第七話 03
ファウストゥスは「どうしても手持ちの金貨が一枚足りません」と執拗に金貨の数を数え直すことに必死で、家康の話を半ば聞き流し続けた。
「先祖の代から、エルフ族は嫌いでしてね」
「わたくしに全額出資しろとは、常軌を逸した厚かましさです」
「ヴォルフガング一世率いる王国軍の武器と兵糧は実に潤沢。わたくしが売ったのですから間違いありません。エルフは勝てますまい。皆さんに投資しても銭を溶かすだけです」
という三つの理由で、ファウストゥスは家康と手を組むことを断固として拒否。
深夜に至り、家康一行はファウストゥス邸から追い払われてしまった。
宿屋への帰還の途中、セラフィナは涙声で家康の腕を引っ張ってきた。
「どーしよう、どーしようイエヤスぅ~? 自分で出資しろって言われて『承知しました』と頷くよーな相手じゃないじゃん! 明日尋ねても門前払いだよーう?」
「ザーレにはまだまだ商人がおりますわ。二番目の候補者を尋ねますか、イエヤス様?」
「他の商人はみな、桐子に一杯食わされて焦げ付いているのだろう? 商人としての才覚が違い過ぎる。えっだの森の財政問題を解決できる者は、桐子しかおらぬ」
「確かに、ザーレからいち早くエッダの森の最新情報を入手した才覚は驚きの一言ですが」
「お互いに大陸の西と東の端だもんねー! どーやって情報を掴んでるのかなあ?」
「なんらかの特殊な手段を用いているのでしょうが、物証は隠滅済みと言っていましたし、今からでは調べようがありませんわね……エッダの森に彼の間者が入り込んでいたのでしょうか? しかし、森の警備は完璧なはず……」
「明日は俺の腹案をもっと具体的に説いてみよう。今のえるふは窮乏しているが、われらと手を組み異種族連合を成せば、長い目で見ればどれほどの巨利が桐子のもとに転がり込むかを説明し続ければ、俺と同等に銭に執着がある男。いずれは食いついてくるはずだ」
「何日かかるかわからないよ? ザーレで半年使っちゃったら時間切れじゃん?」
「明日のことは明日心配すればいいのだ世良鮒。今夜は熟睡して、旅の疲れを取ることに専念……うっ、うっかり明日の心配をしてしまって腹が……ま、万病円を……」
「ダメじゃん! もう胃痛になってんじゃん! ホントにだいじょうぶなのかなあ~?」
「失敬な。心労が重なるとすぐに痛むが、俺の胃腸はそこまでやわではないぞ世良鮒。真に危険なのは、戦場で騎馬隊に襲われた時くらいだ。三方ヶ原や真田の六文銭を思いだすと、どうしても反射的に……」
「ぐえー! やっぱ危険なんじゃん! よーし、今夜は徹夜で万病円を増産しようっ!」
そして翌朝。
「……うええ~、眠いよう~。誰が徹夜で万病円を造ろうなんて言いだしたのさあ~」
「セラフィナ様ご自身ではないですか。ふあ……妾としたことが、馬上であくびだなんて。はしたない姿を見せてしまいましたわ」
「まずはどうやって再び会見してもらうかだ。この三つ葉葵の印籠は、そこいらの商人や足軽兵が相手ならば威厳ある勇者の証として効くようだが、強固な意志を持つ者や、銭にしか価値を認めない桐子のような偏屈者には通用すまいな」
「え~、それじゃあどうやってもう一度会うのさ~イエヤスぅ~?」
「それを今、思案している。だが俺は深慮遠謀と忍耐の男。臨機応変の智恵を閃く才はなくてな。十年もあれば桐子を家臣にできる自信があるのだが……俺のもとを去って一向一揆に奔った本多正信を帰参させるまで、それくらいの時間を俺はじっと待った」
「いやいや気が長過ぎるよう? 完全に時間切れじゃんっ!?」
「ま、まさか十年間、ファウストゥス邸の門の前にテントを張って暮らすとか言いだしませんわよね? エッダの森がなくなってしまいますわ?」
「阿呆滓よ。人生には我慢が必要なのだぞ。ずっとザーレの海で釣りをして好機を待つのも乙なものかもしれんぞ。えるふは寿命が長いのだし」
「絶対に、お断り致しますわ! それは、体の良い亡命ではありませんかっ!」
家康一行は、馬上で騒ぎながらファウストゥス邸へと向かっていた。
ところが。
いざ再びファウストゥスの屋敷の門前まで馬を進めてみると、意外な事態が起きていた。
「も、燃えてるっ? ファウストゥス屋敷が大炎上っ? どういうことぉ、エレオノーラ~? まさか人間が攻めてきたとか?」
「いえ、自由都市は非武装中立地帯です。人間至上主義を唱える人間たちといえど、自由都市に兵を入れることはありません。武器や兵糧の交易路を握っていますから。となれば」
「……桐子に一杯食わされた商人たちが、法によっても桐子は裁けないと絶望して桐子の屋敷を襲ったのだな。直接、銭や財宝を差し押さえるつもりだ。最後の手段というわけか」
家康の言葉通りだった。
鉄製の門が勢いよく開くと同時に、ファウストゥスが「いやはや。知恵比べで破れた腹いせが襲撃とは、商人ではなく山賊の所業。愚か者は度しがたいですね」と呟きながら黒い寝具姿のままで飛び出してきた。額からは黒い血を流している。
「待て、ファウストゥス! よくも俺たちを謀ったな! 騎士団長とエルフの和平が成り、王国軍はエッダの森を攻めないと会見で決まったいう情報が真っ赤な嘘だったとは!」
「ヘルマン騎士団あがりの王はエルフを救いたい、今までそうしてきたように今回も皇国の要請を蹴って不戦を貫くと貴様は確約し、王の書状までわれらに見せた!」
「あれは巧妙に偽造した偽書だったのだな! われらが巨額を投じてかき集めていた武器兵糧を二束三文で買い占め、王国軍に高値で売りさばくとは! 『仲間を売ってはならない』という商人の掟を破った貴様は、われらの手で処分する!」
「今すぐ、われらが被った巨額の損失を現物で補填しろ! さもなくば――」
血相を変えた男たちが、手に得物を持ってファウストゥスを追いかけてきた。総勢は五十人ほどだ。ファウストゥスに詐欺同然の手口で多額の資産を奪われた商人と、その奉公人たち、そして様々な種族から成る臨時雇われの傭兵である。
ザーレに正規の軍人はいない。傭兵が治安を維持しているのだ。その傭兵たちを、破産寸前の商人たちはなけなしの銭を投じて雇ったのだろう。この場にいない大勢の傭兵たちも「見て見ぬ振りをするように」と銭を渡されて言い含められているらしいと家康は察した。
裁判に訴え出ても、ファウストゥスは無罪を勝ち取る。裁判所は、既にファウストゥスが買収済みである。そもそも今回の兵器売却事件は、大陸の各地に張り巡らせた独自の情報網を通じて「今度こそ王国はエルフの森を攻める」という裏情報をいち早く掴み、来たるべき戦争に便乗して稼ごうと企んだファウストゥスと、自由都市から割安価格で大量の武器兵糧を調達したかった王国軍とが組んで行った狡猾な陰謀なのだ。
並の商人ならば、ギルドからつるし上げられるであろうこんな危機は犯さない。だが、ファウストゥスは銭のためなら命も惜しまない筋金入りの守銭奴だった。そうでなければ、裸一貫の戦争難民からこれほどの豪商には成り上がれない。
商人たちは、旅の商人に化けていた家康一行を別の都市から来た商売仲間だと思い込み、ファウストゥスのやり口を訴えた。私刑以外にこの悪知恵の働く男を罰する方法はないと。
「野蛮な行為ではありますがお見逃しください、旅の商人殿!」
「ファウストゥスの詐欺的なやり口は今にはじまったことではないのです。もはやこの男を捨て置けません! これ以上ザーレにこの男をのさばらせておけば、ザーレの商人たちはみな破産してしまいます!」
しかしそのファウストゥスは額から流血しながらも「おや、また来ていたのですか。イエヤス殿」とまるで悪びれない。
「商売とは互いの命を賭けた戦争です。今回は、誰よりも早く和睦交渉決裂という情報を握って王国軍に自分を売り込んだわたくしの勝ちなのです。騙されるほうが愚かなのですよ。暴力に訴えしか手がないのならば、戦士に転職しては如何です? はははははっ!」
と、地面の上に正座したまま商売仇たちを罵っている。
家康の目には、その挙動も言葉遣いも、どこかしら優雅に見えた。武士よりも度胸がある。実に狡猾ではあるが品性下劣な男ではない、豪胆な男だと家康は頷いていた。
「阿呆滓。世良鮒。この男を救いだしてなんとしても宰相に迎えたいが、商人たちは興奮している。どうする? 神剣ソハヤノツルキを抜いて戦うことはできぬ。自由都市内で商人を襲うのは御法度なのだろう?」
「……そうですわね。見たところ商人は全員ダークエルフ、傭兵の中にも人間族はおりません。彼らはモンドラゴン教団の教えを信仰していませんから、勇者が魔王を倒すと信じています。イエヤス様が魔王を打ち倒す伝説の勇者だと明かせば……」
「それだよエレオノーラ! 勇者様の絶大なご威光にひれ伏すかもだよねーっ! イエヤスの印籠、ちょっと借りるよ~!」
セラフィナは颯爽と三つ葉葵の印籠を掲げて、商人たちと傭兵たちを一喝した。
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