第七話 05
「わたくしは、銭こそが力であり正義だというこの世の真理を悟り、直ちに己の生きる道を定めました。誰よりも銭を稼いで『知識の魔術』を完成させる。そのためならば、どんな悪にだってなる。誰だって裏切る。処刑されようが構わない。新しい家族も要らない。妻も娶らない。わたくしの家族はもう、死んでしまったのだから。銭は命よりも重いのです。銭があれば、わたくしの家族は命を失わずとも済んだのです――」
家康は、幼くして人質に出され、自ら人攫いに誘拐されて売り飛ばされた自らの前世を思い起こしていた。主君の家康を今川家の人質にされた三河の家臣団は今川家の圧政を受け、食うにも困る有様で自ら田畑を耕しながら、いつか若き家康が三河岡崎城に戻ってきた時のために、健気にも銭を必死で溜め込んでいたのだった。
家康が十余年ぶりに岡崎城に帰還を果たした時、泣きながら出迎えてきた老家臣団がその隠し銭を家康に見せて「どうかご安心くだされ、この銭はみな若殿のものでございます。来たるべき時にご随意にお使いください」と微笑んでくれたその時から、家康は銭ほど有り難いものはないという確固とした信念を感謝の心とともに生涯抱き続けたのである。
「……生き延びたわたくしは、ザーレの町で小さな古物商屋をはじめました。あらゆる卑劣な手を用いて銭を稼ぎ、『知識の魔術』の完成まで二十年をかけました。皮肉にも大戦は終結してしまい、オークどもへの復讐にわが魔術と財力を用いる機会は逸しましたがね」
「だが桐子よ、魔王軍はまたやってくる」
「ええ。わたくしは可能な限り情報と銭をこの手に蓄積し、いずれ魔王に復讐を果たしたいのです。ですから対エルフ戦に向かう人間の王国に武器兵糧を売りさばこうとも、なにも感じません。わたくしは妹を救わなかった神などは絶対に信じない。銭だけが正義なのです。何人たりとも、わたくしを止めることはできない」
セラフィナもエレオノーラも、黒魔術は邪悪なものだと信じていた。しかし、デ・キリコ家が探求していた「知識の魔術」をもしもエルフ軍が手にしていれば、ワールシュタットが伏兵に討たれることも王都が陥落することもなかっただろう。
「……うう、ごめんなさい。私、ダークエルフの黒魔術って攻撃系の危険な術だと思い込んでいたよぅ……」
「よいのです王女様。事実、デ・キリコ家も当初は攻撃系の黒魔術を研究していたのです。完成すれば大陸全土が崩壊するようなものをです。『知識の魔術』の可能性に気づいたのは、その研究の最中のことでした。情報を制する者が商業においては相場を制し、政治においては外交戦を制し、戦争においては索敵活動を制することができると。当時の元老院にはいくらこの理屈を説いても通じませんでしたがね」
「長老様やイエヤス様が当時エルフの元老院にいれば、デ・キリコ家を追放することはなかったでしょうに。アフォカス家当主として過ちを詫びますわ。申し訳ございません」
「しかし桐子よ、白魔術で代替できなかったのか?」
「ええ。遠隔通信が可能な特殊な蜥蜴を生みだして自在に使役するためには、強力な黒魔力がどうしても必要だったのです。生物の魂を縛り操る真似は、白魔力プネウマにはできませんのでねえ。黒魔力カタラを用いねばならなかったのです」
ええ~それってやっぱ邪悪な魔術っぽいよね? とセラフィナは家康の背中に隠れた。
「桐子よ。それほどの術を持ちながら、同じ町の商人たちに襲われることを察知できなかったのはなぜだ? 銭を惜しんだのか?」
「ふふ。二週間前に、ザーレの街に配置していた蜥蜴の使い魔を全て街の外へ放ってしまっていましたのでね。『物証』は既に隠蔽したと申しましたでしょう、イエヤス様」
「成る程。直接屋敷を襲撃される危機を承知の上で、よくも使い魔を街から出してしまえたものだ。豪胆な男だな。だが、百五十年も昔のことでエルフを憎むのはお前らしくない」
「確かに、逆恨みかもしれませんねぇ。今やエルフも王都を落とされて苦境に陥っておりますし。ですが白魔術と黒魔術の対立問題は、エルフの根幹に関わることですから……」
「意味がない! 魔術に黒も白も茶色も黄色もない! 役に立つかどうかが術の値打ちの全てよ! お前の黒魔術についてごちゃごちゃ言う者がいれば、この俺が黙らせる!」
「……ほう……確かに黄色い魔術など、見たことも聞いたこともありません」
黄色い下着ならあるけどねー、とセラフィナ。
「桐子よ。俺は名家好きではあるが、人材には唯才のみを求める実利主義者だ。謀叛人の本多正信や、ウィリアム・アダムスやヤン・ヨースチンといった海外ら来たイギリス人やオランダ人を高級官僚として重用した日本人の為政者は、俺しかおるまい。全ては海外交易と技術革新のためよ」
「異種族であろうとも、才能に応じて公平に扱って頂けると?」
「無論だ。俺と組めば、今まで以上に稼げるぞ――エッダの森政権の御用商人として、あらゆる異種族を相手に手広くかつ大きな商売ができる。どうだ?」
エレオノーラは「イエヤス様はまさしく清濁併せ呑むお方ですわ」と感嘆した。正邪にこだわる潔癖なエルフとは確かに違う。エルフとダークエルフの長年の対立そのものを家康は「意味がない」と一刀両断したのだ。
だが、ファウストゥスは劇薬だ。森に入れれば、あらゆるエルフ要人の情報を一手に握ってしまうだろう。家康がこの男を御せるかどうかに、エルフの命運がかかっていた。
「桐子よ、えるふとの因縁を忘れろとは言わない。だが、しばし俺と世良鮒のためにお前の力と頭脳を貸してくれ。森の財政を立て直し、森を改造する予算を築き、そして」
「人間陣営の諜報及び戦場での索敵にも、わが魔術は活用できましょう。イエヤス様」
「うむ。お前がわが片腕となってくれれば、森の守りは盤石となる。俺は、えるふとはなんの縁もないエの世界の人間だ。だが、無性に世良鮒や阿呆滓が気がかりでな。俺をこの世界に送り込んだ『女神』とは関係ない。前世で似たような者を見知っているためだろう。どうにも捨てておけないのだ――」
「……成る程。イエヤス様も、前世で守りたい者を守れなかった敗北者とお見受けしました。わたくしと同じ、死ぬべき時に死に損ねた廃れ者の匂いが致しますよ。ならばこそ、わたくしが忠誠を誓うに値するお方かもしれませぬね。ふ、ふ、ふ……」
えー匂いだけでそんなことわかっちゃうの? なんかいろいろイエヤスの秘密とか暴かれて後々やばくなりそうじゃない? イエヤスぅ、もうちょっと慎重にさあ? とセラフィナは危険過ぎるファウストゥスの宰相就任を躊躇ったが、家康は「この男の他に、俺が必要とする額の予算を捻出できる者はいない」と断言していた。
「よろしい、契約致しましょう。ですが、イエヤス様? あなたがわたくしが仕えるに値しない男だと見切れば、わたくしは躊躇せずに裏切りますよ。わが望みは、あくまでも魔王への復讐ですからねぇ」
「それでいい。わが莫逆の友・本多正信は、一度は一向一揆衆を率いて俺に弓を引いた。それほどの気骨と信念の持ち主でなければ、乱世の宰相は務まらん」
「では早速、豪邸と大勢の使用人を要求致します。そして賄賂を取ることを許可して頂く。さらには国庫に入る収入の数割をわたくしの個人資産として中抜きすることも」
「ぎゃあああ~! いきなり汚職公認要求? イエヤス以上の守銭奴だあああ~!」
「お、お待ちください! こんな傍若無人な要求を認めては、イエヤス様も汚職仲間だと思われてしまいますわ!?」
「構わん。好きなだけ不正でも賄賂でも中抜きでもやるがよい。国庫を潤せばそれでいいのだ。ただし桐子よ。お前の死後に、お前が墓場に溜め込んだ財産は俺が押収するからな。不正を尽くした天下の番頭大久保長安の不正蓄財は、そういう形で死後没収してやったわ」
「は、は、は。その没収した財産はどこへ消えたのです? イエヤス様の懐に、ですね?」
「当然であろう。全部、本来は俺の銭だ」
「生きている者から財産没収せずに相手が死ぬまで待つとは、凄まじい守銭奴ですねえ! あなたとは気が合いそうです。わたくしのほうが長生きすればそれで済むことですし」
「さて、それはどうかな。俺は長寿と健康のためならば命も捨てる男だぞ?」
「ふ、ふ、ふ。銭も健康も欲しいと仰る? わたくしの上手を行く生き汚さですねえ」
「そう褒めるな、臍がかゆくなるわ。はっはっはっ!」
イエヤスぅ、別に褒められてないと思うよ~? とセラフィナが突っ込みを入れるが、人質・誘拐・また人質という苦難続きだった幼少期にはじまり、青年期には信長の無茶ぶりと武田信玄の騎馬隊に振り回され、七十を過ぎてなお戦場で真田幸村の六文銭から逃げ惑っていた家康にとって「生き汚い」と言われることは褒め言葉なのである。
生きることへの飽くなき執念と忍耐力こそが、独創的な天才性を持たない家康の最大の武器なのだ。
「さて、帰路では森の改造工事を発注する相手を尋ねる! 桐子もともに参れ!」
家康は、セラフィナたちにそう告げていた。
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