第十話 02

 ヴォルフガングが聖都の別宅に帰還したのは、この日の深夜だった。

 王都に建てた広大な王宮とは対象的に、聖都のヴォルフガング別邸は手狭だ。家族として留守を守っている妹と王自身の二人で暮らすことを前提に設計されている。使用人の数も存外に少ない。

 諸侯別邸エリアに密集する聖職者及び諸侯の別邸は、決して要塞化できないよう、建築基準を設けられているのだ。ただし、要人が集まる地域だけにセキュリティは厳重である。

 全体を高い壁に覆われた諸侯別邸エリアには関門がひとつだけ設けられていて、ここで入念なチェックを受けた関係者以外は容易に立ち入れない。

「フハハハハ! わが妹よ、アーデルハイドよ! 兄が戻って来たぞ! 半年ぶりの再会だな! 王都からの贈り物は届いているか?」

「……ようこそ、お兄様。美しい花束とたくさんの縫いぐるみを毎日送ってくださってありがとうございます。故郷の花を久しぶりに観ることができて、感無量です」

 この十年、元平民の王という際どい立場を保持し続けるために東奔西走してきたヴォルフガングにとって、別宅で妹と過ごす時間だけが癒やしだった。

 アーデルハイドは公称十二歳。誕生日は不明である。名もない田舎村の平民に戸籍などはない。どこか巫女のような清廉な雰囲気を讃えている、愁いを帯びた瞳が印象的な少女だった。

 彼女は兄に引き取られて以来、「成り上がりの俺には政敵が多い、外の世界は危険だ。俺が絶対的な権力を握るまでしばし耐えてくれ」という理由でこの屋敷から出たことがない。まだ幼いという理由で社交界にもデビューしていない。しかも王が異常に用心深いため、別邸で働く数少ない使用人も数ヶ月毎に総入れ替えされてしまうので、屋敷内に友人も知人もいない寂しい境遇にあった。兄以外の誰も訪れないその部屋は、兄が送りつけてくる大量の縫いぐるみで溢れている。

「今回は、スライムの縫いぐるみを大量に手に入れたぞ! 余がデザインし、王都の御用商人に売り出させた新製品だ! アーデルハイド、なかなかキモかわいいとは思わぬか?」

「……え、ええ……まあ……う、うふふ……お兄様の美的感覚は、ど、独特ですのね」

「内部にゲル状の新素材を注入することで、独特のぷにぷにした触り心地を忠実に再現したのだぞ! 握っているだけで癒やされるぞ、フハハハ!」

「……う、うふふ……そ、そうですね……見た目がもう少しかわいければ……あはは……」

 ヴォルフガングが妹のために「閃いたぞ! 今回はあれをモデルにせよ!」と命じて御用商人に造らせる縫いぐるみは、絶妙にキモくてブサイクだが全然かわいくないという、実に残念な縫いぐるみばかりであった。当然売れ残るので、王のもとに大量に献上されてくる。鈍感な王はそれを妹のもとにせっせと送りつけるので、アーデルハイドの部屋は売れ残った縫いぐるみたちの哀愁が漂う百鬼夜行の如き状態となっていた。

 ほとんど有り難迷惑なのだが、それでも兄の愛情を感じられるアーデルハイドにとってはどれも宝物である。

 ただし、アーデルハイドにはごく限られた親しい相手に手紙を送る自由だけは許されていた。「直接会わなければ危険はなかろう」とヴォルフガングも黙認しているのだ。

「おお。しばし抱きしめさせてくれ、妹よ! 実はバウティスタに頬を張り飛ばされてしまってな。あれは歳を重ねても相変わらず気が強い奴だ! フハハハハ!」

「まあ。お兄様がいつもの調子で口を滑らせたのではなくて?」

「フハハハハ! そうかもしれんなぁ~! 自覚はないがな!」

 田舎村出身の元平民ヴォルフガングは、当初は家族を戦乱で失ったと称していた。

 だが終戦後、幼い妹アーデルハイドが見つかったのである。凱旋将軍となったヴォルフガングが終戦で手が空いた諜報部隊を動かして、行方知れずだった家族を懸命に捜索したのだという。

 だが、ヴォルフガングが幼い妹をバウティスタにお披露目する機会は訪れなかった。

 新王に即位すると同時に、王としての義務を果たすべく、聖都別邸にアーデルハイドを人質として住まわせねばならなくなったからだ。

「フハハハハ! 愛しい妹とともに王都で暮らすこともできんとは、全く不便な身分よ! 王になどなるべきではなかったな! バウティスタに王位を譲りたいところだが、あれは正直者過ぎて為政者には向いておらんのでなぁ~! すぐに謀叛を起こされるわ」

「くす。お兄様、今日はずいぶんとお悩みのようですわね。なにが胸につかえているのでしょう? よろしければ、打ち明けてくださりませんか?」

「……フ。相変わらずお前に隠し事はできんな。実は来月エッダの森を攻めることになった。今まではバウティスタの手前大目に見ていたが、異教徒の勇者が籠もっている……」

「わかります。お優しいお兄様は、心を痛めておられるのですね。幼馴染みのバウティスタ様の願いを無視してかつての同志だったエルフ族を攻めること、異世界から選ばれし勇者を異教徒と断じて倒すこと……どれも、お兄様のご本意ではないのですね?」

「それは少し違うな。親父殿の志に反していることは確かに後ろめたい! だがな、バウティスタには気の毒だが、異世界から来た勇者は不用なのだ! 俺たち兄妹の未来を掴むためにはな!」

「お兄様。私はこのままの境遇で充分に幸せです。お兄様さえ生きていてくだされば」

「そうはいかん! お前を日の当たる社交界にデビューさせて良縁を見つけるまでは、俺は死んでも死に切れん! それが兄としての責務である! 故に、俺は勇者に取って代わらねばならんのだ! この俺が、この智謀と才覚をもって魔王軍を滅ぼすのだ!」

「でも、バウティスタ様との距離がますます遠ざかってしまいますよ?」

「あいつとは、なんだかんだ言って苦楽を外門敷いた幼馴染みだ。あれは時々怒ったり泣いたりするが、余を裏切ったり見限ったりはするまい」

「家族同然にバウティスタ様を信じておられますのね。くすっ。早くバウティスタ様と結婚なさればよろしいのに」

「ばっ……バカなことを言うな! 社交デビューすらままならぬ妹よりも先に結婚する兄がいるか! 断じて、お前のほうが先でなければならんっ! だいいちあれは妹分だぞ、親父殿の娘さんだ。俺が言い寄ったりできるか! それこそ殴られ蹴り飛ばされる!」

「んもう。お兄様ってば、思い込みが激しい人なんですから」

ソファーに横たわったヴォルフガングは、物静かな妹が淹れる茶を一服しながら、「生き返る思いだ」と傍らに座っている妹の頭をそっと撫でていた。

「お兄様のお優しいお気持ちが、温かいプネウマとなってこの心臓に流れ込んできます。お優しい王として生きられる時が来ることを、いつも祈っています」

「……フン。戦時中に王が腑抜けては国が滅ぶ。エッダの森は奪うぞ。だが、俺は軍を動かさずに策を用いて森を奪い取るつもりだ。一兵も損じることなく目的を達成してやる」

「策……ですか、お兄様。やはり、勇者様を害されるのですか?」

「うむ! だが殺すのではないぞ。奴を生きながら無力化して、勇者としての株をとことん下げさせる策を用いてやる! 勇者などただの伝説に過ぎんということを異種族たちに知らしめるには、殺すよりもとことん生き恥を晒させてやったほうが効果的よ!」

「まあ。暗殺ではないのですね? その点は安心しました。でも、果たしてお兄様得意の策略が通じるお方でしょうか? エの世界を統一した真の勇者様なのでしょう?」

「フハハハ、奴は確かに手強い! 既に第一の策は破られた! だが、奴が甘い相手ではないことはわかっていた! あのバウティスタを、不殺を貫きながら倒した男だからな!」

「まあ。もう手を打っていましたの? しかも失敗? お兄様の策が破られるなんて……それでは、諦めますか?」

「いや。これから繰り出す第二の策は成功する。俺が軍勢を森へ進軍させるよりも早く、勇者をエッダの森から追い落とす! 異種族連合など同床異夢だと森の連中も知るだろう」

「お、お兄様。どうか、残虐な真似はおやめくださいね? くれぐれも、お願いします」

「わかっている、慎重にことを進める。俺はな、アーデルハイド。時間が惜しいのだ。黒魔力を消耗した魔王は今回もあと二十年は眠ると信じられているが、それこそ信ずるに値せん甘い観測だ。あの怪物は、今日明日にでも目覚めるかもしれんではないか?」

「……はい。エの世界から勇者様が召喚されたことがきっかけとなって、この十年膠着していた状況が一気に進展する。そんな予感がします……」

 アーデルハイドはこの別邸から外出することができないが、どういうわけか勘が良い。ヴォルフガングも、妹のこういう予知能力にも似た奇妙な「直感」を頼りにしている。

「うむ、お前がそう言うのなら第三次厄災戦争は目前まで近づいているということ! だがアーデルハイド、お前は俺が守り抜いてみせる。俺は一兵も動かすことなくイエヤスを追い落とし、大陸の覇権をこの手に握る――! 俺が魔王軍を討ち滅ぼした時こそ、俺は真の英雄になれる!」

 誰にももう、平民だのなんだのと陰口は叩かせん。お前が堂々と日の光の下を歩ける時が必ず来る、いや俺が実現させるとヴォルフガングは妹の手を握りしめながら「約束」を誓っていた。

「私などのためにご無理をなさらないでね、お兄様。この大陸に平和をもたらすために、王権をお使いになって。それが、王としての……」

「王位など、いつでもバウティスタにくれてやっていい! 俺はな、アーデルハイド。社交界の表舞台に立てないお前の未来を切り開くために戦っているのだ! そのためならば俺は悪鬼にでも修羅にでもなってみせるわ、フハハハハハハ!」

 もう何度、お兄様はこの言葉を私に誓ったのかしら、私のためにお兄様はどれほどご無理をなされているのかしら。アーデルハイドは哀しげに瞼を閉じていた。

 しかし、ヴォルフガングはいよいよ鋭気りんりん。彼の苛烈にして電撃的な意欲は、幸薄い妹を幸福にしたいという一心から無限の如く湧き上がってくるのである。

「お前の社交界デビューを実現した暁には、お前に相応しき夫を必ず見つけてみせるからな! もっとも、俺よりも優れた男など大陸にはいないのだがな、ハハハハ! 実の兄と妹が結婚できるはずもないし、さりとて俺に匹敵する英雄も不在! 実に困ったものだ! バウティスタが男だったらよかったのだがなぁ~」

「お、女の子同士で結婚なんて、そんな。いけませんよ? そもそもバウティスタ様はお兄様の妻になるべきお方かと……」

「お、俺とあいつとはそのような関係ではないぞ!? や、やめよアーデルハイド! その、わかっていますよと言いたげな目つきはよせっ!」

「くす。わかっていますよ、お兄様。いつかきっと、バウティスタ様とお会いしたいです」


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る