより精度の高い情報を届けてくれるという技術的な理由もある。使い魔との距離があまりにも遠過ぎると、映像や音声にノイズが入るのだ。

 枢機卿やヴォルフガング一世レベルの皇国や王国の要人に至っては、物理的にも魔術的にも常に守りを固めているので、容易に使い魔の侵入を許さない。使い魔の能力をさらに向上させねば、枢機卿や王を直接監視することは難しいだろう。それにそのような難易度の高い仕事は、自らの意思と体術を駆使して如何なる建物にも潜入し、能動的に様々な工作が可能なクドゥク族のほうが向いている。

 ただし、ファウストゥスが既に「仲間」として入り込んだエッダの森は別である。彼を怪しむ者はいても、まさか自分たちが監視されているとは思っていない。

(全くエルフは不用心だ。商人たちや野営中の人間軍から情報を盗むよりもずっと容易いですよ)

 この夜、ファウストゥスが目を留めた水晶球の中に映し出されていた映像は――。

 家康が寝室に入ったことを確認したイヴァンが、隣接する自分の寝室に入った瞬間を捕らえたものだった。ファウストゥスは、そのイヴァンの寝室に覆面を被った未知の男が入り込んでいることに気づき、指を空中で横に振って、水晶球から音声を流させた。

『イヴァンよ、すっかりイエヤスたちに溶け込んでいるな。無愛想なお前がエルフに馴染めるかが気がかりだったが、よくも猫を被り通していられるものだ』

 ふむ。聞き覚えのない声。決して表に出てこない隠密ということですか、とファウストゥスは口元だけで笑った。やはり他人の秘密ほど素敵なものはない。

『……ぼ、僕には、そんなつもりは……僕は……その……』

 イヴァンは目に涙を浮かべて怯えていた。先刻まで、イエヤスたちと楽しく夕食を取って歓談していたのだ。まるで本物の家族のように。突然残酷な現実に引き戻されて打ちひしがれているのだろう。

 わたくしが間者でないことは、わたくし自身が知っている。ならば庭園にあの使い魔を配置した間者はイヴァンしかおりますまい、とファウストゥスにはわかっていた。だが、敢えて泳がせていたのだ。使い魔に家康を襲わせる策を阻止された以上、必ず「首謀者」陣営の者が次の策を命じるためにイヴァンに接触してくるはず。

その時を、この狡猾な男はじっと待っていたのだ。


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