第六話 02

 黄金の金陀美仏胴具足を着用した家康が(文化が違い過ぎる、異世界にはもう懲り懲りだ)とぼやきながら神剣ソハヤノツルキを八相に構えれば、騎士団長バウティスタは純白の甲冑に身を包み、細いが槍の如く長い独特の両手剣を家康へ向けて、刺突の体勢に入っていた。

 家康は、女剣士と真剣で戦った経験がない。気が引けるし、そもそも外交の使者を傷つけてはまずい。だが、剣を構えたバウティスタを前にした瞬間、家康は震えた。

 この者は恐ろしく強い! 少しでも油断すれば、この女騎士が構えている細長い剣はわが顔面を、あるは首元を一撃で貫くだろうと察知した。しかも、バウティスタが会得している剣術は日本流の剣術とは全く異なるものだ。

「……南蛮剣術によく似ているな。鉄砲は使わないのか、この世界の騎士とやらは」

「鉄砲ならば、ある。だが殺傷力が高過ぎる鉄砲はこの十年、皇国の勅命によって使用を禁じられている。聖下は戦争と流血を好まれない慈悲深きお方だからな――」

「鉄砲を封じたか。成る程、天下太平の世ならば火器の制限は平和を維持する上で有効。かつて俺も大坂城攻めを終えた後、最新鋭の南蛮大砲を門外不出の品として封印した。だが、十年も兵器の進化を妨げてしまって、来たるべき魔王軍に勝てるのか?」

「剣があれば撃破できる! ヘルマン騎士団はたとえ全滅しようとも、最後の一兵まで聖下のために戦う修道騎士の軍団だ! 貴様はこの場で私が倒し、皇国へ引きずっていく!」

 電光石火の速度で、バウティスタが家康の右太股めがけて突きを叩き込んできた。

(実戦においては斬撃よりも遥かに殺傷力の高い実戦向きの技!)

 家康は冷や汗を流しながらも、その初太刀を紙一重のバックステップでかろうじて避けた。重心を後ろ足に置いて、受けの姿勢に徹していたことが幸いした。

 バウティスタは若いにもかかわらず実戦経験豊富で技量も高い一流の剣士だが、闘気が溢れ過ぎていて、目を見れば家康には次の動作が(おおよそだが)読める。家康が前世で七十五年を生き抜いた百戦錬磨の老将だということを彼女は知らなかった。

「わが必殺の刺突を避けただとっ? 貴様、ほんとうに異世界から来たばかりなのか?」

「戦闘経験だけはあるのでな。戦において、最新鋭の武器を調達し進化させることは絶対に不可欠。まして、共闘すべきえるふを森から追い出そうなど愚の骨頂。えるふの魔術は実戦にて有効故。人間の力だけで魔王軍に勝つつもりなのか、貴公は?」

「それが聖下のご意志ならば従うしかない! わが父ワールシュタットはあれほどの武功を重ねながら、枢機卿たちから『勇将でしたのに異種族に頼るとは信仰心が足りませんでした。それ故に武運を失われた』と侮られる恥辱を受けた! 私は父の過ちを繰り返さない、必ずや使命を果たす! 逃げるばかりでは一騎打ちは終わらないぞ。撃ち込んでこいイエヤス!」

「……峰打ちで貴公を倒す方法を今、思案している。しかし得物の間合いが違い過ぎる故、なかなかに難しい。わが剣はこの通り短いのでな」

「峰打ち? 刃で私を斬らずに勝てると? 貴様……この私を侮るかっ!? 無礼な!」

 バウティスタは栄光あるヘルマン騎士団団長として、かつての盟友エルフ族を攻めたくはなかった。だが、今ここで外交使節団という大役を断れば、彼女は皇国からその信仰心を疑われ、騎士団長失格の烙印を押される。騎士団の存続も危うくなるだろう――何よりも、エルフと人間の武力衝突をなんとしても避けるという意志を持った者、つまり自分が外交の使者として動かねば、枢機卿の思う壺となってしまう。

「騎士団は、父が私に遺してくれた組織。守らねばならない。しかしエルフは父の同志。エルフとの全面戦争を回避するために、私は一命を賭してこの大任を引き受けた。エルフが勇者を引き渡す可能性はない。ならば私自らが一騎打ちを受諾させて勇者を直接倒し、聖都へと連行するしかない。敗れれば死ぬことになるかもしれないが、悔いはない!」

 グナイゼウナウ枢機卿からの命令を受けたバウティスタは死を覚悟して、今回の任務に臨んだのである。凄まじい気迫で家康を一方的に攻撃し続けた。家康はひたすらバウティスタの剣を躱すので精一杯。セラフィナが「うわあああん、もう見ていられないよぅ~! イエヤスの代わりに私を捕虜にして、お願い!」と思わず涙目になるほどの苦戦ぶりだ。

「そなたは父君の戦死後、苦しい立場に置かれているのだな暴痴州殿。いよいよ女城主・井伊直虎を思い起こさせる。そなたは見事な武士だ。できれば、俺の家臣に迎えたい」

「はあ、はあ、はあ……また躱されたっ? いつまでわが剣を躱し続けるつもりだ、イエヤス? 貴様の体力はいったいどうなっている? 私が小娘だから攻撃しないと言うのか? ワールシュタットの娘としてこの上なき恥辱だ!」

「……ここで俺が一騎打ちに応じてお前を殺せば、えるふと開戦する大義名分ができる。そなたは最初から死を覚悟で乗り込み、敢えて俺に勝負を挑んできたのだろう」

「それは少し違う! 仮に私が負ければそうなる。だが、あくまでも私は騎士として勝つために一騎打ちを挑んだのだ! 貴様を倒して皇国に引き渡せば、エルフも抵抗を諦め、戦争をせずとも森を接収できる!」

「成る程、まさにもののふだな。これほどの強敵を峰打ちで倒す方法を考えるためには時間が必要だ――しかも困ったことに今なお、その方法を俺は閃かないでいる」

「まだ待ちに徹するのか? ならばこれ以上、言葉で語る必要はない! 命中すれば殺してしまうので秘していたかったが、ワールシュタット流奥義『三段刺突』で貴様を倒す!」

 この世界の剣士が修得する流派はおおむね「突き」に特化している。得物の外見は剣なのだが、その剣術体系は半ば槍術なのである。バウティスタという一流の剣士との立ち合いによって、家康はその真理を会得していた。

 だが、バウティスタが繰り出してきた奥義は、家康が予測もしていなかった攻撃だった。

 バウティスタが着込んでいた純白の鎧が一瞬にしてはじけ飛んだ。薄着一枚を着込んだ姿となったバウティスタが、目にも止まらぬ速度で家康の頸へ剣先を突き入れて来る。

 文字通り裸にも等しい姿となって守りを捨てた、捨て身の一撃である。

 家康は(いきなり身軽になった? 速い! 躱しても剣先が伸びてくる! まるで一本の剣先が三本に見える!)と驚嘆した。

 エレオノーラもセラフィナも(避けられない!)と思わず目を瞑っていた。

 しかし、奥山流、柳生新陰流、一刀流を会得し、あらゆる剣術を体験してきた家康は、この種の「捨て身の剣」すら経験済みだった。「初太刀が全て、二の太刀要らず」の薩摩示現流である。守りを捨て、突きではなく上段からの高速斬撃によって敵の胴を断ち割るという恐るべき殺人剣であった。

(示現流の太刀も恐ろしいが、この奥義はさらに恐ろしい。自らの身を死地に晒しながらの相打ち覚悟の高速突き! 急所への刺突が決まれば致命傷。運良く命を取り留めても、もはや継戦不能!)

 受けられるか。柳生新陰流の極意をこの切所で繰り出せるか家康。

 如何に身体を捌こうとも決して躱せぬ必殺の剣を止める唯一の方法、それは。

「――無刀――!」

 柳生石舟斎が家康自身との立ち合いで披露した「真剣白刃取り」の奥義のみである。

 二十歳全盛期の肉体、そして異世界のプネウマを多く含む濃い大気が家康に味方した。

 家康は剣を捨てると同時に、自らの両掌を合掌の形に合わせ、頸へ届く寸前だったバウティスタの必殺の剣を挟み込むや否や、「なんだとっ?」と驚きに目を見開いた彼女の身体を絶妙な体重移動によって「ぐるん」と回転させ、あっという間に剣をもぎ取っていた――。

 おおおおお、と使節団及びエルフ接待団の面々が驚きの声を上げた。

「しょ、勝負ありですわ! バウティスタ殿、それまでですわ!」

 止めるなら今しかないと即座に判断したエレオノーラが判定を下し、家康とバウティスタの一騎打ちは決着した。

 バウティスタは「いったいなにをされたのだ、私は?」と芝の上に尻餅をつきながら、思わず家康を見上げていた。なんという胆力、なんという精妙な剣技。これが勇者の実力だというのか。太陽を背負いながら屹立する家康の姿が、一瞬、バウティスタの目には亡きワールシュタットに見えた。それほどに大きい。

 家康が「最後の一撃には胃が痛くなった。二度と一騎打ちには応じんぞ」と囁きながらバウティスタに手を差し伸べた。

 その手を握りながら立ち上がったバウティスタは、

「さんざん受けに回っていたのは、私の剣筋を見極める意図もあったのか。私の敗けだ。これでもうイエヤス殿を連行するとは言えなくなったな」

 と呟き、しかしながら「エッダの森からの退去要求」の撤回には決して肯んじなかった。

 家康に敗れたあげく手ぶらで帰還すれば、先代騎士団長の戦死に次ぐヘルマン騎士団の不面目。バウティスタは皇国に逮捕されかねない。家康にもそれはわかっていた。

「あくまでもエッダの森からの退去を求める。ただし即時退去は難しいだろうから、わが権限をもって半年の猶予を与える。移住先の斡旋も騎士団が行いたい。これは、私をもてなしてくれたエルフ族と、全力で私と立ち合ってくれたイエヤス殿への好意だと受け取って頂いて構わない」

 というバウティスタの申し出を、家康とエレオノーラは爽やかな笑顔で承諾し、使節団を丁重に送りだしたのである。


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