第九話 05

 ただ、ファウストゥスが寝返るにしては少々時期が早すぎる。これほどの策士ならば、もっと家康という勇者の価値を高め、肥え太らせてから土壇場で寝返るはずだ。つまり、家康の参謀を務める自分の価値がもっとも高まった瞬間に。

 ただ、家康を警戒する人間陣営がファウストゥスを引き抜くためにいち早く法外な報酬を提案した可能性もある。あるいは、最初から人間族の間者である可能性も。

「桐子よ。俺は、かつて太閤殿下と小牧長久手で戦い勝利したにもかかわらず、総大将の織田信雄や宿老の石川数正を次々と引き抜かれて、政治的に敗北した苦い経験がある。関ヶ原や大坂の陣で、俺はその太閤殿下の手法を模倣し、調略を用いて勝ったのだ」

「つまり、戦争を強行してエッダの森を武力占拠するよりも、あなたお一人を黒魔術で操ったほうが勝率が高い。そう計算した黒幕がこの事件の背後にいるとお考えで?」

「そういうことだ。実行犯が誰かなどは、些細な問題よ。世良鮒の屋敷は不用心だからな、第三者が使い魔を潜ませた可能性も大きい。それよりも知りたいのは黒幕の正体だ」

「血眼になって実行犯を捜そうとすればわれらの和は乱れ、たちまち疑心暗鬼に。故に、敢えて不問に付すというわけですな」

「うむ。仮に俺の配下に間者が紛れ込んでいるとしても、その者を雇い入れた俺の責任だ。今は、多少の毒であろうとも配下に加えねば俺もエルフも生き延びられん。間者ですら心服させねば、勇者を名乗る資格などはない」

「ならば、このわたくしが間者だったとしても心服させてみせると? ふ、ふ、ふ。あなたは慎重なのか豪胆なのか、なんとも読めませんねえ」

「うんうん。イエヤスは異種族全てに寛容なんだよー! さっすがエの世界の天下人だねっ! そ、そういうわけでぇ、そろそろ厨房で金貨を煮込まない? 黄金スープぅ!」

「待て世良鮒。お前の屋敷が危機管理能力に欠けていることだけははっきりした。ここにいては危険だ、俺は急いでもっと安全な土地に移るぞ。そこに、黒魔力を感知して使い魔の侵入を絶対に許さない堅牢な屋敷を建造する! どこかにいい土地はないか?」

「げえっ? 私だけダメだしされた? ひっど~い! 治療してあげたじゃーん! あーでも、エレオノーラの荘園のほうがずっと広いし、うちには一人もいない警備員も大勢雇ってるし、あそこにドワーフたちを呼んで頑丈な屋敷を建てさせれば安全かも……」

「そうか。阿呆滓の荘園か。俺としたことが、見落としていた。迂闊であった」

「ヒエッ? イエヤスの目つきが変わった? なんでもない、なんでもなーい! 今の言葉は忘れてイエヤスぅ! ダメー! エレオノーラの荘園を荒らさないでー! あの子、この森に入ってから十年をかけて美しい花壇を一生懸命育ててきたんだからー!」

 かくして、お人善しのセラフィナが口を滑らせたばかりに、エレオノーラの荘園は慎重過ぎる勇者家康に「そのような最高の立地があったとは! 直ちに阿呆滓の荘園を接収して新たな屋敷を建て、その周囲にスライム牧場と漢方薬の原料を育てる薬園を開く! 花壇が邪魔になる? ならば撤去だ! 俺の命を守るために必要な処置だ、やむを得ん!」と目を付けられ、強制的に接収される羽目となったのである。

しかも荘園を借り上げる期限は「魔王軍を倒す」まで――。

「阿呆滓は今、街に出ていて不在だ。ちょうどいい、今すぐ乗り込んで有無を言わせず接収するぞ」

「……い、いいんでしょうか? 僕は如何なるご命令であれイエヤス様に従いますが……」

「構わないでしょう。今宵は除染に間に合いましたが、もしも黒魔力に完全に侵されれば白魔術による除染は不可能。一貴族の荘園を犠牲にイエヤス様を守れるのならば安いもの。『悪は急げ』と申します」

「ちょっとーっ? いやーっ、やめてーっ! エレオノーラと私の友情が、友情が壊れるううううう~! うわーん、イヴァンとファウストゥスの仲は取り持ったくせにーっ!」


 エレオノーラが所有するアフォカス家の荘園は、エッダの森に複数存在する丘陵荘園の中でも最大の規模を誇っている。

 さんざん貴族たちの懐柔に奔走しているうちに、家康に荘園を半分占拠されてしまったことを知らないエレオノーラは、ギルド仲間たちを引き連れて「構うこたぁねえ。花は全部根っこから引き抜いて更地にしちまえー! 突貫工事すんぞオラオラオラ~!」と喜々として荘園を破壊しまくっているゾーイの姿を見つけるや否や、失神しそうになった。

「ななななんですのこれは? 最悪ですわ! 妾の花壇の半ばが、スライム牧場にされてしまうだなんてっ? あなた、誰の許可を得ましたのっ?」

「へっへ~。イエヤスの旦那の仕事だ! 王女サンの屋敷にいつまでもイエヤスの旦那を住ませておいていいのかい? 異種族とはいえ若い男女がひとつ屋根の下。オレの親父とおっかさんのように間違いが起きたらどうなる?」

「……ううっ……それを言われると、妾は反対できませんわ……でも、せめて抜かれた花たちを別の場所に移させて頂けませんことっ?」

「あー。スライムの餌にするから無理だなー。牧場で数を増やさなきゃなんねーんでさ」

「餌っ? 妾が愛でてきた花たちの末路が、餌っ? 妾への慈悲はありませんのっ?」

「オレは花なんて綺麗なだけでなんの役に立つんだと思ってたんだけどよ。イエヤスの旦那によれば、この世界の花弁には意外と栄養あるんだってよー。はっはっはー!」

「……あ、悪夢ですわ……アフォカス家に残された最後の荘園が、スライム牧場に……」

 家康とセラフィナたちが、がっくりと膝を突いてうなだれるエレオノーラを励ます。

「ご、ごめんね~エレオノーラぁ~。うっかり私が、イエヤスが住む土地ならエレオノーラの荘園がぴったりだって口を滑らせちゃったら、イエヤスがゾーイとつるんで暴走しちゃってぇ~。なんだか知らないけど、イエヤスって土木工事マニアらしいんだよねー」

「うむ、阿呆滓から借りた荘園は必ず有効に活用してみせる。江戸を日本一の都にするために、洪水を防ぎ水運を活性化するべく利根川の付け替え工事をやった男だからな俺は」

「おお~。イエヤスにもそんな独創性があるんだねー!」

「無論、甲斐の国を豊かにするために信玄堤を築いた、武田信玄公の治水工事の真似だ」

「え~、そうなの~? どこまでも人真似なんだからぁ~。ごめんねエレオノーラ~」

「せ、セラフィナ様の責任ではありませんわ。ここまで工事が進んでしまっては仕方ありませんわね……さっさとセラフィナ様の屋敷から引っ越してくださいまし、イエヤス様!」

「済まぬな阿呆滓。謝礼はたっぷりと、牧場で採れたスライム肉で支払う。ただ、ゾーイへ支払う仕事代がかさんでいてな。す、少し割り引いてほしいのだが……」

「スライム肉など要りませんわっ! エルフ貴族が常食するものではありませんわよっ!?」

「でもでも。見た目はあれだけどぉ、けっこう美味しいんだよ~エレオノーラぁ~。塩とコショウだけでもなかなかイケるんだ~。干し肉にすれば日持ちするしぃ。じゅりりっ」

「せ、セラフィナ様!? あなたはイエヤス様に餌付けされていますわ! 王女たる者が、スライム肉を好物にするだなんて? なんたること! 決めましたわ! 今宵より新邸で寝てくださいましイエヤス様! 屋根も壁もなくても、問答無用ですわ!」

「いや待て、それはもはや家でもなんでもなかろう阿呆滓よ。さすがに物騒過ぎる」

「……ぼ、僕がなんとかしますイエヤス様。野営暮らしには慣れていますし、深夜の護衛役もお任せください。決して使い魔を寄せ付けません」

「おお。頼りにしておるぞ、射番」

「んじゃ、突貫工事で寝室だけでも一夜で形にすんよー。オレたちドワーフに任せろー!」

「やれやれ。わたくしの金貨をお渡しするのは、せめて屋敷に屋根と壁ができてからにしてくださいよイエヤス様。むざむざ泥棒に盗まれてしまっては、わたくし、衝撃のあまり死んでしまいます」

「桐子よ、俺もそんな目に遭ったら胃が破れて死ぬ。その時は守銭奴同士で一蓮托生よ」

「そうでしたね。なにしろ銭は命よりも重いですからねえイエヤス様。ふ、ふ、ふ」

「いや異世界に友ができて俺も心強い。金の切れ目が縁の切れ目だがな、はっはっは!」

「どういう意気投合ぶりですの? なんなんですの、あなたたちは……はぁ……」


 こうして家康はエレオノーラの荘園を接収し、ゾーイに命じて丘陵の中央に自らの屋敷を建てさせ、その周囲にスライム牧場と薬園を開いて自らの屋敷を完全包囲してしまった。


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