第十一話 02

 夜になると、家康は屋敷に戻ってセラフィナとイヴァンと三人で質素な食事を取る。

「さぁさぁ。夕方にスライムバーガーいっぱい食べたからぁ、今夜は野菜スープがメインディッシュだよ~! プルヨたっぷりのエルフ族の種族料理、お母さんの味って奴!」

「こ、このプルヨって、ほんとうに食べてもだいじょうぶなんですかセラフィナ様。ぼ、僕たちクドゥク族は昔から苦手にしてるんですが……」

「ネギの一種だが、日本のネギの十倍はでかいからな。射番が警戒するのも無理はない」

「えへん! 私は毒成分探知能力に長けてるから問題ないっ! 人間にもクドゥク族にも安心安全の食材しか使っていませんっ! さあさあ、野山で摘んできたキノコ十種盛りサラダもどうぞ!」

「……さすがにキノコ十種盛りは危険過ぎるだろう世良鮒よ。お前がまず毒味するのだ」

「問題ないって言ってるのにぃ~。ひょいぱく……グエーッ、痺れるぅううう~? キノコ鑑定を間違えたああああ! 舌が痺れて呪文をうみゃく唱へられなひ~! イエヤスゥ、解毒剤をちょうだひっ!」

「紫雪はやらんぞ。金貨百枚を煮込んで造った高価な薬なのだ。万病円をやろう」

「ぐえーっ! ひーどーひー!」

「せ、セラフィナ様。しっかりしてください。紫雪はまだ試作段階でして……どうぞ、万病円です」

「ありがとーイヴァンちゃんっ! 持つべきものは弟だよねえ、よよよよよ……」

 さんざん三人で騒ぎながら、ひとしきり食事と入浴を終えた後。

 イエヤスは隣室のイヴァンに屋敷監視の役目を託してから一人で寝室に入って、ベッドの上でこの世界の歴史書に目を通しつつ、「今日も健康に一歩近づいた」と満足して熟睡する。

「万一の際の治癒係」として日中は家康に侍ることの多いセラフィナは、夕食を取り終えて就寝時間が迫ると、自宅に戻ることになる。

 セラフィナを心配するエレオノーラに「妾の荘園を犠牲にしたのですから当然ですわ!」と激しく迫られ、「世良鮒は治癒役として必須だが、えるふ貴族の間で妙な噂を立てられては俺も困るな」と家康も渋々折れたのだった。

「ぐえ~。いちいち寝るためにお家に帰るなんて面倒臭い~。イエヤスは小心にも程があるよぅ! また黒魔術に感染したらどーすんのさ~」とセラフィナは日が暮れて家康邸を追い出されるたびにお冠なのだが、「貴族たちは、俺の急進的な改革に不満を溜めているのでな。本来の俺はゆっくりと事を運ぶ男だが、なにぶん今回は時間が足りんのだ」と家康はあくまでも慎重なのだった。




 着々と、対人間軍戦に備えた家康の改革事業が進む中。

 家康がバウティスタから勝ち取った半年の猶予期限切れまで、残り一ヶ月となった。

 宮廷の一室で政務を執っていた家康のもとに、バウティスタから書状が届いた。森を追われたエルフ族には不毛の砂漠の地しか用意できなかったという。彼女は「力及ばず申し訳ない」と何度も書状内で家康に謝っていた。

「ふむ。えるふは、いよいよ大坂城に籠もる豊臣家同様の立場となったか。職にあぶれた浪人衆を大量に召し抱えているところまで同じだな」

 しかし浪人の寄せ集めだった豊臣家の大坂城と違い、エッダの森は歴戦の武人たるこの俺が大将軍として率いている、そこが違うと家康は思ったがわざわざ口にはしない。大坂の陣でも一瞬慢心した結果、決死隊を率いて来た真田幸村に危うく首を獲られかけたのだ。

「落ちない城はないと、いつかイエヤス様は仰いましたわよね。どういたしましょう?」

 書状を家康に届けたエレオノーラが当惑する。

「阿呆滓よ。人間陣営とて、魔王軍との決戦の前に無駄に消耗したくはないだろう。籠城戦を耐え抜けば、いずれは暴痴州殿を通して和平を結ぶ機会が訪れるはずだ」

「ヴォルフガング一世の心が和平に傾けば、道は開けるということですわね?」

「うむ。王とて、何年もえっだの森を包囲している訳にもいかんだろうからな」

 ただ王の戦歴を調べれば調べるほど、戦上手で手強い武将という印象が強まっていた。「王は、俺が得意とする野戦決戦には容易に応じない上に、兵力の消耗を避けながらの攻城戦を得意としている。大規模な包囲網を敷いての兵糧攻めに、巧妙精緻な水攻めなどだ」

「ええ。ヴォルフガング一世は、正々堂々の決戦を美徳とするこの世界の騎士道精神に背く邪道戦術を好んで用いるのですわ。他の人間の武人とはまるで異なります」

「さすがは平民から武功だけで王にまで成り上がった戦争の天才だな。太閤殿下を思い起こす……この世界でいまだ戦争を経験していない俺にとっては、実に厄介な相手だ」


「いよいよ軍が攻めてくるとなると、薬を補充しておかんとな。工場も建てたし、民に配布する分は確保できそうだ。だが、俺が自前で持っておく分が不足している」

 宮廷での政務を終えた家康は、エレオノーラに貴族懐柔の日課を任せると、セラフィナとイヴァンを呼んで薬園を訪れ、万病円や八味地黄丸の原料に使う薬草を慌てて採取した。万病円が不足すれば、三方ヶ原のような生き恥をまた晒すことに!

 駿府時代にも、自家製漢方薬の原料を栽培するために敷地面積四千坪の広大な薬草園「駿府御薬園」を築いた家康だったが、この薬園はさらに広い。

「ねえねえ。エレオノーラから荘園を借り上げた謝礼が干しスライム肉一年分だなんてケチ臭過ぎるでしょイエヤス。ファウストゥスに国庫を預けて相場で荒稼ぎしてるんでしょ? エレオノーラ、すっごくお冠なんだよー。あの子はお金にはこだわらないけれど、大切な花畑の半ばをスライム牧場と薬園に改装されちゃったんだからさー」

「阿呆滓の機嫌を取るのは世良鮒、幼馴染みのお前の役目だろう。俺は今、自分の身の安全と健康の追求で手一杯なのだ」

「え~? もうミソのことをあれこれ言わないからさぁ~。イエヤスも手伝ってよぅ」

「それよりこの世界には俺が知らなかった未知の薬草がまだまだある。それらを片っ端から薬園に集めて栽培すれば、さらに完璧な薬を調合できるだろう――射番、このプオルッカの赤い実は、苦いが山茱萸の代替に使える。いくつか摘んでおいてくれ」

「……はい、イエヤス様」

「そうそう。突然実が爆発することがあるから、摘む際には用心しろよ。全くこの世界には変な植物が多いな」

「心得ています。そういう罠を避けるのは、クドゥク族が得意とするところですから」

「射番。人間軍が来れば、こういう時間も過ごせなくなる。一日でも長生きできるよう、長寿の秘訣を今のうちにいろいろ教えてやろう。姉君との再会を果たすためにもっとも重要なこと、それは生きることだ。わかるな?」

「……はい。あ、ありがとうございます……」

「ちょっとー! イヴァンばっかり相手にしてー! やっぱり小姓趣味? 小姓趣味なの? でもイヴァンはかわいいもんねー、しょうがないかあー。ねえねえイヴァン、私のことをセラフィナお姉ちゃんと呼んで甘えてもいいのよー? 実のお姉さんと再会できるまでは、私がイヴァンのお姉ちゃんになってあげちゃう!」

「……あのう……僕とセラフィナ様は同い年なので……クドゥク族は幼形成熟する種族ですから……僕は未成熟ですけど」

「いいのいいの! だってほら、私も年齢より幼く見られるしっ! 若さとは実年齢じゃないよ魂だよ!」

「それはお前が子供っぽいというだけなのではないか、世良鮒」

「うっさいわねイエヤス! ほ~らイヴァンちゃん。じっくり炙った干しスライム肉で固めに炊いたケラケラを巻いたエルフ謹製焼きおにぎりだよ~。お姉ちゃんが食べさせてあげますからねえ~。おやつの時間でちゅよ~」

「……うう……どうしてセラフィナ様は王女様なのに、こんなに無遠慮に距離を詰めてくるんでしょうか……」

「気にしたら負けだ射番。おにぎりの再現度は高くなってきたが、『盾の魔術』の修行は進んでいるのか世良鮒? また、『ぷねうまが薄くて壁が張れない』などと土壇場で言われては困るぞ」

「問題ないですよーだ! 長老様にお願いして宇宙トネリコの思いっきり上等な枝から新しい杖も作って頂いたし、そもそもこのエッダの森はプネウマが強いですから!」

「全部他力本願ではないか。お前自身がなにかしら努力した感じがしないのだが?」

「そんなことありませんよーだ! 防衛魔術部隊を再編成して、森全体を壁で覆い尽くす訓練を進めてますよーだ! 持続時間も壁の硬度もどんどんあがってるもん。そもそも私の魔力は『治癒の魔術』に特化していて、『盾の魔術』は杖の補助ありきのオマケなんだから、あんまり無茶な要求しないでよね!」

「……あむ……おにぎり美味しいです、セラフィナ様。イエヤス様の世界では、皆さんこんな美味しいものを食べていたんですね」

「開発中の代用味噌が完成すれば、十倍美味しくなる。世良鮒が、茶黒い味噌を調合したがらないので開発が進まないのだ。なぜ白味噌を調合したがる? 味噌は茶黒く苦くなければ駄目だといつも言っているだろう。いいか、三河名物八丁味噌の神髄とは――」

「茶黒いミソは動物のウ●コみたいなのでイヤなのー! 口に入れるのを躊躇っちゃうっ! つーか、前世でなにかおかしいとは思わなかったの? ドロドロネバネバで茶黒くてぷんぷん臭う自称食糧なんてさー、あらゆる意味で食べ物じゃないっしょー!」

「世良鮒! 俺を小心吝嗇とおちょくるのは構わんが、八丁味噌だけはおちょくるな! 三方ヶ原での屈辱を思いだして胃が痛くなるのだ!」

「……ミカタガハラとはなんですかイエヤス様?」

「うむ。かつて日本最強の騎馬軍団を率いる武田信玄公に三方ヶ原で決戦を挑んだ俺は、見るも無惨な大敗北を喫して命からがら浜松城に逃げ帰ったのだ。その時、恐怖のあまり尻から焼き味噌がはみ出していてな……家臣たちに『殿が糞を漏らした』と爆笑されたが、何度でも言う、あれは焼き味噌だ(大嘘)! よいか射番、戦闘中に空腹が襲えば即、死を招く。戦場に栄養豊富な完全食・焼き味噌を携帯するのは武士の常識……!」

「わーっイヴァン、ミカタガハラの話をイエヤスにさせちゃダメー! いやああああ! 明らかにそれ、ミソじゃないっしょ! っていうかミソでも汚いわ! ねえイエヤスぅ、開発するならやっぱり白ミソでいいじゃん? 私、ダメ。ほんと我慢できない。エルフは潔癖症なんだからさぁ~」

「……はあ……イエヤス様が胃薬にこだわる理由がわかった気がします……くすっ」

「ひゃあ? イヴァンちゃんが笑ったあっ? か、かわいいっ! まるで森の妖精だわ! 決めた、この子をイエヤスの毒牙にかけさせない! ねえねえ、今夜はお姉ちゃんが添い寝してあげようかー?」

「……お、同い年ですから。え、遠慮します」

「つれないんだからあー。でもそんなイヴァンちゃんがとってもかわいい! 私ね、こんな弟が欲しかったんだー!」

 セラフィナは残された一ヶ月、平和な時間を満喫したいのだ。まもなく森は戦場になるのだから――家康は(決してセラフィナに二度目の落城の悲劇は経験させぬ。千姫に不幸な思いをさせた分、この娘には)と薬草を駕籠へ集めながら気を引き締めていた。

 だが、油断大敵。

いきなり薬園の路上に「ぼこっ」と土が盛り上がり、中から泥まみれのゾーイが顔を出してきた。「ギャーびっくりしたあ! モグラかよ!」とセラフィナが突っ込みながらイエヤスにしがみつく。


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