第八話 03

 終戦後、皇国が異種族との共闘路線を捨てて極端な「人間主義」を再び掲げたため、ドワーフギルドの経営は年々苦しくなっている。人間からの仕事の直接発注は減り、しかも人間以外の異種族がことごとく衰退し続けているため、大規模な仕事の発注は滅多にない。

 さりとてダークエルフ商人に仲介を依頼すれば、足下を見られて膨大な手数料を奪われる。近年では、ギルド同士が鉱脈を奪い合って衝突するという問題も増えていた。

「……おっかさんから引き継いだギルドだ。オレの代になって仲間たちを飢えさせたくはねえ。半人間にはドワーフギルドの運営は無理だったとは言われたくねーからよ。だがイエヤスさん、あんたが真の勇者だという証拠を見せてくれなきゃな! 鉄砲は扱えるか?」

「当然だ。エの世界では、鉄砲こそが戦の主力兵器だった。俺は稲富流砲術の達人でな、生涯鉄砲撃ちの稽古を続けていた」

「ふーん。だったら、仕留めてみな。この山にいる『主』をよ。あいつは、至近距離から急所を撃ち抜かねえと倒せねえ。食い殺されるのがオチだと思うぜ? おめーがあいつを仕留めりゃあ、おめーを真の勇者と認めて百年でも千年でも仕事を請けてやんよ!」

 山の主か。エの世界ならば熊か猪だろうが、ぬっへっほうや翼竜が跋扈するこの異世界ではどんな怪物か想像もできん、と家康は迷った。エレオノーラたちにさりげなく「正体を教えろ」と視線で補佐を求めたが、エルフ族にはローレライ山脈の奥深くまで踏み入った経験はなく、知らないらしい。

 だが、山中に多くの蜥蜴を配置しているファウストゥスだけは、主の正体を知っていた。

「見ればわかりますよ、なにしろ大きいですからね。ちなみに急所は額にあります」

 急所の位置がわかっただけでも僥倖だろう。

「おおー、やったじゃーん! 弱点判明だよ家康、これで勝てる勝てるぅ!」

 楽観的なセラフィナがまたまた安請け合いをはじめたと呟きつつも家康は、

(俺は慎重な男。迂闊にこの異世界の猛獣と戦わないと決めたが、ゾーイのギルドを雇い入れねばエッダの森は危うい。急所の位置さえ判明すれば、あとはわが稲富流砲術を用いて撃ち抜けばよかろう)

 と決断していた。

「ほーん、本気でやんのか? おめー、意外と度胸あんじゃん! それじゃ、さらに山の奥へ入るぜー。崖から落ちたら死ぬから、馬から下りておけよー。あと、主を誘き出す餌が必要だな。猛獣の肉が一番いいんだけどよー。ギルド暮らしも楽じゃねくて、生憎干し肉を食い尽くしちまっててさ!」

「……旅の道中で食べるために持参した、ぬっへっほうの干し肉がある。世良鮒が厳選した薬草を染み込ませてあるので、百日間は腐らない。獣への餌に使うのは惜しいが、一枚だけなら……一枚だけなら……くううっ。これも憎威を雇うための代償……」

「主」を相手にする自分の命より、干しスライム肉一枚を家康は惜しんでいた。

「イエヤスってばそんなにもったいないなら出さなきゃいーのに。そもそもスライムはいくら肉辺を削ってもすぐ再生するんだから、ケチる意味ないじゃん?」

 セラフィナにまた呆れられた。吝嗇が身を守るということを幼いお前はまだ理解できぬのだと家康はうそぶいた。

「おおっ、なんだそりゃああっ? その匂い……くんかくんか。それスライムかっ? おめースライム食ってんのかっ? あれって食えるの? なんかすっげー美味しそうだから、オレにも一枚くれよ! 道案内の手間賃だ!」

「……う、うむ。は、半分だけなら……一気に二枚も失うのは惜し過ぎる……もったいない……頼む憎威、半分だけで我慢してくれ。武士の情けだ」

「こら待てやぁオッサン! 千年オレたちを雇う男が、なんで干し肉如きでそんなケチ臭ぇんだよっ? やっぱてめー、偽勇者なんだろーっ?」

「一括で千年分を払ったら、胃が破れて血を吐いて死んでしまうではないか。しかし千年に分けての割支払いならば、俺が感じる痛みは千分の一。かつ寿命を逆算すれば、俺が支払いを目の当たりにする期間はおおよそ百年分で済むから、かろうじて耐えられる」

「はあ~、なに言ってんだ? 隙あり、一枚もーらいっ! うっ……うめーっ? なんだこれっ、あの超気持ち悪いスライムがこんなに美味だったなんて! ギルドの仲間たちにも食わせてやりてえから、ドーンと百枚くれやあイエヤスの旦那!」

「百枚っ? ぐはっ……胃が、胃が……! 絶対に断る! なにゆえ俺がそんな大盤振る舞いを? 切腹して死んだほうがましだっ!」

「んだよう、ケチな狸親父だなあ。んじゃ、仕事は請けねえからなーっ!」

「ま、待て。どうだろう憎威。一日一枚ずつ、百日分割で頼む……それで、俺が一日に感じる胃の痛みを百分の一に軽減できる」

「だーっ! おめー、ほんとに勇者なんだろーなっ? 死んでも責任取れねーぜ? ドワーフ族の伝承じゃあ、『主』を倒せる者は伝説の勇者だけだって言われてるんだぜ?」

 エレオノーラとセラフィナは「どこまでも吝嗇ですわね」「ほんとうにドケチだね」と顔を見合わせたが、商人のファウストゥスだけは「ああ。この見苦しいまでの吝嗇さ、この浅ましき富への執念。イエヤス様の感性は、銭の値打ちを知らぬ凡百の王侯貴族とは全く違う――わたくしと同じ守銭奴の匂いが致します。よき主君に巡り会えました」と家康の吝嗇ぶりに痛く感服している。

 類は友を呼ぶとはこのことですね……とエレオノーラは思った。


 一行が山の奥へ奥へと進むこと、およそ一時間。

 どんどん山道は険峻となり、一同は蔦を用いて険しい崖を降り、小川が流れる沢に到達。

 そこでようやく、スライム肉の香りに釣られてきた「主」と邂逅した。

「……グオ……グオオオオオオオッ!!」

 それは、信じがたいほどに長く太い三本の犬歯を持った、巨大な虎だった。サーベルタイガーの一種で古代に繁殖したスミドロンに近いが、遥かに大きい。その体高は十メートルを優に超えていた。この世界では名はない。ドワーフたちから「主」とだけ呼ばれている。まさしく、ローレライ山脈の王者に相応しい巨獣だった。

 人間如きが縄張りに入ってきたことに猛り狂う「主」と相対しながら、(やはり猛獣と戦ってはならなかった)と家康は膝を突いて鉄砲を構えつつ、三度も同じ過ちをやらかしてしまった自分の若さを悔いた。七十五年生きて身につけた慎重さも、二十歳の肉体ではどうしても制御しきれなくなり、セラフィナに「行けるって!」と煽られる毎についつい蛮勇を奮ってしまう。

 それに――逃げたくとも今さら逃げられない。背後では、セラフィナが失禁しかねない勢いで怯え、エレオノーラに抱きついていた。ドワーフの横穴に仲間を置いてくるのも心配だったので連れてきたが、全員で来るのではなかった、迂闊だった、と家康は引き金に指をかけながら悔いた。

 だが、ゾーイから渡された鉄砲の意外なまでの高性能ぶりを、すぐに家康は悟った。

(ふむ。この銃、種子島と構造はほぼ同じだが、長筒部分が軽量でしかも重心が安定している。各部品に僅かな狂いもない。完成度は種子島より遥かに高い。使えるぞ)

 達人故に、武具を手にしただけで理解できることもあるのだ。

「グオオオオオオオッ!」

「ギャーーーーーー? いやああああ? なにこれ、なにこれええっ? 嘘おおおおっ、こんな怪物がジュドー大陸にいただなんてええっ? 死にたくない、食べられる、死にたくないっ! うわ、めっちゃ俊足ッ? 馬も置いてきちゃったし、逃げられないようエレオノーラぁ? 今度生まれ変わって来たら、また姉妹になってくれる? 愛していたわーっ!」

「セラフィナ様、お静かに! あなたのそのカン高い悲鳴は、イエヤス様の集中力を乱します! 妾がこの周辺の樹木を急成長させて、足止めしますわ! 『解放の魔術』!」

「ダメじゃーん! この一帯は河川敷で、草が生えてないじゃーん! 『盾の魔術』! って、プネウマが薄くて私のポンコツ技術じゃ壁が張れない? 高度が高過ぎるんだあ!」

「成る程、蜥蜴から送られてくる映像と実物は大違い。この怪物は智恵深く、そして桁外れに強い――おそらく数百年を生きた猛虎族の生き残りでございます、イエヤス様。猛虎族の急所は額。恐ろしく頑強な頭蓋骨を持ちますが、夜間のみに用いる『第三の目』を格納している額の部分だけは薄いのです。銃弾が額を貫き脳まで到達すれば――」

あわわ、こんな時は穴だ、穴を掘って隠れるんだ! と足下に高速で鶴嘴を振り下ろしていたゾーイも、「オレの早掘り技でも間に合わねえ」と悟って鶴嘴を手放し、鉄砲に持ち替えていた。

「だーっ! こんな至近距離から『主』に突進されるなんて、オレにも経験ねーっ! ほんとに勝てるのかよ、イエヤス? オレも加勢するぜ! このままじゃ全滅しちまう!」

「憎威、加勢は無用! この獣は、われらが逃げ場のない崖下の死地に降りるまで待っていた。想像以上に利口だ! 最初の一撃を外せばもう二度と額には当てられん! 機会は一度、俺が仕留める! 南無八幡大菩薩!」

 家康に砲術を伝授した稲富流砲術の達人・稲富祐直は「臆病者」として知られていた。鉄砲の弾が当たっても死なないように、機動性を捨てて戦場で甲冑を二つ重ねて着込んだこともある。朝鮮に攻め入った時には、虎を鉄砲で狩る「虎狩り」に参加したが、稲富の放った銃弾は虎に命中せず、いよいよ失笑を買った。

 関ヶ原の合戦でも、主君細川忠興の妻ガラシャが人質に取られることを拒否して家臣たちに自分を介錯させた後、殉死すべき稲富は切腹せずに逃げだした。

 愛妻家の細川忠興は、当然激怒した。

 他家への仕官も禁じられた稲富は路上で餓死する他はなくなったが、この男の砲術の神髄は「敵を殺す」ことではなく「どんな手を用いても生き延びる」ことにあると、戦国でただ一人稲富流砲術を正しく評価していた者がいた――そう、慎重なる男。生き延びるためにあらゆる武術を修行していた男。

 徳川家康である。

「稲富は虎を撃てなかったのではない。敢えて虎を撃たずに死の目前まで相手を見極めるという命懸けの実地訓練を行ったのだ、虎を相手に。どれほど周囲に笑われようとも、砲術を完成させるために恥を被ったのだ」

家康は絶体絶命の死地に追い詰められた今、稲富流の極意を思い起こしていた。走馬灯のように、稲富祐直と過ごした修行の日々を回想しながら。


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