第七話 04

「ドオオオーン! この紋所が目に入らぬかーっ! 控え、控え! 控えおろーう! このお方をどなたと心得る! 薬作りが趣味のケチ臭い旅商人とは仮の姿! エの世界より召喚されし伝説の勇者様、トクガワイエヤス様にあらせられるぞー! エルフ族を率いて魔王を討ち滅ぼす大将軍におわす! 頭が高い、控えおろーう! あと、ついでに私はエルフ王女セラフィナちゃんだからっ! 私にもひれ伏せ、控えおろーう!」

「……その自己紹介は不必要どころかダークエルフには逆効果ですわ、セラフィナ様」

 そ、その三つ葉葵はっ? と商人たちと傭兵たちが一斉に家康から三歩後ずさり、震えながら土下座していた。歴戦のいくさ人家康が全身から発する闘気、そして鞘から抜かれた神剣ソハヤノツルキが放つ神秘的な輝きが、セラフィナの言葉を裏打ちしている。

 彼らは「お噂はかねがね! 恐れ入りましてございます! お見苦しいところをお見せ致しました!」と必死の形相で家康に弁明した。

「桐子には通じぬとわかってはいたが、勇者の印籠がこれほど絶大な威光を持つとは。えるふとは大違いではないか。特に世良鮒、お前だ。俺の扱いが悪過ぎる」

「それはだって、私たちエルフは大陸一高貴で気高い種族だからぁ効きが弱いんじゃん?」

「お前が? 高貴?」

「イエヤスには審美眼がないんだよぅ! 喧嘩はこれでおしまいねっ! いくら悔しくても、私刑で解決なんてダメだよ~? ここは、勇者様が公平なお裁きを下しちゃう!」

「いえ、ですが、ファウストゥスは……」

「喧嘩両成敗である。桐子はこの俺自身がえっだの森へ連行して厳正に裁く故、諸君は鉾を収めるよう。桐子に被った損失の半値分の資産を、桐子の屋敷から持ち去るがいい」

「「「誠ですか? 半分を回収してよろしいのですか? それで破産は免れます!」」」

「半値だぞ。残りの資産は、桐子ともどもえっだの森へ運び込んで没収する。えるふの軍事費に充てて人間との戦に備えるのだ。われらは、ともに桐子に被害を受けた間柄。損害の補填は互いに折半するということで、今回は手打ちにしてくれ――」

 破産を回避できた商人たちは「寛大で公平なお裁き、恐れ入りましてございます!」「どうか今後はわれらザーレの商人ギルドと昵懇に!」「エルフは商業を生業とするダークエルフの敵ですが、エの世界より来たりし勇者様にでしたらいくらでも助力させて頂きます!」と家康の言葉に従うことを我先に誓った。

 だが、彼らがファウストゥス邸に資産押収へと向かってなお、ファウストゥスは地面に座ったまま動かない。媚びぬ男だ、と家康はいよいよファウストゥスを気に入った。

「フン。勇者であろうともわたくしの資産を全て没収する権利が、なぜあなたに? わたくしの資産は一から十までわたくしのものでございますよ」

「桐子よ、資産の全額維持は諦めよ。今後交易で世話になるあの者たちを鎮めねば、貴殿をわが宰相として迎えづらいのでな。ただし、残った半分の資産は没収しない。お前に返す」

「ほう。わたくしの資産全額分け取り話は、連中を喜ばせるための嘘でしたか」

「うむ。連中を怒らせぬように巧妙に形を変えて、密かにお前の手許に戻す」

「ふふふ。どうやらタダで返してくれるわけではなさそうですねえ。抜け目のないお方だ」

「うむ、お前をえっだの森に宰相として雇い入れる契約金のつもりだ。良ければ、その銭を元手に破綻寸前のえるふ族の財政を急ぎ立て直し、俺が計画しているえっだの森改造計画に必要な巨額の予算を捻出してもらいたい。森を、人間や魔王軍の猛攻を凌ぐ難攻不落の要塞となすのだ」

 結局、ファウストゥスに自腹を割いてエッダの森の財政再建に用いろと家康は頼んでいるのだった。破滅寸前の窮地を家康に救われたファウストゥスとしても、全財産を没収されるよりはずっとマシな誘いである。投資に成功すればさらなる利を得られる。

 しかし――。

「……わたくしを、エルフ族の宰相に? 冗談もほどほどにして頂きたい。わたくしはダークエルフ族でございます。エルフ族は長年にわたる不倶戴天の敵であり、銭稼ぎを生業とするダークエルフ商人を軽蔑している者ども。なぜわたくしが協力せねばならぬのですか?」

 なおも全く家康に屈しようとしないファウストゥスめがけて、セラフィナは印籠を翳して「えー、なんでまるっきり効ないのよう? 控え、控えおろーう!」と何度も騒いだが、勇者の威光など全然信じていないこの男には予想通り全く通じない。

 わたくしが頭を下げる相手は「銭」のみです、とじりじり近くに寄ってくるセラフィナを迷惑そうに手で追い払いながら、ファウストゥスは奇妙な動物を見るような目でセラフィナを睨んだ。

「わたくしは、禁断の黒魔術にどっぷりと手を染めてまで銭を稼いできたのです。わたくしの情報網がなぜどこよりも速く、かつ広範囲に亘るのか? ええ、そうです。黒魔術を用いているからですよ」

 ぐえーっ!? 噂には聞いていたけれど、本物の黒魔術師さんだったのぅ~? はじめて出会っちゃった~とセラフィナは震えあがった。

「わたくしはエッダの森の宰相となっても、銭を稼ぐために堂々と黒魔術を使い続けますよ? そんなわたくしを宰相に据えられますか、イエヤス様?」

「無論だ。しかしそれほどに銭に執着するのはなぜだ、桐子よ?」

「……誰にも語ったことはございませんが、わが資産を半分保護して頂いた以上、礼として話すしかありますまい。あなたは、わたくしの扱い方を心得ておられるらしい」

 ファウストゥスは言葉少なに、自分の半生について述懐した。

「デ・キリコ家はもともと、魔術を探求するエルフ族の高名な貴族だったのです。勤勉な代々のデ・キリコ家当主たちは、防衛に重きを置く白魔術には限界があると気づき、攻撃力を重視した黒魔力を利用する黒魔術を探求するようになっていったのですよ」

「ふえええ。私、デ・キリコ家って聞いたことがないよ~? それっていつの話~?」

「百五十年前に、黒魔術使いであることが発覚しましてね。以来エルフ族から追放されてダークエルフ族となったデ・キリコ家は、各地を流浪しながら細々と生きてきたのです」

「長老様が生まれた頃の話ですわね。おそらく黒魔術を使った罪で、エルフ族の記録から抹消されてしまったのですわ。長老様が伝説の語り部となった時代ならばそんなことには」

「フン、どうでしょうかねえ。黒魔術の探求はなおも続けられましたが、黒魔術の研究と実験には膨大な銭がかかります。しかも、ひとつ処に定住すればいつまた黒魔術師だと知れて弾圧されるかもしれません。デ・キリコ家のダークエルフたちは何代にもわたり、定住地も持てない厳しい流浪生活を続けるしかなかったのですよ」

「……そんな中、あの大厄災戦争が勃発したのですわね? それで戦争難民に……?」

「左様。魔王軍のオークたちは全身を黒魔力で満たした怪物で、白魔術を駆使するエルフや新兵器を開発して操る人間をもってしても容易には食い止めませんでした。デ・キリコ家の予感は正しかったというわけです」

 先験的過ぎるのも諸刃の劔だからな、何事も時間が必要だと家康は頷いた。

「いよいよ黒魔術を極めねばならない。わたくしの父は戦火を避けて各地を転々としながら、『知識の魔術』の完成を急ぎました」

「ち、『知識の魔術』? 私、聞いたことがないよー?」

「妾もですわ。ほんとうに新しい魔術体系を研究しておられたのですわね」

「黒魔力を注入して使い魔となした特殊な蜥蜴たちを端末として利用し、各地の情報を一手に集めるという先進的な魔術です。黒魔術にありがちな攻撃系の魔術ではなく、情報戦に勝利するための魔術ですよ」

「情報戦を制する者が戦いに勝つ」という原理を見出したデ・キリコ家は、いわば大陸全土をカバーするGPS機能を、魔術によって構築しようとしていたのだ。

 セラフィナが「ふええ。話が難しくてわかんないよぅ!」と頭を抱える。

 当時の元老院議員たちもそのような反応だったそうです、つまりバカ揃いでしたとファウストゥス。

「ふえええ。私はバカじゃないもーん! そっちが頭が良すぎるだけなんだからぁ~!」

「まあ一理あるな。俺の世界では、戦場における情報の値打ちを最初に理解し得た者は織田信長公であった。それ故に信長公は今川義元公を討ち、一代で天下をほぼ統一なされた」

「ですが、運命の日が来ました。デ・キリコ家が身を寄せていた難民の集落地が、魔王軍に襲撃されたのです。魔王軍は占領をせず、ひたすら奪うのみ。父は幼いわたくしと妹のフーケを集落から逃がすために馬車に乗せ、自身は……」

「お父上は、激戦の果てに戦死したのですわね……ご立派なお方ですわ……」

「私たちのお父上と同じ運命を選んだんだね。エルフもダークエルフも同じだね、エレオノーラぁ」

「フン、美談にしないでください。無駄死にですよ。デ・キリコ家にもっと銭があれば、父は『知識の魔術』を完成させられていました。集落地を襲われる前に魔王軍の動きを掴んで、家族とともに安全に脱出できていたのです。父は貧困故に命を落としたのですよ」

「あ、あのさ。妹さんは……? あなたはずっと、ザーレで一人暮らしだって……」

「わたくしと妹を乗せた馬車もまた、魔王軍に追いつかれてましてね。わたくしは、大量の財宝や黄金があれば、馬車から投げ捨てて魔王軍のオークどもに『お宝を拾え』と漁らせて足止めできるのにと歯ぎしりしましたよ。連中は金銀財宝に対して強欲なので。ただ――オークたちは、動いている相手を追うという習性をも持っております」

 いずれかが馬車に居残り走らせ続けて囮になれば、いずれかは馬車から飛び降りて命だけは助かる。究極の選択だな、と家康はどこか遠い目で青空を見上げた。信康を失った日のことを思いだしているのだろう。

「当然、妹さんを救うために囮になろうとしたんだよね? どうして生き延びたの?」

「妹が不意を突いてわたくしを馬車から突き落としたからですよ。『お父さんの黒魔術を完成させられるのはお兄ちゃんだけ。お兄ちゃんは誰よりも頭がいいから。だから、お兄ちゃんが生き延びて。ダークエルフ族は計算が得意だもの、結論はひとつよ』と……それが、妹の最後の言葉でした」

「……そ、そんなぁ……そんなことって? うえええええん!」

「妾が同じ立場でも、同じ道を選んだかもしれませんわ。ですが、お辛かったでしょうね。心中、お察し致しますわ……」

「いえ、辛くはありませんでしたよ。妹の選択は正論でした。ただ、わたくしは悔しかったのです。黒魔術完成に必要な銭さえあれば。『知識の魔術』さえ完成していれば。せめて、オークを足止めするために馬車から放り投げられる銭があれば。わたくしは大地に頭を打ち付けながらオークたちを呪い、妹を救えなかった自分の無力と貧困を呪ったのです」

嘘だよ。イエヤスが死んだお子さんと奥さんのことを回想している時くらい辛そうじゃん、とセラフィナは気丈なファウストゥスのために涙を流していた。


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