第八話 04

「あの男が、細川家から追われることを承知の上で炎上する細川邸から逃げたのも、己の砲術を完成させんがため。あの、生き延びて術を極めんとする武芸者としての性が、なんとしても生き延びて天寿を全うせんとする俺にぴったりであった。そして稲富は、俺に仕官することでついに完成させた。目を閉じて気配を察知し、相手の急所を撃ち抜く『盲打ち』を――!」

 実戦で用いたことはない秘奥義。今こそ用いる時、と家康は小さく頷いた。ちなみに胃腸のほうはもう危機的状態である。

「ぎりぎりまで敵が迫ってくる恐怖に耐えるのだ。目を閉じることでより長く耐えられる。距離が縮まれば、命中率は高まる――!」

 家康は目を閉じながら、「主」の額を最短距離で撃ち抜くために敢えて耐えた。確実に当てられる距離に「主」が迫るまで、超人的な胆力を発揮して待った。

 セラフィナが「嘘っ? なんで撃たないのっ? 撃ってイエヤスううう! 頭から囓られちゃうよう!」と叫ぶ。

「慌てるな。肉眼よりも、気配。考えるよりも、感じる。これが稲富流砲術の神髄よ」

家康がかっと目を見開いた時には既に、鼻先まで迫っていた「主」の額を家康自身が放った銃弾が轟音一閃、見事に撃ち抜いていた。

「主」の巨体が、家康の目前でどさりと崩れ落ちた。既に事切れている。

 さすがにこれほどの強敵に手加減はできなかった、許せ、と家康は合掌していた。

「ぐえ~っ!? どどどどうやったの家康っ? 頭を囓られる寸前だったよねっ? 目を閉じていたのに、いつ撃ったのっ!?」

「魔弓ヨウカハイネンを撃った時も目を閉じていましたが……素晴らしい神技でしたわ!」

「マジでっ? うおおおおおっ、一撃で『主』を倒したああああっ? すっげええええええっ? おめー、本物の勇者じゃんっ! おめーの仕事、請け負ったーっ!」

「………………」

「あんだよ? おめー、『主』を倒したのに落ち着いてんなーっ! イエヤスの旦那! オレぁ、あんたの糞度胸が気に入った! 砲術の弟子にしてくれよーう! あ、山を下りるのは少し後にしてくれっか? 『主』を山の神のもとへ返す儀式を仲間たちで開くからさあ! 要は、宴会だーっ!」

 なんという恐ろしい時間であったか。いかん、腹が猛烈に痛い。今迂闊に立ち上がったら確実に漏らす。どこかに厠はないかと、家康は脂汗を流しながら内心呟いていた。


 夜が更けた。

 星空の下、「主」の最上部位の肉を祭壇に供えて山の神に捧げながら、ドワーフたちが焼いた「主」の肉を食べながら酒を飲み歌い踊る、儀式という名の宴。

 家康に懐いたゾーイが、はじめて人間に自分の過去を語っていた。なぜ人間嫌いになり、山中深くに横穴を掘ってドワーフの仲間とともに巣ごもりしたのかを。

「親父のデニスは人間で、とある村の猟師だったんだけどさ、巨人のような鋼の肉体と鉄砲の腕を買われて傭兵部隊に参戦したんだ。おっかさんのカチャはギルドの長を勤めるドワーフで、魔王軍への義憤から塹壕や城塞を建てる建築技能集団を率いて同じ傭兵部隊に」

「父上は鉄砲の鋳造が得意で、母上は鉄砲の名手。鉄砲話が好きな二人は、倍ほどもある身長差にも関わらず、気が合ったのだな。そして戦場で二人は恋に落ち、そなたが生まれたわけか」

「ああ。でもよー。戦争が終わったら人間の皇国が掌返してよー。『人間主義』がどうとか言いだして、人間と異種族の共存は教義が許さないと宣言。人間族の町や村に異端審問官を派遣して、異種族を狩りはじめたんだ。糞野郎どもだぜ、全く」

「憎威、それでそなたは幼くして父上と別れ、山中の母上のもとで育てられたのか」

「まあなー。山暮らしのほうが性に合ってたしさ。ただ……一度だけ人間の村に行っちまった」

 異端審問官に見つかったら危険ではないのか? と家康。

「まあな。でも、おっかさんが急な病に倒れて危篤に陥ったからなー。オレは親父が暮らす村へはじめて駆け込んだんだ。おっかさんはもう助からねえけど、せめて親父がかあちゃんに最後に顔を見せてくれたら……すげえ会いたがっていたからよ」

「そうか。ご両親を会わせることはできたのか?」

「できなかったよ。『俺ぁ、百発百中を誇るヘルマン傭兵デニス様だぜ! ドワーフのガキなんぞ持った覚えはねえ。ドワーフの妻なんぞもいねえ。帰れ糞ガキ! 二度とたかってくるんじゃねえぞ、俺ん家には財産なんかこれっぽっちもねえんだ! 山に籠もって穴でも掘ってやがれ!』って怒鳴られて、蹴り飛ばされて村から追い出されちまった」

 ゾーイは、「山に戻ったら、おっかさんは息を引き取っちまっていた。最悪だったぜ」と哀しげに頭を抱えていた。

「オレは叫んだぜ。人間なんて大嫌いだ、バカヤロー! 二度と人間の里には戻らねえ、オレはドワーフだ。ドワーフとして誇り高く生きてやる、山ん中に穴を掘りまくって金銀を掘り尽くしてやるんだ、もう人間とは絶対に顔を合わせねえ! ってな」

 母カチャは最後まで、人里へ下りていったゾーイになにか言い残そうとしていたが、どうしても聞き取れなかったのだという。

 ゾーイは「オレぁ半分人間だからよ、一人で新しいギルドを造るさ」と遠慮したが、仲間たちに「お前は立派なドワーフだ! カチャの姉御にそっくりじゃねえか!」と推薦されてギルド長の地位を継ぐと、カチャの葬儀を盛大に行った。以後、ゾーイは若くして天才鉱山師としての才覚を現していった。

「でもよー。皮肉にもオレの身体は親父似で、身長は見ての通りどんどん伸びちまって、ドワーフには見えなくなっちまった。鉄砲を撃つ才能も親父譲りだしよ。忌々しいぜ!」

 身長の話はセラフィナには言わぬほうがいいぞ、泣いて羨ましがる、と家康はこっそりと忠告した。

「そういうわけでオレは人間が嫌いなんだよ。結局両親の死に目に一度も合ってねえ親不孝者さ。親父には今でも糞ムカついてんぜ。ほら、『主』の股肉だ。食えよ旦那」

「……憎威よ、お前はまだ若い。お前の父は、お前を救うために敢えてお前を殴り飛ばし罵倒したのだ。気が短いお前が村を巡回している異端審問官とやりあえば、お前は大変な目にあっていただろうからな――父親の愛情が、お前を守ったのだ」

「ハア? マジかよ? だったら他に言い方あんだろ。ガチで殴らなくてもいいだろ」

「全てはお前が異端審問官に目をつけられぬための芝居だ。真の愛情と確固とした勇気があれば、わが子を救うためならば親はなんだってやるものだ。お前の母親の遺言も、想像はつく。お前の父を許してやれと言いたかったのだろう。お前が里でどういう経験をするか、お前の母は痛いほどわかっていたのだ」

「……イエヤスの旦那は、オレより少しばかり年上なだけだろ? なんでいい歳した大人の考えてることがわかんだよ?」

「わかるとも。こう見えて、俺はエの世界ではずいぶんと長生きしたからな」

「ドワーフの考えてることもわかるのかよ?」

「山の民とは付き合いが長い。俺の一族も、下克上に乗じて武士に成り仰せてはいたが、もともとは奥三河の山奥から里へ下りてきた山の民だ。俺が生まれた奥三河の鳳来寺山から望む風景は、このあたりによく似ている。山や森を見ると心が落ち着くのだ」

「はーん。変わった人間だなぁ、あんた」

「よいか憎威。俺よりもお前の父親のほうがずっと勇敢な男なのだ。俺は、異端審問官よりも恐ろしい信長公から妻子を守れず、二人とも死なせてしまった。母親がはじめた謀叛の企みに巻き込まれながらも母を庇う息子を、殴り飛ばす勇気を持てなかったからだ」

「……妻が息子を巻き込んで夫から謀叛しようとすんのかよ。すげーな、エの世界の人間たちは」

「うむ。しかしお前の父親は、全力でお前を殴り飛ばすことで妻と子を守り抜いたのだ。見事な男だ。俺の家臣に欲しかった」

「……マジかよ。そっか。そうだったのか……オレは、そんな親父の気持ちを汲み取れないまま、ずっと一人で恨んでいたのか……親不孝だな……オレってバカだよな……ぐすっ」

「お前もいずれ夫を持ち子を持てばわかる時が来る。鉱山開発も重要だが、えるふの森を人間軍から守り抜くための改造工事は、穴掘りを得意とするお前のぎるどでなければ間に合わん。頼むぞ」

おおおオレは結婚とか出産とかそーゆーガラじゃねーよっ! とゾーイは真っ赤になって慌てた。思わず焼き肉を通した串を手から落とし、家康が「もったいない!」と青ざめながらその串を受け止めていた。


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