第九話 04

「待てよ? この生き物は漢方薬に使えるかもしれん! だが毒を持っている可能性も。しかし、俺は健康のためならば命も賭す男! 安全を期しつつ捕獲してみるか」

 と、目の前の蛙に心を奪われたのだ。慎重に、しかし健康への鍵を見つけると抑えきれなくなる好奇心を剥き出しにしながら、家康は黒い単眼の蛙へとゆっくり近づいていった。

 しかし、ゆっくりと移動したことが、家康にとってはかえって不運となった。

「ゲロオオ!」

 びゅっ、と黒蛙の単眼から液体が放出され、家康の目に命中していた。

 すかさず瞼を閉じたが、僅かに液体が眼球へ染み込んだ。

「しまった! 相手が小動物故に油断があった、不覚! まさか目から毒を飛ばすとは!?」

 腰を抜かして倒れ込んだ家康は顔を覆いながら、「世良鮒! 目に毒が入った、助けろ!」と叫んでいた。やはり毒だ。早くも全身が痺れはじめる。幸いにも眼球に損傷はないが、致死性の毒かもしれない。いや、きっとそうに違いない!

 セラフィナが「一人だけ逃げようったってそうはいかないんだからっ!」と家康を庭園まで追いかけてきたことが幸いした。

「い、イエヤスっ? だだだだいじょうぶっ? まーた健康のために命を賭けてとうとう敗れたのっ? うちの庭園に害獣はいないはずなのに……なによぅ、この黒い単眼蛙はっ? こんなヘンな生き物、エッダの森にはいないよ~?」

「……いいから『治癒の魔術』を頼む……紫雪が完成する目処がついて油断した……ううむ、身体が痺れる……立ち上がれない……俺が死んだら、西国の毛利と島津へ向けて俺の遺体を埋葬してくれ……神剣ソハヤノツルキとともに……あと、俺が倒れた後の異種族の扱いについてだが、万全を期すためにまずは桐子と憎威の役職の調整を……それと、俺が死んだ後に神として祀る際の神号の制定についてだが……」

「ああもう、ごちゃごちゃうるさーい、遺言が長過ぎ! 全然元気じゃん! 黙ってて、詠唱の邪魔ーっ! ちゃっちゃと任せなさいってば!」

「そうか? どんどん身体がこわばってきているのだが? たぶんもうすぐ死ぬぞ?」

「へーきへーき! んー……むにゃむにゃ。はい、詠唱終わりっ! ほら、たいした毒じゃないじゃん、ちょっとばかり痺れただけじゃん。ちっちゃな蛙が敵から逃げるために飛ばしたただの目くらましだよイエヤス~。ほんとにもう、小心なんだから~」

「……いえ。その蛙は使い魔です、イエヤス様。蛙の全身に黒魔力が注ぎ込まれています。イエヤス様が浴びた液体は、黒魔力入りの血液です……浴びた量が少なく、治療が早かったために今回は間一髪で助かりましたが、通常の毒よりも遥かに危険なものです。侵食されて感染してしまえば、もう除染は不可能でした」

 家康の危機を察知して恐るべき速度で急行してきたイヴァンが、この場から逃げようと刎ねていた黒蛙に「きええええっ!」と声を放ち、金縛り状態に陥らせて布にくるみながら捕獲していた。

「ほう、不動金縛りの術か……さすがは射番。つくづく忍者だな。だが黒魔力とは? その蛙は、だあくえるふ族が使う黒魔術の使い魔なのか?」

「……黒魔術は、この大陸に住まうダークエルフ族だけが使うわけではありません。暗黒大陸には様々な術を操る黒魔術師がいます。あの大陸は黒魔力が強いですから……かつてクドゥク族は、そんな魔王軍側の黒魔術師たちと暗闘を繰り広げていました。かなりの数を仕留めましたが、まだ生き残りは存在するでしょう……」

「おやおや。これは危機一髪でしたね、イエヤス様。わたくしの使い魔は蜥蜴ですよ、イヴァン殿。蛙は用いません。ですが、使い魔の鑑定はできますとも」

 騒ぎを聞き付けたファウストゥスも、庭園へとはせ参じていた。失神している単眼の蛙を手に取って、「蛙鑑定」を行う。掌に載せた単眼蛙の頭に二本の指を翳しながら、右肩の真横に浮かばせている水晶球に分析結果を映し出す。

「この蛙は『アナテマの黒魔術師』の使い魔ですね。体液から感染させられて黒魔力が全身に回ると、イエヤス様は魂を乗っ取られ、思考を術に操られる『生きる屍』にされるところでしたよ。危ない危ない」

「あなてまの術とな? 術士に精神を奪われるのか?」

「少しだけ違います。アナテマの術は、感染させた者の思考を術士が遠隔操作するのではなく、使い魔の黒魔力自体に予め『思考の目的とパターン』を記憶させ、それを対象者の精神に張り付けて自動思考させる、いわば自立型の術ですよ」

「ほう……根来忍者の催眠術よりも高度だ。巧妙な術があったものだ。異世界恐るべし」

「黒魔術耐性が弱い者は、自分が術に感染していることにすら気づかず、術に与えられた思考パターンに誘導されてしまいます。ただし、エルフやダークエルフには個人差こそあれ多少の黒魔術耐性がありますので、感染したことは自覚できます。が、それでも自分の思考を制御することはほぼ不可能となりますな。心とは、実に弱きもの」

「俺はエの世界から人間だから黒魔力に耐性はないという。危なかったのだな」

 ちょっと待って~! とセラフィナがファウストゥスに詰め寄る。

「人々の心を支配して操る『アナテマの黒魔術師』は、古代に絶滅したんじゃ?」

「ええ。公式には絶滅したことになっております、セラフィナ様。ですが、百人規模で感染を起こせる『大アナテマ』の使い手は滅びても、一人を感染させる『小アナテマ』ならば使える者がいるのでは?」

「……あ、あなたじゃないんですか? ファウストゥス様は希少な黒魔術師です……」

「ほう? それを言うならイヴァン殿。あなたもこの庭園に使い魔を持ち込むことも容易。黒魔術の才能など皆無なセラフィナ様は論外としまして、有力な容疑者はわたくしかイヴァン殿のどちらかということになりますねえ」

「……い、いえ。クドゥク族は毒殺も暗殺もこなしますが、魔術は使いません……」

「それはおかしいですね。先ほどの、使い魔を硬直させた技。あれは魔術なのでは?」

「……あれは『遠当の術』です。魔術技術ではなく、生まれつき持っている異能力です。触れずに大気のプネウマを操り相手の身体を固定するのですから原理は魔術に近いですが、あくまでも遺伝性の特殊能力です」

「成る程。生まれつき、あのような力を……いやはや、実に恐ろしいお方だ。さて。いずれを信用なさいますか、イエヤス様? わたくしか、イヴァン殿か。今ここでお選びを」

 あわ、あわわわわあ。とんでもない修羅場があ~とセラフィナが涙目になって震える中。

「俺は、どちらも信用している。アナテマの黒魔術師とやらは、他にいるのだろう」

 と家康は敢えて胸を張って答えていた。苦しい強弁だが、ここが踏ん張りどころである。

「射番。桐子。俺が二人を信じると言っているのだ。互いを疑いの目で見るのはやめて、協力してくれ。いいな?」

「……わ、わかりました、イエヤス様。てっきり僕が疑われるものと……あ、ありがとうございます……」

「全く異種族に寛大なお方だ。危険な者をこそ家臣にしたがる癖がありますな、あなたには。わたくしは、わたくし自身とイヴァン殿をともに拷問にかけて自白を引き出すべきかと思いますけれどもね」

 長らく人間に弾圧されてきたイヴァンには、対人間戦を準備中の家康を狙う動機がない。

 そもそも、殺すならばいつでもスヴァントで殺せるはずだ。

 イヴァン自身に動機がなくとも、イヴァンが正体不明の黒幕に雇われて動いた可能性は捨てきれない。その黒幕が、勇者は生かさず殺さず生ける屍にして操ったほうが便利だと企んでいたのかもしれない……。

 一方のファウストゥスは、ギルド仲間を騙して王国軍に武器兵糧を売りさばいた男だ。王国に太いパイプを持っているし、銭のために自分にさらなる高値をつけた人間側に再び転んだとしても不思議ではない。

これは偶然かもしれないが、厨房に入るつもりだった家康が急遽庭園に避難したきっかけも、ファウストゥスがイヴァンに突っかかったことだった。


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