第九話 03

「ヒエ~ッ!? おかしいでしょ、突然マエダトシイエ化するなんておかしいでしょっ!」

「……だ、だが、老いてなお多くの子を成して徳川家の基盤を固められたのは、わが側室選びの基準が正しかったからだ。子が少ないために家そのものを滅ぼす羽目になった太閤殿下のようにはなりたくなかったのでな……け、決して、前田利家殿化したわけでは……」

「あ~っ、もういいっ! ねえイヴァン、お姉さんか妹さんはいる? イエヤスに紹介しちゃダメよー? イエヤスってば、幼い女の子を見ると側室にしたがる変態なんだわ! クドゥク族の女子は全員危険よ! イエヤスが私に色目を使ってこない理由が、よーくわかりましたっ! 十八歳の私はもう年増! イエヤスのお眼鏡にかなわないんだわっ!」

「いや。今の俺は若返っているから、仮に妻を娶るなら効率重視で経産婦……」

「あんたは、もー黙ってなさーい!」

「……あ、姉はいますけれど、流浪の途中で生き別れに……何年も会っていません……」

「えっ? そ、そうなの。辛いことを思いださせちゃってごめんね……お姉さんと再会できるといいねっ! それこそクドゥク族の諜報能力を使って捜索しちゃえばいいのに~」

「うむ、そうするがいい射番。俺も幼くして母と生き別れになり、無事に再会を果たすまで何年も敵国で人質生活を送ってきたものだ。お前の境遇は、幼い頃の俺にどこか似ていてな。忍耐強そうなところもだ」

「……そ、そうなんですか……僕が……イエヤス様に……似ている……?」

「意義あーり! 子供時代のイエヤスがこんな美少年だったとは思えないんですけどー? どーせ子供の頃から顔が平べったかったんでしょー?」

「うるさい世良鮒、あくまでも境遇の話をしているのだ。射番よ、今は貴重なくどく族の人員をそちらには割けないが、その時が来ればいくらでも協力するぞ。世良鮒の資産を切り売りしてでもな」

「ケチ臭っ!? 自分の資産を切り売りしなさいよぅ!」

「異世界に来たばかりの俺に資産はない。今のところはな」

「……あ、ありがとうございます。今回の仕事を終えれば、姉を探すつもりです。今までは、一族を食べさせせるための雇われ仕事で手一杯でしたから」

 イエヤスがイヴァンに甘いのは、そっか、子供の頃の自分を思いだすからかあ、とセラフィナは思わず目を細めていた。家康も三河という小国の王子に生まれたが、幼くして母親と生き別れになり、自身は織田家、続いて今川家の人質にされた。さらには父親を家臣に暗殺され、三河を今川家に併合されるという悲劇を経験している。

「しかしイエヤス様。クドゥク族と一緒に食事をしてだいじょうぶなのですか? クドゥク族の暗殺手段は、暗器だけではありますまい。食事に毒を盛られるということもございますよ。この世界には様々な毒物がございましてねぇ。ふ、ふ、ふ」

 やばっ! やっぱりファウストゥスが突っ込んできた! ダメだわイエヤスの側室の話をもっと続けるべきだった! せめてもう一人女の子がいてくれれば~助けてエレオノーラ〜とセラフィナは頭を抱えた。

「わ、私が一人でこの料理を全部調理しているから、それはないと思うな~♪ イエヤスが全然手伝ってくれないからねっ! 厨房に入るとミソの調合ばっかりして!」

「さて、それはどうでしょう。食卓で振りかける塩の小瓶に、人知れず毒を混ぜているということも」

「桐子よ、確かに誰がいつ毒を盛るかも知れん。だが、俺は薬学博士。紫雪という解毒薬の調合法を知っている。紫雪を飲んで世良鮒に『治癒の魔術』をかけてもらえば、この世界の如何なる毒であろうとも解毒できるようになるだろう」

「左様でしたか。為政者がご自身で薬学を修得するとは、どこまでも慎重なお方ですな」

「ただしこの紫雪を調合するためには、大量の銭が必要でな。ざっと金貨百枚。世良鮒も屋敷を見ればわかるが貧しいし、容易には調達できん。俺に提供してくれぬか、桐子?」

「いちいち一言多いのよぅ、ほっとけー! 元老院も『得体の知れない薬のためになぜ金貨を百枚も?』『嘘に違いない』と了承してくれないのよねー。当たり前だけどさ~」

「紫雪は解毒以外の効能もあり、多くの病人を完治させた正真正銘の秘薬なのだがな。もともと銭を嫌うえるふには、法螺話に聞こえるらしい」

 イエヤスが度を超したケチだから「着服する口実に違いない」って疑われるんじゃん、自業自得でしょーとセラフィナが唇を尖らせた。

「わたくしを晩餐に呼んだ目的は銭の無心でしたか。ふふふ、仕方ありますまい。わたくしは常に大量の金貨持ち歩いている男。金貨百枚、ご祝儀としてお貸し致ししょう」

「おお、有り難い! 世良鮒よ、厨房へ参ろう。早速大鍋に金貨百枚を放り込んで、ローレライ山脈で集めた鉱物とともに煮込むぞ! これで念願の紫雪が完成する!」

「って、待って待ってイエヤスぅ? 銭を鍋で煮るのぉ~? 高価な薬草を買うための資金じゃないのぉ? 金貨をぐつぐつ煮ることになんの意味がっ?」

「紫雪の調合には、大量の黄金を浸して煮込んだ特別な溶液が必要なのだ。古今東西の薬学書を調べて実物を調合し、実際に大勢の人間を治した俺が保証する。間違いない!」

 家康の薬造りへの執念は、天下盗りなどよりもはるかに切羽詰まったものだった。

 孫の三代将軍家光も、危篤に陥って医師に見放されたところを家康に処方された紫雪に救われている。家光は生涯、命の恩人である祖父家康を「神」と信仰し続けたほどである。それ故、家康謹製の紫雪は「素晴らしく効く」という評判が評判を呼んで諸大名が必死でその製法を求めており、加賀藩や水戸藩は、幕末に至るまで家康伝来の紫雪を藩内で製造し続けた。

「いやはや、薬学というよりも錬金術でございますね。ですが、金を煮込むのだから錬金術とは真逆の魔術でしょうか」

 ファウストゥスは思わず苦笑していた。

「命より銭を惜しむイエヤス様が、銭を鍋で煮るとは。笑い話ですな、はははははっ」

「桐子よ。健康とは、命よりも大切な銭よりもさらに貴重なものだぞ」

 健康って命のために必要なものなんだから、話がぐるぐる回ってない? とセラフィナは思った。だが家康は「健康でなければ生きていても辛いではないか」と持論を譲らない。

「俺はまだ無知だった若い頃、息子の信康を救えなかったが、老いてから紫雪を造り孫の家光を救えたことで、多少は肩の荷が下りた」

「そっかぁ。イエヤスって、もしかしてお医者さんが天職なんじゃないかな~」

「天下人という仕事も、戦乱という病を治し、世の乱れを予防し、万民を診る医者のようなものよ。そして医師にしても天下人にしても、いずれにせよ銭が必要なのだ、銭が」

「ちょっとだけしんみりしてたのに、結局そこに話が落ち着くんかいっ!」

「……あ、あのう。クドゥク族の僕が、こうして勇者様やエルフ族の王女様と同じ食卓にいるのは、本来は非礼なので……ぼ、僕はそろそろ寝室に……」

「いいのいいのイヴァン! 宮廷を一歩出たら、身分とか種族とか関係ないって! 私たちは旅の仲間じゃん! あ~イヴァンとはまだ旅してないけど。だよねーイエヤス?」

「うむ。射番と桐子は、今後互いの情報を共有するように。桐子の魔術と、くどく族の隠密能力。この両方が揃って、はじめて人間との情報戦を対等に戦える。二人に対立されてはこの俺が困る――よいな桐子?」

「ふふ。わたくしもイヴァン殿を信用したいのはやまやまですがね、なにやらこの少年からは陰謀の匂いがしますからねえ」

「……ぼ、僕は依存ありません……疑惑の目で見られるのは、慣れています。ダークエルフに詐欺まがいの契約書にサインさせられ、大幅に仕事量を中抜きされることにも……」

「は、は、は。それは、契約書をまともに読めないあなたに問題があるのでは?」

 一触即発。うわーすっごい気まずい。なんとかしようとすればするほど空気が悪くなっていくう~。ダメだわどうすればいいのかしらとセラフィナが助けを求めるように家康に視線を向けたが、家康は印籠を取り出して万病円の在庫を確認すると、

「俺は少し庭園を散歩してくる。食った後は運動せねば身体に悪い。それに、圧迫感を感じた時に襲ってくる胃痛は俺の弱点なのだ」

 と言い残し、爪を噛みながら逃げるように庭園へと出て行ってしまった。

 後は任せた、なんとかしろとセラフィナに厄介事を押しつけたのである。慎重な家康らしい逃走劇だった。

「あーっ? ちょっとーっ? 家に押しかけてきて料理を作らせたあげく、調停役まで私に押しつけるのーっ? 少しは私の胃の心配もしなさいよーう? 待ちなさーい!?」


(セラフィナの荘園は狭い。庭園も簡素で質朴。俺の趣味には合っているが、ここを襲撃されればひとたまりもない。ちと不用心かもしれんな。それにしても、世慣れたファウストゥスと大人しいイヴァンがあれほど反目するとは……異種族の常識をもっと教わらねばならんな。やれやれ、胃が痛い)

 家康は、エレオノーラがセラフィナに送ってきたという数々の花に囲まれた庭園を散歩しながら、異種族を次々と森に引き入れた家康に反発している保守派の元老院議員たちをどう懐柔するかを思案していた。いくら社交好きの名門貴族の令嬢とはいえ、エレオノーラ一人に任せきりでは難しいだろう。

(イスパニア・ポルトガル人とオランダ・イギリス人も、俺のような日本人にとっては同じ異人にしか見えなかったが、互いを激しく憎悪していた。まして百年の戦乱を経験した異種族同士ともなると……魔王軍が来れば団結できそうだが、来てほしくはないしな)

 ひとまず人材集めの旅は区切りがついた。これからの五ヶ月は、森の防衛策推進に専念すべきだった。

「ゲロ。ゲロ、ゲロ、ゲロォ……」

 家康は、葉っぱの上に止まって鳴いている小動物に目を留めた。蝦蟇に似ているが、彩りが違う。真っ黒な蛙とは珍しい。よく見ると単眼ではないか。

「異世界の生物は、どれもこれもエの世界の生物とは似ているようで微妙に違うな」

ここで、薬マニアの家康の悪癖が出た。


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